6月 24th, 2013 Posted 11:15 AM
6月24日 辛酉(友引)
輪郭線的には、
「美」「美しさ」「美しい」という言葉には
それぞれの領域がある気がしてならない。
言い直してみれば、
「デザイン美」
「デザインの美しさ」
「美しいデザイン」
ということになる。
総合的な領域には
デザイン美がふさわしい。
『デザインの極道論』うつくしい
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6月 24th, 2013 Posted 12:00 AM
以前から気になって仕方がないことがありました。
美大に入って、どれほど自分がデッサン出来なかったかを知り、
プロになるために相当のトレーニングをしました。
しかし、交通被災でまた振り出しになり、
車倚子でのデッサンを再度やり直しました。
だから、気になるのは、特に伝統工芸品のデッサンです。
陶磁器、扇、染め物に描かれた自然描写です。
金沢や京都で、そのデッサンが狂いだしているのを発見すると、
ついつい言い出してしまいます。
実例にあげると、「鶯」なのか「雀」なのかがまったく不明。
「葉脈のデッサン」が狂っていても、それが伝統工芸品、
これは大きな間違いです。
そうです。たかが写実主義風の(日本に写実主義は無かった)、
自然描写の正確さこそ、本来、日本人の眼差しと表現能力です。
この能力をもってこそ、日本美の根底が担保されるべきです。
ある産地で、
「これは雀ですか?」
「いえ、鶯です!」
「えぇ・・・・!?」、ということです。
雀の嘴、鳥類の足、尾翼の特徴、この三つで形態は判断可能です。
まして、「雲雀」とか言われると嘘でしょうと嘴ってしまいます。
私はデザインのためのトレーニングでは、
特訓・特訓を受けてきました。
だから、デザイン独学には必ず限界があると思っています。
私はあくまでも「手」での表現力が基準だと確信しています。
デッサンは基準だからこそ、基本として身体化されるべきです。
最近は、パソコンがあり、しかも3D-Printingの真偽が曖昧ゆえ、
私はこのことにには、教育者としても拘ります。
「モノづくり」の基本と基準は、
たとえ人工的であっても、
日本人は「自然から学ぶ」という姿勢は遵守すべきことです。
それがなければ「美」に到達することはアポリアになります。
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Posted in 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ
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6月 11th, 2013 Posted 12:42 PM
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6月 10th, 2013 Posted 12:41 PM
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6月 9th, 2013 Posted 12:40 PM
6月9日 丙午(大安)
個人の主観性の本質は、
人それぞれの感性と
その人なりの精神性である。
それを制限したり、
廃絶する権利は誰にもあるはずがない。
まして、
美への感激や感動である。
『デザインの極道論』うつくしい
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6月 8th, 2013 Posted 12:39 PM
6月8日 乙巳(先負)
輪郭線的には、
「美」「美しさ」「美しい」という言葉には
それぞれの領域がある気がしてならない。
言い直してみれば、
「デザイン美」
「デザインの美しさ」
「美しいデザイン」
ということになる。
総合的な領域には
デザイン美がふさわしい。
『デザインの極道論』うつくしい
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6月 7th, 2013 Posted 12:39 PM
6月7日 甲辰(友引)
輪郭線的には、
「美」「美しさ」「美しい」という言葉には
それぞれの領域がある気がしてならない。
言い直してみれば、
「デザイン美」
「デザインの美しさ」
「美しいデザイン」
ということになる。
総合的な領域には
デザイン美がふさわしい。
『デザインの極道論』うつくしい
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1月 18th, 2013 Posted 12:30 AM
間もなく、64歳を迎えます。
しみじみと思い起こすことがあります。
それは「盆栽」です。
40歳の頃でした。
NHKの教養番組で「盆栽シリーズ」を全部観たことがあります。
もの凄い衝撃を受けました。
なるほど、これは凄い日本の伝統的な文化、
その極地だと思いました。
それで、早速、東京の専門店にも何度か通って手ほどきを受けて、
入門的なことを試みましたが直ぐに枯れ果てました。
これは絶対に小学校時代から教育基本法的にも
鍛えておくべきことではないだろうかと思いました。
それから、この大阪に来てから、トライしましたが、駄目でした。
そういえば、祖父が育てていたのを何の興味も持たず、
あれは年寄りがやるもの、と思って観ていたものです。
父は、蘭栽培では自宅の庭に温室を作って、
品評会にまで出すほど、リタイア後にやっていました。
今も福井の実家の倉庫には蘭独特の植木鉢が相当に残っています。
人生で、「し忘れたコト」と尋ねられたら、
私は「盆栽」と答えるでしょうし、
それは小学校時代から知識と技術を身に付けていたら、
それは凄い人生そのものの文化になるのではないかとすら思うのです。
写真は、オークションで40万円近くする作品です。
これが好みではありませんが、日本人が「自然と対話する根本」を、
さらに深めて、このミクロな自然制御を成し遂げて、
「美」の世界観を日常化しています。
きっと読者諸兄の中には、
「そうだよ、私の得意趣味分野」とか言われようものなら、
私は最大の敬意を払うことになるでしょう。
伝統的な芸術というわけではありませんが、
明らかに、「デザイン行為」が潜んでいる知見と技術表現が、
自然そのものに寄り添っているのです。
わが人生について、作品集自叙伝を準備しています。
「終章にむかって」という序文を書きながら、
私が「し忘れたコト」は、「盆栽」だったということです。
だから、今は盆栽の写真集で凄いのがあったらと探している始末です。
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Posted in 企望を「までい」具現へ, 祈望から企望へ
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10月 13th, 2012 Posted 9:30 AM
10月13日 丁未(大安)
むしろ、
用と美から開放された
使い勝手や美しさよりも、
そのモノの存在が意味してくる、
いわゆるモルフェーとしての存在感に、
魅惑されることやその崇高なまでの
象徴性にこそ、
美があると判断したい。
倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』12 造形形態学の必然性
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10月 13th, 2012 Posted 1:05 AM
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