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Posts Tagged ‘実装’


「原点回帰と思っている作品」


   


     2月 21st, 2012  Posted 12:00 AM

インダストリアルデザインは「ことば」で説明の無い世界です。
デザインされたモノが言葉的に昇華されていることが求められます。
そして消費対象になり消尽していくモノでもあるのです。
しかし、表現手法としてのインダストリアルデザインには、
その技法と物語りを仕込むことで消費を拒絶することができます。
ユーザーの形見になる可能性もあります。
そこで表現は量産できるような設計をできる限り完備することです。
そして、デザインとアートとの関係が
どこかで彷彿とされる印象が生まれることも起こります。
私がデザインを起点に恣意性を図ったことはアートへの近傍です。
もし、私の「生」が反映されていて、
その痕跡となるモノ=私のデザインということになれば、
それはいつの日かアート作品に経年変化すると確信してきました。
その代表例が「プラトンのオルゴール」になります。
1994年に発表し、2006年には美術館に永久収蔵されました。
したがって、これは私の原点回帰になっていると思っているので、
強調的な主張作品にしておきたいと考えています。
機械的なオルゴールが仕組まれ、
さらに、実像ではない虚像が浮かび上がる構造を持っています。
それはプラトンを知ろうとしてきた私なりの彼へのオマージュです。
音の世界にデザインで飛び込んだことゆえ、音=オルゴールの実装、
その筐体造形、造形言語としての完全無比な立方体、
私の「生」はこの中に閉じ込めること無く、
適うことなら、オルゴールの音に永遠性をと願っていたモノです。
私がデザインを学んだ金沢、その街にある金沢21世紀美術館に
永久収蔵されていることは、とても光栄で幸運なことです。
まもなく63年目の「生」を確認することになるので、
あらためて、私の「生」と原点回帰の作品を差し出しておきます。

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「SZ-1000・私のオーディオ最終作だから」


   


     12月 18th, 2011  Posted 12:00 AM

エレクトレット・コンデンサーカートリッジのイコライザーアンプです。
と言っても、分かる人は超オーディオファイルの人だけでしょう。
カートリッジは、レコードのピックアップ針であり、
その形式が静電容量タイプで駆動させるモノです。
その微少な電流をパワーアンプに送り込むための
プリアンプと考えていいでしょう。
30年前、東芝時代の最終商品となりました。
つまりこの商品を最後に車椅子になったために退職しました。
ところが今もオークションで
35000円(当時10万円)程度で取引されています。
実際にはエレクトレットコンデンサーの
カートリッジが無ければ不必要です。
このデザインは回路基板まで私自身が版下をデザインしています。
そして部品もすべてデザインし、
なおかつ実装内装までほぼデザイン意図を完全にさせたデザインです。
したがって、今も一部のマニアに収集されているのでしょう。
そこで、ここから何を読み取ってもらいたいかということになります。
それはオーディオだから、特に、電源や回路やコンデンサーまで、
すべてにデザインされていることによる
性能性と機能性があるということです。
このデザイン設計から、
たとえばヘッドホンアンプのあり方の基本が見えてきます。
私は自分自身がこのアンプデザインの経験から、
いかに製品デザインの部品とそのレイアウト、
そして部品設計の完成度を批評することが出来ると自負しています。
電源はグリーン・大地のエネルギーを表現し、
左右チャンネルアンプは、ホワイトで無色透明の音質感、
ボリュームによって、人間と機器とのつながり感を表出させています。
東芝でのこのデザイン設計が、現在私のデザイン原点になっています。

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「知財権・意匠権改変の対象となった商品開発」


   


     11月 25th, 2011  Posted 12:00 AM

一枚の鏡にすぎない存在。
私が新しいキーボードとして商品化しました。
名称は「COOL LEAF」。
米国での商標権では、これだけが認められました。
商標登録直後に、日産から「LEAF」という車種の発表、
これにはやはりという思いとやられたという思いがありました。
狙っていたのは「SMART LEAF」でしたが、
SMARTはあらゆる分野での流行的な冠詞的表現になっています。
さて、この商品開発には大きな三つの背景意図がありました。
まず企業戦略としての「ビジネス・デザインモデル」という思想。
素材開発と実装技術での新たな製品化と商品化。
既存のキーボードの徹底的な革新でした。
そしてデザイン上の問題では「意匠権の確立」が可能かどうか。
冒頭に記したように、「一枚の鏡」にすぎません。
しかし、荷重センサーと静電センサーにより、
仕組まれたLEDでキーボード表示文字が発光します。
したがって既存の意匠権によって、文様や表示が、
形態化されているかという審査に対応可能かという問題です。
しかし
これは特許庁の意匠権が知財権を進化させていく基本に合致しました。
よって、知財権の中での今後の意匠権、その代表例になりました。
特許庁がこれからの知財権を講習するときの三つの例の一つです。
意匠権確立になりましたが、
クライアントであるメーカーは、5人の弁理士によって登録されました。
これは私のデザイナー人生でも最初のことでした。
それでも、
意匠権を中心とした権利獲得範囲は狭いという意見も残りました。
このキーボードが一般化するまで、まだ多少の時間は必要でしょう。
けれども現在のキーボードは、
清掃後の便座上のバクテリアが5倍いると言われます。
こうした不潔性の解消には平板状がキーボードになることは明らかです。
まだMac対応製品が商品化されていませんが、
これが普及し出せば、キー入力ディバイスは平板になるはずです。
そして、私が問題と考えるのは、
革新的な実装=Configuration Layoutと、
新素材=この鏡面はナノテクでの2000枚のPET素材積層です。
こうした実装と新素材は、
必ず「かたち」での性能と機能を一新します。
「かたち」の一新こそ、デザインによる革新です。
この場合の知財権としての意匠権をも変革することが、
これからのデザインのあり方の大きな一つだと思っています。

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『資本主義からの逃走』
 「デザインは『付加』するものではないということ・3」


   


     7月 21st, 2010  Posted 12:00 AM

外観化の思想

私は、デザインを「付加価値」だと考えたことはまったくありません。
理由は簡単です。
当然、デザイン職能は「外観づくり=形態化」に集約された営為です。
しかし、「外観」は単なるハリボテを纏わせているわけではありません。
特に、機器であれば、筐体・基盤・機構などを「実装」します。
そして、それぞれの「素材」を熟慮しなければなりません。
ソファやイスなど、ほとんど「構成」された形態といえども、
内部の構成部品や構造から製造工程、流通・運搬工程に、本来のデザインは関わります。
「本来のデザイン」と改めて記述しました。
「デザイン」=形態化というのは、私自身、美大では産業美術学科であり、
まさしく産業のために美術を応用しようという時代を通過しました。
しかし、それはデザインを「制度」として日本に位置づけた官僚的な判断だったと考えます。
未だに大学教員の専門が「デザイン」は「美術」に配属されています。
結局わが国の文化的醸成度が大きく欠落していたからでしょう。
確かに、大学では産業美術としてのインダストリアルデザインを学びましたが、
美術的なテクニックはあくまでも「表現手法」として訓練されただけでした。
むしろ、「デザインの本質」としては、
「社会的・Socio・デザイン」と「革新的・発明を念頭・デザイン」や
「少数派のためのデザイン(現代的に言うユニバーサルデザイン)」など、
考え方や思想面を徹底的に仕込まれました。
企業内インハウスデザイナーになってからは、
さらに「発明や革新性や社会性、文化性」をデザイン部門は常に追いかけていました。
デザイン=意匠=外観化の基盤や背景・思想であり、
単純な「商品価値を強化する付加的要素としてのデザイン」は、私の経験の中では皆無でした。この私の体験は、決定的に「付加価値否定論」者です。
物語=モノ語り
私がデザインは「全体価値」と言うことを「物語」=モノ語りに焦点化させたのは、
次のような考え方がありました。
まず、「モデル化」;
すなわちデザインモデルは「数理的モデル化」に近似しているということと、
見本ではなくて手本、つまりサンプル思考では無くてテキスト思考だということです。
そして、いづれの「モデル化」にも共通しているのは、「構造主義的な思考」です。
これは、70年代からの社会科学に数理モデルの適用や、
文化人類学からエソノメソドロジーやセマンティックスが混在化しつつ、
「学際性」により専門性の解体が始まろうとしていた時期と共時できた幸運でした。
「物語」への構造主義的な論理に私は心惹かれるとともに、
自らのデザイン背景、「論理から形態と形態から論理」のインターラクション性、
ことばとかたち:かたちとことばを意識するようになりました。
結果、「付加価値というデザインはあり得ない」ことへの自覚と自信が、
私のデザインにも表れる様になったものと自負しています。


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『資本主義からの逃走』
 「製品要因は、実装技術というエンジニアリングの神髄」


   


     3月 2nd, 2010  Posted 12:00 AM

実装という設計
Apple社でコンサルタントだった当時、
もっともプレッシャーは英語・それも会議での英会話。
デザインは常にまずfeasibilityの検討から入ります。
二つの領域の技術検討です。
電子回路関係と筐体構造や機構設計関係でした。
そこで多用された言葉がありました。
回路関係ではLayoutであり、
機構構造ではConfigurationでした。
しかし、日本では、この両方の意味を兼ね備えた言葉、
「実装」という用語があります。
なぜなら、回路でも構造が出てくるとLayoutでは、
何か不足性が残るのです。
同様に、機構といってもその配置となれば、
Configurationでは、言いきれません。
Configuration Layout
私は「実装」をConfiguration Layoutと提案しました。
以後、私は国内でも、
実装=「コンフィギュレーションレイアウト」と言って
使っています。
つまり、回路と機構、その内部配置が外観を決定します。
だから、デザインの決定要因なのです。
要因というのは、要素という静的部品ではなくて、
動的要素を要因と呼んでいます。
素材という要素をどう「実装」という要因でまとめるか、
ということをエンジニアとの議論で高めていって、
それこそ発明へ向かわせるというのがデザインにとって、
最も重大で重要というのが、
私の基本的・基礎的なデザインへの態度です。
エンジニアには、回路の話にも割り込み、
筐体や機構設計にも割り込んでいく姿勢が必要です。
まさしく、デザインと技術、
デザイナーとエンジニアの関係が一体化したとき、
私はほとんど発明であり、
それが革新への道程だと考えます。
Technologist
そして、その「実装」と「造形」ができてしまう人間が、
これからの「テクノロジスト」であって、
こうした才能の育成が、技術・実装とデザイン・造形を
統合化できる教育こそ、これからのモノづくり教育、
ということです。
製品要因=実装は、技術から造形、造形から技術を
補完的に成し遂げるテクノロジカルアートだと思います。


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10月31日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     10月 31st, 2009  Posted 4:09 PM

10月31日 仏滅(己酉)

日本の凝縮化には一つの特徴がある。
それは、まず最初に大きさを設定し、
その大きさにともかくも形態を縮めて
実装してしまおうというやり方であり、
その際の大きさとしては、紙のサイズを
基準にするというものである。

『デジタルなパサージュ』日本の凝縮化実装


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