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Posts Tagged ‘武器’


『資本主義からの逃走』
  「車イスは器械だから、『自力』の身体化は必然訓練」


   


     8月 23rd, 2010  Posted 12:00 AM

壮絶なのは日常なり
私は、自分の交通被災から車イスのデザインをしました。
この実体験は「壮絶」と思われているようですが、
「生きている日常の方が壮絶」だと思っています。
本当の「壮絶さ」な人間界の話はいづれ書きます。「悲惨な壮絶さ」は潜んでいるのです。
五大器械
さて私は、車イスは道具ではなくて「器械」だと言っています。
器械は、『周礼』では、「器は楽器で、械は武器」、
『後漢書』では、「器は内に盛るモノ、械は外に盛るモノ」、そして『荀子』では、
「器は、鎧(よろい)冑(かぶと)で、械は矛(ほこ)弓(ゆみ)ということになっています。
一方、古代西洋のヘロンは五大器械を、てこ・ろくろ・くさび・ねじ・滑車と定義していますから、すべからく「人力」という力学が関わっているということです。
自力養成訓練
そこで、私は車イスを「自力」デザインで開発と、乗りこなせる「自力養成」をしてきました。
救急病院時代は、プラスチックのギブスで上半身をカバーしながら、
退院間際には、ようやく2kの砂袋を10cmぐらい動かせるようになっていました。
半年後に労災病院で、いよいよ本格的なリハビリテーションを受けることになりました。
それは自分を鍛え直すことになったのです。
まず、700ccの水を1日に3回飲み干すことです。これは体の水分を保持し排泄訓練のためでした。
おかげで、容器を見れば何ccかすぐにわかりますし、
今も、ともかく最低2000cc以上で体内水分調整することです。
相変わらず、発熱は連続していました。朝の検温で37度だとトレーニングはできません。
だから、37度を越えていると必ず37度以下にして、トレーニングを受けました。
案の定、トレーニング中に高熱となり幾たびか倒れました。
問題は、2k程度ではまったく車イスどころか、「自力」でベッド上で体を起こすことはできません。ともかく5kの鉄アレーでのトレーニングをめざしました。
七つのパターンを各150回上げ下げをすることになります。
ベッドでの起立は、当時の日本のリハビリ標準値は一ヶ月でした。
しかし、ベトナム戦争傷病兵のリハビリ本が東芝のデザイン部門は届けてくれました。
それによると米国では2週間というメニューがありました。私はそれを目標にしたのです。
車イスに乗るためには150kの鉄アレートレーニングが必要。
これは鉄棒での懸垂運動30回程度相当です。
自力力学
つまり、人間の「自力エネルギー」というのは、自分の体重を自力でコントロールする力学を、
「自力的に身体化」するということです。私のリハビリトレーニングは「優等生」でした。
それが出来たのは、中高大までにスポーツで鍛えてきたことが役に立ったということです。
水泳・スキー・空手・少林寺拳法・ロッククライミングでの経験があったために、
失われていた「自力」の回復は半年で150kの鉄アレーで回復させることができました。
やっぱり、車イスは器械です。
だから自転車も道具ではなくて、「自力と平衡感覚力」を駆使する器械だと断言できます。


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『資本主義からの逃走』
 「# チュッパチャプス武器論・結論という展開へ #5」


   


     3月 24th, 2010  Posted 12:01 AM


たかが、されどチュッパチャプス

たかだか飴ごときモノに私は囚われました。
自宅のあちこちに置いています。研究室にもです。
出張の時は「忘れないモノ」の一つです。
それは、されど飴なのに「チュッパチャプス」は武器。
武器になる飴=モノだと発見したことから始まりました。
さて、
武器は、ツールでありメディアなのです。
そして武器は、平和装置になるモノです。
威嚇性や抑止性というある種恐怖感への刺激装置です。
ところが、現代のモノには、根底では恐怖感があります。
私の生活はなるほど快適ではあるけれど、
これが地球的規模では大丈夫だろうか、などというのは、
恐怖感があると言うのは言い過ぎでしょうか。
すなわち、モノの、
実在性・機能性・構造性・象徴性 が変革し始めています。
たかだか飴です。
それが、ツールになったりメディアになったり、武器です。
結論は、
ツール+メディア=武器がもし成立するなら、
● 武器ーツール=メディアが成立するのでしょうか?
● 武器ーメディア=ツールが成立するのでしょうか?
という今後への展開を思考していく新たな問題です。
私は、「チュッパチャプス」を題材にしながら、
実在性・機能性・構造性・象徴性が
性能性・機能性・効能性・神話性へ
ツールであれ、メディアであれ、意味性=情報性が
大きく変貌しているということは確かです。
そして、この変貌への展開文脈=contextとsyntaxは、
「武器」の定義性では次の両面において
自己防衛モノもしく専守防衛モノということの論理の有無です。
それは実存化させている論理の再確認でした。
武器であることの実存性ということを結論と考えています。
武器=ツール+メディア、
その形式と内容が情報化されればされるほど変容は起こります。
それは存在していることの意味性の確認と、
今後への予測を明確にしないかぎり、
モノのデザインは不可能だということになります。
たかが「チュッパチャプス」でしたが、
武器・ツール・メディア、それぞれに、
されど「チュッパチャプス」を論理で舐め舐めしてください。
この「チュッパチャプス武器論」が、
デザインの下敷きになることを希望しています。


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『資本主義からの逃走』
 「# チュッパチャプス武器論・戦術手法 #2」


   


     3月 21st, 2010  Posted 12:01 AM

ついついチュッパチャップスと言ってしまいますが、
「チュッパチャプス」が正確だそうです。
さて、チュッパチャプスの武器としての手法は、
「舐め舐め」方法が中核です。
この手法は、まず口内に飴がある状態ですから、
かなり口の中を飴が占めています。
したがって、「喋ることが困難です」。
ここに武器要素があります。
身を護る武器
まず、自分が舐め舐めしていれば、
余計な発言ができなくなるのです。
つまり、私などついつい軽く口走ってしまう発言は不可能です。
ということは、「身を護る武器」になっています。
私などは、「相手を言葉攻撃する性格」を押し留めてくれます。
チュッパチャプスは「身を護る武器」である!ということです。
そして、相手に舐め舐めさせてしまうのです。
そうすれば、対戦相手は、言葉攻撃出来なくなります。
専守防衛武器
専守防衛の武器にチュッパチャプスはなります。
ある人が教えてくれました。
プレゼンテーションするとき、チュッパチャプスを配るのです。
そうすると、みんなが舐め舐め状態なので、
発言を封じ込めることができて、
プレゼ終了時にも舐め舐めしていると、
「どうでした?」
チュッパチャプスをくわえているので、首を縦にふる!
ほんとかな?って思いますが、あるかもしれません。
なるほど、これは武器です。
チュッパチャプスを配布することで、攻撃不能状況をつくる。
「孫子の兵法」は14 手がありますが、15手目になるでしょう。
武器としての手法は、
自分を護る・対・対戦相手の攻撃を防衛する、ということです。
手法実例です。
まずクレーマーとなって文句を言い続ける、
相手は嫌な気分が全開のときに、
「これ食べない?」って、チュッパチャプスを差し出すのです。
絶対に相手は「微笑んで受け取ります」!
場面は緊張がゆるんで、「平和」が訪れます。
平和装置武器
平和装置=武器なのです。
「いらない」ってあしらわれれたら、
そんなヤツなら、もっと舐め舐めしながら、
言葉もチュッパチャプスでしどろもどろのままの攻撃は、
とても怖い状況に進展するはずです。
この手法こそ、武器の怖さは増長拡張強化されるのです。
ことわっておきますが、
私はそこまでやったことはありません。
必ず、「笑顔で受け取ってもらって」平和になります。
セキュリティチェック
チュッパチャプスは、「武器」ですが、
飛行機搭乗でのセキュリティチェックには絶対に無視されます。
これも大きな武器手法だと思っています。


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