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Posts Tagged ‘恩師’


「日本で最初のスクリプト体・恩師のデザイン」


   


     4月 14th, 2012  Posted 12:00 AM

日本の三大ホテルというのは、
帝国ホテル・ホテルニューオタニ、そしてホテルオークラです。
ホテルが国際的な国家の存在性を「空間論的」に明示しています。
ホテルオークラは、日本で最初の国際会議IMF総会が行われた舞台でした。
そのホテルオークラのロゴタイプデザインは、
私の恩師・平野拓夫先生(元・金沢美術工芸大学学長)の作品です。
そして、このロゴタイプが、
最初の日本人によるレタリングデザインとして国際性を表現したものです。
先般、日本のホテルの歴史をNHK-TV番組で観ていました。
ホテルオークラが建築・インテリアすべてに渡り、
敗戦直後の国際性を成し遂げていたというのを改めて知り、
しかも恩師のレタリングが建設中の工事現場に掲げられていました。
すぐに、先生に電話してデザイン経緯を初めて聞きました。
最近はしばしば先生の作品実現までをよく聞くことにしています。
まず、ホテルオークラは財閥解体後の国家プロジェクトであり、
官僚だったから仕事としてやらなければならなかったということです。
つまり卑近な話ですが、デザイン対価は無かったということです。
まず、米国のデザイン会社に国は発注したら、
そのデザイン料が政府の想像を超えるほど高額だったこと。
ところが丁度国費デザイン留学生第一号の先生のことを
その会社が政府に知らせ、
彼がすでに帰国しすでに官僚だった先生は、
ホテル建設にロゴタイプからインテリアなどに、
業務として関与せざるをえなくなったということでした。
日本のデザイン界において、
「平野門下生は工業デザイン界の大一画」を成していることは事実です。
そして、その門下生はすべからく、レタリングは当然のこと、
デザイン技法はとても厳しくトレーニングされています。
そのハードさの逸話はつきません。
私もそのハードさで鍛えられたからこそ「実技」には自信があります。
そして門下生であることの最大の重要性は、
「造形力」が日本ではトップランクに鍛えられているということです。
さらに平野先生の作品は、多岐にわたっていますがその詳細、
さらに先生の「造形教育手法」は一部しか知り得ていません。
日本のあの「グッドデザイン選定制度」づくりも
先生が創設者の一人でした。
私が「HIRANO DESIGN METHOD」を書き残そうと考えています。
大学人最後の仕事にするつもりです。
私は、京都ではホテルオークラを定宿にしていますが、
その度に、このレタリングを見ます。
そして自分も相当にレタリングでのスクリプト体が得意です。
そのことを自負できるのも門下生の一人だからです。

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「卒業後40年、そして63歳誕生日」


   


     2月 28th, 2012  Posted 12:00 AM

金沢美大卒業後40年。
卒業40周年記念同窓会は50周年への前夜祭として開催。
同窓会は当初は「工業デザイン専攻」だけでということが、
産業美術学科全体でと拡大しました。
おそらく街で出会ってもわからないと思える変貌がいっぱい、
40年ぶりに出会う同期生もいました。
二次会ともなればすっかり学生気分でした。
恩師の先生方とも退任後には出会っていなかった先生も多く、
何度も何度も握手をしました。
翌日は私の誕生日でした。
幸運にも母校の卒業制作展が金沢21世紀美術館でした。
「君たちの40年先輩だよ」と言って級友とともに、
思い切り先輩風を吹かせに出かけました。
私は大学人でもあり、後輩たちには私が車椅子だから、
工業デザイン=今はプロダクトデザインですが、
知られていましたから、結構みんなビビッていました。
作品の解説を丁寧に受けながら、
結局は担当教員の個性が反映していました。
海外の大学事情もよく知ることや、
就職状況の今年の企業入社条件傾向も知るだけに、
級友たちよりはデザイン教育成果と、
彼らがこれからプロとして、
さらに母校の将来性へのカリキュラム展開までを
見通して観覧することができました。
また金沢21世紀美術館も久しぶりゆえに、
キュレーターの方々とも顔なじみだから、
すべての展覧会を案内していただきました。
後輩の作品や企画展での
とてつもない感動を書き残していきたいと考えています。
63歳の誕生日は、
美大卒業40周年という人生における大きなイベントになりました。
ホテルでも商店街でもタクシーに乗っても、
金沢美大を卒業したと言うだけで、
「お帰りなさい」と言われているほど大歓迎されるのです。
金沢の街にはそれほど美大生を大事にしていただける
素晴らしい所だと再確認しました。

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「指編みを思い出しながら」


   


     2月 25th, 2012  Posted 12:00 AM

明日26日、63歳になります。
よくぞ生きながらえてきたものと思っています。
先日、銀座の手芸店で買ってきた毛糸を玉にしました。
ともかく店頭でひたすら「手触り感覚」が良い物を選び購入しました。
そうしたら、名前あるこうした毛糸の作家ものでした。
だから、とても高価だったらしくてワイフに、
「また最高の物を選んで」って、言われてしまいました。
先般もある有名ブランドの時計ベルトが変わってしまっている、
と気づき店長さんに聞きました。
そうしたら調べていただき、変わっているということでした。
「感覚」を大事にして生きてきたことに安堵しています。
さて、「指編み」は母から習っていたので、
マフラー程度なら編めます。
そんな気持ちで、この毛糸玉を持ち歩こうかと考えています。
ともかく、時間に追いかけられている気がしてなりません。
自分の仕事ペースは60年も生きてくると、ほとんど推測がつきます。
が、やはり45歳からはそのペースは確実にダウンしています。
ICDは二台目を入れたので、5年は保障されていますが、
やはり心臓で期外収縮が起こると不安です。
金沢で同窓会に出席します。
工業デザイン専攻だけということが、
結局大事になって「産業美術学科」全体になりました。
恩師の先生方に会えるのが楽しみです。
ただ、同級生が検査入院とか、癌の疑いとかで、
もう生ある時間に限界が見え始めています。
だからこそ、毛糸玉に触れていたいと思っています。

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「青は藍より出でて青し、ジーンズを見つめて」


   


     1月 26th, 2012  Posted 12:00 AM

まだジーンズをはくことができます。
父も極めてスマートな体型でしたが、
中年になって、風呂上がりに父を見てビックリしたことがあります。
「どうしたの?太ちゃってお腹出てきたよ」、
そんなことを言った記憶があります。
最近私は段々と父の体型に似てきたと思っています。
遺伝子って怖いです。
さて、ブルージーンズはこれも凝り出すと大変な世界のようです。
だから、時に、古着のジーンズで、
仰天するようなモノを見つけても無視するようにしてます。
ともかく、リーバイスしかはかないと決めてます。
要は、この青色が日本の伝統でも仕事着としての共通点を
持っていることです。
いわゆる日本の藍染めも仕事着としては、
藍染めゆえに、蚊や蛇を寄せ付けなかったということでは、
ブルージーンズもガラガラ蛇を寄せ付けなかった
仕事着だったという同意性です。
そして、中国古典の荀子曰くを思いおこします。
「青は藍よりも出でて青し」。
「出藍の誉れ」といういわばことわざというか、警句です。
ともかく、師事する恩師を追い抜いて、
もっと社会で、出世というか社会的なリーダーになっていくことです。
今、修士論文の最終チェックに入っています。
私は、学生が「出藍の誉れ」になってくれることを願ってやみません。
正直、私も恩師には「絶対に一番弟子になります」と、宣言してきました。
なんとしても「出藍の誉れ」は、恩師孝行に他なりません。
あとわずか、精進と鍛錬を、学生達へのメッセージです。

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「泣くということ・喜怒哀楽の基礎感性行動」


   


     1月 14th, 2012  Posted 12:00 AM

基礎感性行動、なんと大げさなタイトルでしょうか。
しかし、「泣く」というのは最大に重大な行為です。
正直、大泣きしたのは幾たびかあります。
母との死別。
車椅子訓練のつらさに耐えがたくて恋人の前で。
大学人になって悔しさでどうしようもなくて。
これが大泣きせざるを得なかったことです。
母との死別は、独りっきりで河原で大泣きしました。
車椅子になるという医師からの宣言では決して泣きませんでしたが、
当時、恋人の前ではリハビリトレーニングが苦しくてつらくて。
大学人になってからは、恩師に電話口で、
この恩師はもう逝かれてしまいましたが、
最近も、もう唯一の恩師の期待に応えられなくて、
還暦も過ぎたというのにこれも電話で泣きました。
子供の頃は、「泣いて帰ってくるな、
男子は泣くな」と教えられていましたから、
それはどこかで泣いて帰宅したことがありました。
「涙壺」、これはアラブ地方で、
兵士になった夫の帰りを待ち望んで、
妻がこれだけ泣いて待っていたというシンボルのオブジェです。
私は、「喜怒哀楽」はきっちりと
人生を四等分している感性だと思っています。
だから、喜んで、楽しすぎても泣きます。
無論、大声で笑いこけます。
同様に、怒り狂っても笑えて済ませることができます。
つまり、「笑うこと・泣くこと」これは人間感性、
いや感情の表れです。
「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しい」という心理説もあります。
今、日本は「泣きたいほどの苦境にあります」。
だから早く「笑える日」になってほしいのです。
泣くことを強いられたら、笑い飛ばせる自力が必要です。
そのためには、喜怒哀楽と泣く・笑うを対照的にできる感情制御が
感性を鍛えてくれるでしょう。
感謝のあまり、涙が流れること。
憤りが過ぎて、涙が流れること。
涙と泣くという感性の構造を
自分の心の一番大きな引き出しにしたいと思ってきました。
心の表情が、泣いたり、笑ったりすることだと思っています。
心が折れそうになることなんて、日常的に襲ってきます。
だから、自分を鍛錬するには、泣く・笑う、
これは、感性を行為化する基礎だと思っています。

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「幸不幸の連鎖の中で」


   


     10月 27th, 2011  Posted 12:00 AM

日常性が忘却させてくれること、
それは、生きていることが死にむかっていること。
そして自分には起こらないであろう不幸さと歴史観です。
3.11は私たち日本人に、3万人の同胞の死と、
被災した人たちそれぞれの多様なる不幸な事件性でした。
ひょっとすると、いや実は、
人類は不幸さを引き込み始めているのかもしれません。
2012年には、世界的に「政治的な指導者」が不明です。
もっともわが国には政治的指導者を失ったままですが。
昨年9月に私は東芝の原子力研究所を見学しました。
「貿易立国日本は、20年は安泰」という確信しました。
つまり、私の生涯は安泰な日本国民という認識でした。
しかし3.11はこの思いを粉々にしてくれました。
幸運であることと幸福であることは、
中国の古典どおりに「幸不幸」の狭間にあることを、
あらためて再確認させられたのです。
28歳で車椅子生活になった私が、
東京を離れる決心をしたのはジョンレノン暗殺でした。
「青春が終わった」という自覚を自分決着させたからです。
3.11以後、東芝にて「復興計画デザイン」に参画しています。
1000年に一度など自分の生涯に重ねたくもありませんでした。
この哀しみの想いにずーっと引きずられてきました。
「復興計画・25のプロジェクト」を書き上げました。
声高な脱原発論でこうしたプランが進行するわけがありません。
東京中心主義を離脱した「日本再生プラン」こそ、
「復興計画から未来デザイン計画」であるべきと考えています。
「幸」とは元来、両手を縛られた不自由さを意味しています。
しかも、私は「電池切れ」、「節電」どころではなく、
ようやくあと5年の「生」が最低保障されたところです。
1000年に一度の「幸不幸」の狭間をしっかりと体験すること。
これこそ「幸運」なことと考えるようになりました。
父母・恩師の死から、ジョンレノン、そしてジョブズの死、
私の生涯での「幸不幸」を、
大津波の廃墟写真を見つめながら勇気を抱いて、
慎重大胆に自分の生涯に引き込んでやろうと考えています。

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『資本主義からの逃走』
 「#教えることは教わることです。
              だから教える立場を!#」


   


     4月 20th, 2010  Posted 11:18 AM

教える立場こそ
私はすでに常勤の大学人になって15年になります。
しかし、人前で講演や講義らしきものは、25歳から経験しています。
東芝にいた頃、関連会社で「講義」をと言われたところから始まりました。
そして、決定的には、「車イス生活」になって、
母校に非常勤講師で帰ってこないか、ということでした。
母校・金沢美術工芸大学での非常勤から、
福井大学では建築、教育、情報文化三つで非常勤経験をしました。
というよりは、これは恩師が私に組み立ててくれた大学人への道、
そのトレーニングだったのです。
きっかけは、「心臓障害」があって、
もうデザインスタジオをやめて、
ひとりライターで生きていくべきか、
あるいは、ずーっと思っていた光造形をやりたい!
ラピッドプロトタイピング(1990年代には洋書が一冊)を本格的やりたい、
このいづれかを選択するとき、やはり光造形ということになりました。
そこで、恩師に相談したところ、
「やっと、大学に行く気になったか」ということで、
新設される名古屋市立大学・芸術工学部に常勤することになりました。
ただ、福井県鯖江市の依頼で、
「社会人向けのデザイン講座」をやっていました。17年やりました。
奇跡と教える立場
二つのことがありました。
恩師からは、
「デザインで奇跡は起こせない」
「奇跡を起こすのは教育だ」という指摘でした。
もう一つは
「教える立場に立ってこそ、学んでいる自分を識る」
この二つが、教育者・大学人になっていった動機でした。
だから、
「学ぶ」というのは、
当然、「真似る」→「まなぶ」ということであり、
そのためには、教えていくことで、
何を教えるかを学び直して、教える立場になります。
そうした、教えていくことで、
あらためて様々な質問を受ければ受けるほど、
「あっ、このことが伝わっていない」ということを識ります。
それは、「教えられる」ということです。


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『資本主義からの逃走』
 *「無思考とは、思考無しではない、
   思考空であろう」*


   


     2月 1st, 2010  Posted 1:00 AM

無思考
私はほとんど外出してデパートやショッピングモールなどは、車イスになる前から、好きではありませんでした。ミッドタウンをワイフに車イスを押してもらいつつ、いわゆるデザイン系ショップを久々にのぞいて見ました。デザインは、相変わらず「進化」がありませんでした。学生たちが憧れているモダンデザイン系ショップに陳列されているモノに、愕然としました。1960年代よりは素材がカラフルだったり、プラスチックや電気回路が進歩したから、「ソレナリ」のモノがこれほどコピーされて氾濫しているとは、驚きでした。まるで、浦島太郎の心境になって、もう本当に目眩がしました。外出して、書店に行っても、あまりのカラフルさは、車イス視線からでは、目眩がします。まして、コピー製品があまりに「それっぽいデザインした風」なのですから、耐えかねます。また、店員さんの商品知識も格段に低いと思いました。せめて、これぐらい知るべきでしょう。カタログにも肝心な性能表が無くなってきています。それは駄目でしょう。企業の商品化能力を疑います。また、あるアイテムの展示会に招かれました。有明ビッグサイトでの見本市企画企業から、あらたな業種の展示会へのアドバイスを、ということでVIPカードで見て回りました。流ちょうな日本語の外人からいっぱい声をかけれられました。なんとしても商談!という意気込みです。比して、肝心な見本市担当者の無口なことにあきれました。これじゃ、凋落する産業のさらなる凋落が予知出来ます。ともかく、思考していない=薄思考です。これを私は、無思考とは言いません。無思考とは、思考が「無」の状況や事態を指示していると私は考えています。なんでもいいから、まだ一度も使ったことの無い、edyカードで買い物をしてみたかったのですが、「欲しいモノ」がありませんでした。いわゆる今、旬の若手デザイナーの作品である商品も、デザイン設計で、「金型チェック」もしていないのでしょう。3D-CADやCGレンダリングなら、多分、「カッコ良かった」のでしょうが、さらに中国製となると、成形精度も格段に悪くて、これは必ず経年変化を起こすと見抜けてしまいます。さらに、恩師の名作も、カーブや板厚も微細に変貌しています。もはや、高齢になられた先生の眼力チェック無しの復刻品も見かけました。これが、現代の日本の商戦現場だとするなら、どうやって、立て直すべきかと考えさせられました。明日、Gマーク賞制度審議委員会があります。この私が最年少ですから、今年の「Gマーク賞制度は、国際化戦略」の一つの核心となる「戦術」にしていきたいと考えています。私の発言が了承されるかどうかは不明ですが力説します。よって、審査委員も少数精鋭で海外審査委員を投入することを、私の私見として発言するつもりです。昨年のある事件見解も、公表すべきことは、審議委員会からだと私は考えてきました。ある種、審査委員がデザイン界のエリートならば、「敵前逃亡」や「自分勝手さ」はNoblesse Obligeも果たせなかった審査委員資格は審議委員会にての裁決をしなければならないしょう。なぜならば、「Design made in Japan」を象徴化しているGマーク賞制度は、一つの国家戦略です。だからこれは、日本の産業から現代文化の最前線でもあると考えるからです。「無思考」は「思考空」だとも考えています。思考結果がデザインとなり、無思考結果がデザイン効果であるとするなら、思考空は、デザインへの憧憬になります。憧憬は常に潔しが基本です。
思考空


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1月20日Staff Blog


   


     1月 21st, 2010  Posted 9:24 AM

1月20日

金沢の「出世獅子」。
かなり前に美大の恩師から、
博士号学位取得のお祝いに
BOSS(川崎和男KazuoKAWASAKI)
に贈られたモノです。

いつも睨みをきかせて
見守られています。
アップは、かなりの迫力。
shishi


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12月15日Staff Blog


   


     12月 15th, 2009  Posted 11:03 PM

12月15日

恩師から、
中国土産に筆をいただいた
BOSS
(川崎和男 Kazuo KAWASAKI)です!
超特大の筆。
どれだけ墨汁吸うんでしょうか・・・
年始はこれで書初めですね。


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