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Posts Tagged ‘資本論’


『資本主義からの逃走』
 「吝かさと悔いを時代主義に問う」


   


     10月 7th, 2009  Posted 9:00 AM

民主主義の「吝かさ」(やぶさかさ)とは、
正と善への態度です。
資本主義への「悔い」とは、
欲と損得の葛藤です。
それが、人間の人生の
「生老病死」と「喜怒哀楽」を制御してきたのでしょう。
果たして、
人は、輪廻転生していくのかということは、
私には不可思議不可解です。
ただし、
主義主張が時代を支配していることに覆われるなら、
私は、「生と正、欲と吝、老と善、そして、病と運」は
その支配している何らかの超・意志があることは信じます。

これは、「ことば」=ディスクールと
「まざざし」=アイポイントによって、
個々人の認識が、時代主義と対峙しているものと考えます。
「資本主義」にまとわりついていた欲望の構図
それを、ひょっとすれば、
「民主主義」は、「歴史を終わらせていた」
という言説はやはり大きな誤りでしょう。
ならば、
新たなイデオロギー、
この言説すら変容させる創造がデザインです。
それがデザインに求められていると判断しています。


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『資本主義からの逃走』
 「修の行学から、イデオロギーデザインへ」


   


     10月 4th, 2009  Posted 11:29 AM

 ● 私は、民主主義の欺瞞性は、
  「多数決」にもっと疑いを持っています。

 ● 私は、資本主義の正当性は、
  「差別化」経済論理に不信を持ってきました。

 たとえば、
資本主義での社会福祉行政などは
絶対に不可能であったのです。
競争原理では福祉は慈善事業でのみ可能です。
それは、A.スミス「見えざる手」に従えば、
資本主義を推し進めるほど、
「最大多数の最大幸福」とベンサムに言わせましたが、
これは嘘です。
「最小公倍数的」な少数派は、「自助独立」だけが、
資本主義社会で生き延びることが可能です。

adamsmith 

M.ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」も
キリスト教条の強行を穏やかにさとされたものでした。
max_weber

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日本の慈愛も慈悲もなかったのです。
それを私たち、日本人はなぜ信用してしまったのでしょうか。

「戦後民主主義」に、
私は本当になじめなったかとことを告白しておきます。
私は歴史となっている「東京裁判」を
あらためて、見直すべきだと考えています。

「明号作戦」(wikipeadia)が、
どれほど東アジアを開放したかを私はここで書き残します。
それが、「修・行学としてのデザイン」です。
私が日本人デザイナーとしての、基礎的なイデオロギーなのです。


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『資本主義からの逃走』
 「日本の哀しみ、松柏後凋の心を語り継ぐ」


   


     9月 29th, 2009  Posted 9:36 AM

私は、米国内でも「資本主義の失敗論」が
最近は語られ始めていることに、多少、期待感があります。
しかし、それらは大きな間違いの論評が多いと感じています。
彼らは結局2008年に資本主義が失敗し失速状況に入っている.
と考えているのが余りにも多いことです。

failure-of-capitarizm

米国は、二大政党の入れ替わりによって、
自国の利得主義を第一義にし、
世界の先導国家意識に浸りきっています。
けれども私は、
日本人ゆえの、三つの争点を上げておかなければならないでしょう。

●「情報化時代の到来によるポスト工業下意識主義の終焉」は、
まず、西ドイツで予測(=意識社会化)されていたという事実を、
米国が主導したという勘違いがありました。
そのことは東西ドイツによって
「ベルリンの壁の崩壊」(*Wikipedia)=「社会主義の終了」になっていったのです。
実際的にもこの時点で、資本主義も終焉していたのです。
そのことに気づくことない金融工学という幻想学識の拡大と実践に、
資本主義のさらなる進歩というこれは妄想に米国は取り憑かれていきました。

●次に、共和党の「保守性」は、これも米国主導での中近東対策でした。
それは、天然ガスの剥奪戦=テロとの戦いとしていく9.11事件で、
さらに彼らは、その「保守性」の強固な保全、口実の明白さづくりに入っていきました。
その反省があったにもかかわらず、
今度は民主党の「保守の保全」がいかにも「革新」と言わんばかりに
アフガンのベトナム化再来に向かっています。

●そして、疑似資本主義である「市場経済主義」という社会主義を
中国全国民に隠避している中国の台頭は、
米国の予想以上であったのではないかと私は推測しています。

はてさて、この三つの誤認識を真正面から米国に指摘できなかった日本は、
アジアでの存在感を失って取り残されているという次第です。
「誰か知らん、松柏後凋の心を」と私はもう一度、
書き改める役割を感じています。
この役割は、橋本左内の辞世の句を持ち出すことです。
しかも、この重圧を生涯持ち続けなければならなかった福沢諭吉の存在です。
その代表的著作「文明論之概略」に集約し、
そこで語り残せなかったことにまで遡及しなければなりません。

bunmei


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『資本主義から逃走せよ』
 「資本論から逃走」することは、
 「新たな経済と文化へのデザイン闘争なのだ」


   


     6月 29th, 2009  Posted 11:59 AM

「米国ツアー・その1]

私は、この6月に2週間、
公務にて米国の三つの都市で講義と講演をしてきました。
在米シカゴ総領事館の企画でした。
それは本当にデザイナーとして嬉しい企画でした。
シカゴ、ニューヨーク、そしてワシントンにて、
「JAPANISE DESIGNS・DESIGNS made in Japan」というタイトルで、
その哲学とデザイン実例を紹介することができました。

chicago1

この米国ツアーでさらに私には、
「資本主義の終焉」を本当に確認する毎日になりました。
まず、在米総領事館・米国大使館・国際交流基金が、
「デザイン」を日本の産業と文化を看板にして
「日本を知らしめよう」という想いを実現していただいたことです。

実は、もう20数年間、とても悔しい思いがありました。
それは、海外のデザイナーたちが、来日してくると、
彼らは在日の大使館領事館の参事官クラスが必ずアテンドしているのです。
そして、彼らを日本の大企業に強力な売り込みをします。
親友のデザイナーだったりすると、
食事をする約束も、参事官は無効にされたことがありました。
また、とんでもないデザイン対価で、
とんでもなく評価できないデザインを押し売りしたデザイナーもよく知っていますし、
私のアイディアをアレンジというか盗作したデザイナーもいました。

しかし、日本では決して、
デザイナーが外務省との関係は無かったのではないかと思います。
そういう意味では、
今回、シカゴ領事館の総領事・久枝氏には限りない感謝があります。
確かに私は昨年の大統領選挙で、
副大統領候補だったアラスカ州知事・サラペイリンのメガネが
私のデザインだったことから、世界的な話題になりました。
ところが、久枝氏は、サラペイリンのメガネは、ひとつのきっかけになるだろうけれども、
それだけではなく、私の活動や著作から、
「貿易立国であるための必須条件であるデザイン・デザイナーの存在」を、
「日本のイメージ戦略」にしようと発案していただいたことです。

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『資本主義から逃走せよ!』
金融工学の始祖はマルクスだった_13


   


     4月 13th, 2009  Posted 11:00 AM

なんだかここまでマルクスの事を記述してくると、
私はまるでマルクス全否定論者のようになっている、
と感じている人もいると思います。

しかし、そうではありません。
思想として、「資本論」を受け入れるわけにはいかないだけです。

そして、マルクスについては、
生涯かかっても読み切れるはずもないほどの著作が氾濫していますが、
大きな間違いにはうんざりします。
たとえば、マルクスは数学が大の苦手だった、
というのは間違いでしょう。
苦手なら、「数学ノート」を作ってまで、
それをエンゲルスに説明用とまではしなかったはずです。

確かに、「資本論?」では、
数学的な記号での、特に「貨幣論」が展開されますが、
さほど高度な数学的な論理にはなっていないことは確実です。
もっとも、「資本論?」からはエンゲルスが書き残したと言われています。

いわゆる「経済学」の大きな根幹、要素には
「貨幣」の意味、「貨幣」の運用、「貨幣」のサイクル性が取り上げられます。

ところが、マルクスの時代には想像外、想定外のことが
世界の「金融要因」が発生してくることです。
想定外は、三つあると私は思ってきました。
さらに、「要因としての金融」と「金融とサービス」が
これからはさらに変貌することが想像可能です。

ともかく、その三つをあげておきます。

 ■ 「クレジット」信用を「カード」化
   これは「クレジットカード」というプラスチックマネーの登場です。
 
 ■ 「貨幣」は要素ではなくて
   「要因としてのスピード」はまったく想定外だったこと。
 
 ■ 「金融サイクル」は計算ではなくて、
   「金融演算」、すなわち、コンピューター上でのサイクル性は、
    即、「景気」連動につながった。

私はこの三つは、マルクスの「資本論」の想定外だった。
しかし、金融工学の根底には
やはり「資本論」がその基盤を構造化していたことは認めているのです。

この4月に、ある金融機関・銀行の「入行式」で記念講演をしました。
これから、金融業界・銀行人になる人たちに
「時代とともに働く意味」という話をしました。
この講演の根底では、確かに、私の金融への想いには、
マルクスの『資本論」があったことは確かです。
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『資本主義から逃走せよ!』
金融工学の始祖はマルクスだった_06


   


     3月 17th, 2009  Posted 10:14 AM

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マルクスの「資本論」を紐解いて読解するには、とてもいい方法があります。
漫画で見て理解するというのが手早いだろうと思います。
090317marx_manga      090317marx_nyumon

しかし、この漫画は作者の基本的な読解力が基盤だから、
自分の「客観性」をフル稼働させた方がいいでしょう。
それから、自分の「主観」と「客観」を組み合わせながら、
意識化することが大切だと断言しておきます。

「資本論」は、「価値」についての論説が基軸になっていると考えます。
私は、「価値」について、デザイン用語の一つとして定義しているので参考にしてください。
なぜなら、私は「資本論」への私なりの距離感をはっきりとしておくには、
私の「価値」の定義はその一つでもあるからです。
簡潔に言うなら、「資本論」は「宗教」であると考えてきました。
というよりも、私には、デザインが宗教であると言っておいた方が気楽です。
デザイナーという宗教家、いえ、デザインのエバンジェリストだと自称しておきます。
?
さて、マルクスの定義は、当時の「価値論」に縛られています。
「価値」は時代と社会によって、その意味と意義を変容させています。
よって、この変容にいたる変遷を遡及し、
さらに、「価値観」という意識に照合しなければなりません。
そうすれば、この論理の正当性あるいは論理観という意識が、
とりわけ、資本主義と民主主義社会に構造化されてこなかった理由がわかるはずです。

だからこそ、マルクスのすでに定説、あるいは教条的概念は、
「所有価値」と「使用価値」に集約していることを疑うのです。
この「所有」と「使用」が、
すでに、歴史的には、大きく変貌し、変質し、変容していることに
注視しておかなければならなかったことです。

私は、デザイナーという職能以前に、
高校時代にすでに、この二つの価値分類に大きな疑問を抱いていたのです。
そのために、いわゆる「科学的社会主義」が「宗教」だと直観してしまったのでしょう。
そして、デザイナーという職能になって、「所有」と「使用」の詳細をデザイン対象とすればするほど、
すなわち、この職能経験は、この疑いを明確にすることができたとさえ思っているわけです。
この定説化された教条的概念は、
「資本論」そのものをほとんど「宗教的」から、信心する人には、「宗教」になったわけです。
だから、社会主義が「宗教」そのものを排撃したことも、よく理解できます。


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『資本主義から逃走せよ!』
金融工学の始祖はマルクスだった_03


   


     2月 18th, 2009  Posted 12:34 AM

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そう思って、最近は、「龍」のブレスレットに凝っているのです。
なぜって?
ブレスレットと指輪は、母への挽歌ですから。

21年間、私を育てるだけの生涯だった母、
47歳で逝ってしまった母への想いがあるからです。
私の母は、美大に進学すると、ブレスレットと指輪を買ってくれました。

当時私は、「こんなの女々しいよ」と、ほとんど拒否的だったのです。
ところが母は、
「いいえ、これからの男は、ブレスレットと指輪をするべきよ」
と言われたのです。
母は私に、美大進学を俄然すすめてくれたのです。
「あなたに、医学部は似合わない。
生涯、赤い血を見て暮らすより、赤い絵の具を見て暮らす方が楽しいし、
あなたに似合っている」
という人でしたから、
彼女の言葉で、ブレスレットと指輪は、以来、私の大事な趣味です。

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男ゆえに、
チャラチャラして見えるかも知れません。
が、指先と腕にあるべき「かたち」ゆえ、
絶対に「美しいモノ」として、
身体化させる意味があると考えています。
これから、指輪やブレスレットのことも紹介します。

今、なぜ「龍」なのかというと、今年早々、夢に出てきたのです。
それに「龍」というのは想像上の動物です。
自分流に「描いてみたい」と思っています。
そして、「資本論」に真剣に向かっているのです。

マルクスを超える話にもどります。


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『資本主義から逃走せよ!』
金融工学の始祖はマルクスだった_02


   


     2月 16th, 2009  Posted 3:03 PM



資本主義は、狸が木の葉に息をかけて紙幣にしていたのです。
そして、やっと、世界中が気がついたのです。
なーんだお金=紙幣は木の葉!だった、ということです。

今、日本には哲学者がいません。
人生これまで最も敬愛し、かわいがっていただいた中村雄二郎先生は、
今はベッド生活なので、質問できないさみしさとかなしみでいっぱいです。
最近、どういうわけか「臨床哲学」を吹聴する学者が増えました。
けれども決して、中村雄二郎先生を超えられないことは明らかです。
フランスの哲学アカデミーが、認めた日本の哲学者は、西田幾太郎と中村先生だけですから。

人間は、自分の経験を買いかぶってはいけません。
歴史にもどって歴史から推測するのが基本でしょう。
それは歴史の背景であったその時の哲学だと、中村先生から教えられてきました。
だから経済学者に時代を予知し予測などできるわけがないのです。
だから、デザイナーの直感がきっと当たっていると思います。


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『資本主義から逃走せよ!』
金融工学の始祖はマルクスだった_01


   


     2月 13th, 2009  Posted 1:03 PM

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華甲になるから、私発言を始めます。
「金融工学はマルクスが言い出したのです」

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もう「資本主義はすでに終わっている・・・のに」!
何を血迷って、不況だ不景気だ!と騒ぐのかと思います。
すでに、こうした事態を予想しておくべきだったのです
そう思うと、三度目ですが、『資本論』を読み直すことにしました。

高校時代に読んだことがあります、全巻です。
大学時代には、結構懸命に読みました、大学生の基本的な知識だと思っていましたから
結果、よく『空想と科学』で共産主義に染まるものだと言わます。
しかし、私は、なんとも、こんな考え方は「全く間違っている」と思ってしまったのです。
だから当時もっとも盛んだった学園闘争など、本当に馬鹿げて見えていました。
それより、美大の実習課題をやりとげることが、苦しくもあり楽しいし懸命になれました。
マルクスの『資本論』は、高校と大学時代には、岩波の文庫本でしたが、
今度は思い切って、「全3巻5冊」というハードカバーを買い込みました。
1949年(私の生年)に、『マルクスの数学遺稿』というのが発刊されています。
すなわち、金融工学の始祖は、マルクスです。
これすら明言している学者は皆無です。
この「遺稿」は、エンゲルスに「導関数」を教えるノートだったのです。


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