kazuo kawasaki's official blog

12月9日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design



     12月 9th, 2022  Posted 12:00 AM

12月9日 友引(丙申)

デザイン意図は、
デザインを創造していくことと
デザインを批評していくこと、
この両面を、思考し、
洞察する質を高めるとともに、
デザインへの興味を豊富にしていくことが
デザイン文化論の構築につながっている。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』14 意味論としてのデザイン

12月8日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design



     12月 8th, 2022  Posted 12:00 AM

12月8日 先勝(乙未)

それでも、
その言い訳=デザイン意図には
理想や詩的な豊かさは
不可欠である。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』14 意味論としてのデザイン

12月7日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design



     12月 7th, 2022  Posted 12:00 AM

12月7日 赤口(甲午)

デザインの言い訳がデザイン意図で
あってもかまわない。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』14 意味論としてのデザイン

12月6日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design



     12月 6th, 2022  Posted 12:00 AM

12月6日 大安(癸巳)

モノの存在が顕示していること、
または隠蔽していることは、
デザイン意図による
形態化であり、
それはデザイナーの精神的な
創造活動だと断言できる。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』14 意味論としてのデザイン

12月5日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design



     12月 5th, 2022  Posted 12:00 AM

12月5日 仏滅(壬辰)

デザイン意図は、
単なる思いつきで形態化できたモノに、
あたかも最初から意図したごとく
アリバイづくりという
確信犯的な行為である。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』14 意味論としてのデザイン

12月4日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design



     12月 4th, 2022  Posted 12:00 AM

12月4日 先負(辛卯)

私は、
デザイナーがデザインするモノへの厳密性を、
ユーザーにもその厳密なまでの創造意図を
伝達していくことは、
デザインコンセプトの立案よりも、
形態のデザイン意図に重心を
かけるべきだと主張しておきたい。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』14 意味論としてのデザイン

12月3日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design



     12月 3rd, 2022  Posted 12:00 AM

12月3日 友引(庚寅)

デザイン意図は、
デザインテーマに対して、
完全なる決断的な規制や原理を
要求されるものではない。
けれどもそれは、
デザインが自由であることを
意味しているわけではない。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』14 意味論としてのデザイン

12月2日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design



     12月 2nd, 2022  Posted 12:00 AM

12月2日 先勝(己丑)

私は、
デザイナーの造形能力ということに
ある種の神秘性を感じざるをえない。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』14 意味論としてのデザイン

12月1日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design



     12月 1st, 2022  Posted 12:00 AM

12月1日 赤口(戊子)

私が敢えて「Minuit」という作品を
事例として意図しているのは、
デザイン意図というデザイナーの内面、
精神的あるいは知的、
文学的、美学的な観念の世界観、
その反映がデザインとして結実していくことの
重大さを再認識しておきたいからである。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』14 意味論としてのデザイン

11月30日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design



     11月 30th, 2022  Posted 12:00 AM

11月30日 大安(丁亥)

作者の意図がどの程度まで
達成されているのかを
調査するには、
使用時や有用時ではない、
まさに使用されるための
「存在させてみる」という
ことにデザインの本質があると
考えることの方が正解だと思う。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』14 意味論としてのデザイン