10月20日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
10月 20th, 2022 Posted 12:00 AM
Tags: 倉俣史朗のデザイン, 川崎和男のデザイン金言, 形態学
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10月19日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
10月 19th, 2022 Posted 12:00 AM
Tags: ヒーリング 川崎和男のデザイン金言, 倉俣史朗のデザイン, 製品記号論
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10月18日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
10月 18th, 2022 Posted 12:00 AM
10月18日 先勝(甲辰)
科学的なさまざまな領域での
「形態学」は、数学、生物学、病理学、
言語学、文化論で、因数分解すれば、
すべてが、
「形態の意味性」に突きあたる。
「形態学」は、数学、生物学、病理学、
言語学、文化論で、因数分解すれば、
すべてが、
「形態の意味性」に突きあたる。
10月17日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
10月 17th, 2022 Posted 12:00 AM
Tags: デザイン, 倉俣史朗のデザイン, 川崎和男のデザイン金言, 造形形態学
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10月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
10月 16th, 2022 Posted 12:00 AM
10月16日 大安(壬寅)
傘立てひとつに、
大衆の美意識はまったく停止している。
というよりも、
傘立てひとつの重大なデザインにこそ、
デザイナーは大衆への間隔覚醒を
起こすべきなのだ。
大衆の美意識はまったく停止している。
というよりも、
傘立てひとつの重大なデザインにこそ、
デザイナーは大衆への間隔覚醒を
起こすべきなのだ。
Tags: 倉俣史朗のデザイン, 傘立て, 大衆, 川崎和男のデザイン金言
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10月15日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
10月 15th, 2022 Posted 12:00 AM
Tags: モノ, 倉俣史朗のデザイン, 川崎和男のデザイン金言
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10月14日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
10月 14th, 2022 Posted 12:00 AM
10月14日 先負(庚子)
まず、
モノが何であるか。
その実存するという段階から、
次には、
そのモノがどう機能するのか、
さらにそのモノの構造が社会との関わりの
構造とどのように連関するのか、
そして、
最終的には象徴的な存在感を持つ
という形態論は大きな参考になる。
モノが何であるか。
その実存するという段階から、
次には、
そのモノがどう機能するのか、
さらにそのモノの構造が社会との関わりの
構造とどのように連関するのか、
そして、
最終的には象徴的な存在感を持つ
という形態論は大きな参考になる。
Tags: モノ, 倉俣史朗のデザイン, 川崎和男のデザイン金言
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10月13日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
10月 13th, 2022 Posted 12:00 AM
10月13日 友引(己亥)
傘という極めて現実的なモノを一時、
傘立てに収納するならば、
その形態は、
その機能は、
ということがデザイン造形の基本、
よって形態学でどう論理化できるのか、
ということになる。
傘立てに収納するならば、
その形態は、
その機能は、
ということがデザイン造形の基本、
よって形態学でどう論理化できるのか、
ということになる。
Tags: 倉俣史朗のデザイン, 傘, 川崎和男のデザイン金言
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10月12日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
10月 12th, 2022 Posted 12:00 AM
Tags: 倉俣史朗のデザイン, 川崎和男のデザイン金言, 美しさ
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10月11日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
10月 11th, 2022 Posted 12:00 AM
10月11日 赤口(丁酉)
むしろ、
用と美から開放された
使い勝手や美しさよりも、
そのモノの存在が意味してくる、
いわゆるモルフェーとしての存在感に、
魅惑されることやその崇高なまでの
象徴性にこそ、
美があると判断したい。
用と美から開放された
使い勝手や美しさよりも、
そのモノの存在が意味してくる、
いわゆるモルフェーとしての存在感に、
魅惑されることやその崇高なまでの
象徴性にこそ、
美があると判断したい。
Tags: 倉俣史朗のデザイン, 川崎和男のデザイン金言, 用, 美
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