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Posts Tagged ‘川崎和男のデザイン金言’


11月11日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 11th, 2022  Posted 12:00 AM

11月11日 先負(戊辰)

オブジェクトとしての造形言語か、

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』13 造形言語の修辞学的手法


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11月10日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 10th, 2022  Posted 12:00 AM

11月10日 友引(丁卯)

造形された形態が、
何らかの偏差を見る者、
使う者に対して、
そのモノがオブジェクトであるのか
メディアになるのかは、
デザイナーにとっては、
これからの大きな課題である。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』13 造形言語の修辞学的手法


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11月9日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 9th, 2022  Posted 12:00 AM

11月9日 先勝(丙寅)

造形形態としての
「Sedia Seduta」は、
色彩対比やプロポーションの、
そのまとまりに美しさが印象として
際立っている。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』13 造形言語の修辞学的手法


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11月8日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 8th, 2022  Posted 12:00 AM

11月8日 赤口(乙丑)

現代、
モノは、モノとしての実在性や機能性よりも、
社会での構造性や象徴性をアフォードする
メディア効能と化していることである。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』13 造形言語の修辞学的手法


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11月7日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 7th, 2022  Posted 12:00 AM

11月7日 大安(甲子)

オブジェクト要素として
明らかに椅子となる造形語録を
ふたつ組み合わせるという方程式は、
文体を超越した文彩になってしまうという
発見になっている。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』13 造形言語の修辞学的手法


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11月6日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 6th, 2022  Posted 12:00 AM

11月6日 仏滅(癸亥)

ことば=言語感覚ではなく、
実在しているモノという
かたち=形態感覚の
現実感は空論にはなりきれない。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』13 造形言語の修辞学的手法


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11月5日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 5th, 2022  Posted 12:00 AM

11月5日 先負(壬戌)

「Sedia Seduta」は、
明らかに、
文彩的なイスであい、
トートロジー=類語反復という
修辞学的な表現であると明言して
かまわない。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』13 造形言語の修辞学的手法


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11月4日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 4th, 2022  Posted 12:00 AM

11月4日 友引(辛酉)

モノがオブジェクトであるのか、
または、
モノがメディアであるのかは、
修辞学的な造形言語の文体や文彩で
判読が可能になるということを
ひとつの革新のための
手がかりにしたい。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』13 造形言語の修辞学的手法


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11月3日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 3rd, 2022  Posted 12:00 AM

11月3日 先勝(庚申)

現在、
プロダクトデザインが
単なる表皮的な意味での
価値観で消費され、
さらに廃棄されてしまうのは、
デザイン意図の社会的な意義や意味性が
希薄になっているからである。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』13 造形言語の修辞学的手法


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11月2日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 2nd, 2022  Posted 12:00 AM

11月2日 赤口(己未)

危険であるのは、
無意識なままにモノを日常化させるときに、
メディアであるモノが、
オブジェクトであるモノなのかは、
人とモノの関係での重要な案件に
なってきていることを知っておくべきだろう。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』13 造形言語の修辞学的手法


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