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「メガネフレームはまず自助具でありき」


   


     11月 8th, 2011  Posted 12:00 AM

メガネフレームのデザイン、
懸命に取り組んでもう25年以上になります。
インダストリアルデザインでの設計が、
産地に受け入れられてもらえたのは、
メガネフレームメーカー・増永眼鏡の指導と支援、
これがあったからだと思っています。
増永眼鏡は、フレームメーカーとして100年以上の歴史、
日本での眼鏡枠製造老舗、海外にはKOKIブランドとして、
最も信頼のある企業であり、技術力ではトップメーカーです。
メガネフレームは、ファッションであり流行に左右されます。
しかし、ファッション=自分演出のおしゃれ道具ですが、
根本的には視力支援器具、
いわば医療器具であることは免れません。
したがって、3プライスと言われるビジネスモデルでの
低価格商品は常にファッションというより、
「流行」だけをテコにした市場でありますが、
これは日本独特の市場展開なのです。
なぜなら、海外では度数の無いサングラスは、
どこでも買い求めることができますが、
医療器具としては、眼科医の処方箋が必要です。
眼科医というよりは、
「オプトメトリスト」=6年の大学専門教育と国家資格と、
「オプティシャン」というフレームとレンズの加工技師資格、
この二つの資格がなければ眼鏡ショップは経営できません。
日本だけがこうした資格無しでメガネが販売されているのです。
単なる広告宣伝でファッション性だけで語られる眼鏡は未完成です。
メガネフレームそのものがレンズが無ければ、
それはキーホルダーのようなモノにすぎません。
最近は、素材・重量(レンズ無し10g)・形態、
この形態がデザインだと受け取られていますが、
顔の形、耳、鼻などとのフィッティング=かけごこちは、
「性能デザイン」になっていなければなりません。
安易なデザイナーブランドや建築家が片手間デザインは、
「遊びのデザイン」として楽しめますが、
これをファッションとしてのメガネフレームだというのは、
生理的、倫理的、美学的には、私は認められません。
私は、いわゆるブランドフレームでも、いい加減なモノは、
それを着用しているユーザーの社会的存在性を自らが貶めています。
フレームの形態は、造形性能と造形機能が、
ある意味での「形態言語」になっていなければなりません。
私の提示した「アンチテンションスタイル」=レンズに応力無しは、
すでに「不易流行」のフレームデザインの一つの様式になりました。
メガネを着用している人、コンタクトレンズの人、
レーシックをしてしまった人、その手術を考えている人、
あらためて「視力」と「メガネ」、
この「造形言語」を読み直してください。
メガネフレームは「自助具としての性能・機能」が、
「効能」として、視力を支援し目を保護するモノです。

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「絢爛な九谷焼・日本陶磁器の将来」


   


     11月 6th, 2011  Posted 12:00 AM

北陸育ちの子供の頃から、陶磁器は九谷焼。
高校時代、故徳田正彦氏(金沢美大先輩)の
九谷焼には感動していました。

父は彼の作品収集家でしたが、
私も一輪挿しは彼のモノが大好きでわずかに持っています。
ワシントンの在米日本大使館入り口正面には、
三代目徳田八十吉作(正彦)の大皿が出迎えてくれます。

日本各地の焼き物に心惹かれるようになったのは、
50代になってからでした。
モダンデザイン一辺倒だった私にとって、
特に九谷焼の絢爛さに興味はありませんでした。
最近、有田焼産地で陶磁器に向かい合うようになって、
あらためて国内外の陶磁器をじっくりと観ています。
日本各地ではいわゆる作家モノでも、
伝統のはき違えや伝統技が衰退していると判断しています。
今年発表されたエルメスの新作陶磁器の「ブルー」は秀逸です。
加色が青系や赤系は、日本は負けているとさえ最近思っています。
洞爺湖サミットでは陶磁器の万年筆が記念品でしたが、
私は伝統技が残っているモノとは評価していません。

先般、「長谷川等伯・狩野派展」(出光美術館)で、
「古九谷」を観ました。そのまま金沢に行ったので、
あらためて「古九谷写し」が欲しくなり、
それなら日常食器はすべからく、
九谷焼にしようと思い買い込みました。
おそらく年齢がその考えを引き込んだのでしょう。
九谷焼は日本の最初の貿易品でした。
当時貿易されていた九谷陶磁器は、
まるでガラスのような半透明の薄さと、
その緻密な加飾技術は再現できるのでしょうか。

私自身、伝統工芸(打刃物・和紙・漆)に関わり、
デザインでの産地活性化を目指してきました。
今、陶磁器に関わりながら、
「絢爛豪華さ」を日本の美学から学び直したいのです。
日本の伝統工芸産地のあり方を、再度、
デザインが加担する事は熟考を要するでしょう。
伝統工芸産地で、デザイナーが加担しているのか、
デザイナー自らの存在性で産地を踏み台にしているのか、
これは「作品」=「商品」で明確に、自分の美学性で見極め、
駄目なモノは全否定批評しようと思っています。
なぜなら、そんな作家やデザイナーを見かけるからです。
私なりの「絢爛豪華さ」はやはり、日本の伝統工芸産地、
この文脈に回帰し、そして創造することになります。


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『資本主義からの逃走』
    「伝統工芸産地と波、幸運なスタート」


   


     7月 17th, 2010  Posted 12:00 AM

自問自答の始まり
「そんなに、デザイン、デザインと言うけれど、
デザインで産地は生き返れるのか?」。
この言葉を投げかけられたことをいつも思い出します。
以後この自問は忘れたことがありません。
私の東京でのデザイナー経験が「何だったんだ」ということになります。
この自問自答に思い悩まなければならなくなった初体験でした。
私は、今も現役で、デザイナーとして製品開発から商品展開をしています。
が、この「問いかけ」を常に抱いています。
伝統工芸と波
30歳でした。ふるさと福井に帰って、もちろん仕事も無く、
夕焼けの日は、日本海に沈む夕日と波を撮影するために車で出かける日が連続していました。
興味の対象は「波」でした。
「波」のかたちは、決して同じかたち=形態のものはありえません。
そして、音響をデザイン対象にしてきた経験は「音波」でもあったわけです。
色彩も「波」でした。
私の中では、これから取り組む「伝統工芸・越前打刃物」と「波」が共存していました。
これが、今考えると「幸運」だったのです。
車椅子生活になったことは「不幸」でしたが、
「幸」そのものが実際はとんでもなく怖いことを示していることを知っていましたから、
「幸運」はすぐにやってきていたのです。
しかし、伝統工芸産地の職人さんたちに、
「だから、デザインなんだ!」と言い切れる自信は、まったくありませんでした。
その「自信」獲得のために、私はデザイナーとして振り出しにもどされていました。
私に覆い被さってくる「波」の形態を見定めるスタート地点では、
「歩けなくなった私」と「車椅子を必要とする私」を見詰めていました。


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『資本主義からの逃走』
  「貨幣価値の再確認は、ちょっとうれしい」


   


     12月 11th, 2009  Posted 10:00 AM

私は、28歳で車倚子。
入院中に、お札やコインのデザインが変わったのです。
だからまったくお札のデザインでの価値判断不能です。
それで、それから30代になってから500円硬貨を見て、
なんだかとてもうれしかったのです。
幸か不幸か、
私はまったくお金を持ち歩いたことがありません。
世間離れ甚だしいと思います。

ところが、
金銭感覚というより財務感覚では、
「企業や産地や行政」の収支決済と市場性について
デザイナーとしての予測値反応は鋭いと自負しています。
しかし、
私の日常の金銭感覚はまるで駄目だと自覚しています。

コインは、1949年モノ、
私の生年のコインが大好きなので時々持ち歩きます。
500円硬貨もなかなかいいです。
それはモノとして魅力的なだけなのです。
先日から、
私は「日常的なお金」を持ち歩けるようになりました。
それがたまらなくうれしくてうれしくてたまりません。
とても、資本主義から逃走なんてできない!と、
言われそうですが、まったく違うのです。
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edyカード付きのマイレージのクレジットカードです。
もう使うことのできないモノとしてのコインと、
プラスチック貨幣であり、
「サービス産業」メディアとしての価値貨幣カードです。
ここがポイントです。
「資本主義」に入り込んでしまっている産業、
すなわち「サービス産業」に立ち入ることです。
そこでの人間関係・業態関係・価値体系関係は、
社会と時代の関係が連鎖系であることを一変させます。
ここから、「逃走する逃げ道」への交換体系を、
デザイン」出来そうな気がしてなりません。
edy・マイレージ・クレジットカードも、
私にはうれしい日常的なモノですが、
そこからも、資本主義の消失、
その要因が変容どころか喪失していく予感がします。


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