kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘責任’


『資本主義からの逃走』
 「商人の商売、その物が商品」


   


     3月 6th, 2010  Posted 12:01 AM

商人
殷=商の時代も歴史は周人によって滅ぼされていきます。
当然、商人はさげすまれて賤民となっていくのです。
集落も失いました。
そこで、彼らは行商という、これは技能です。
商売
「商売」を手に入れていくことになります。
「商売」技能とは、計算能力だったり、
多言語に精通していくことだったわけです。
簡単に説明をしてしまえば、
流民、いわばジプシーとなった彼らは、
農産物と畜産物を交易する仲介の立場になるわけです。
農産物をつくる人の環境では、
牧畜によって皮革や毛皮を得ることは出来ません。
反対に、畜産物を産出している人には
農産物は不可欠でした。
商品
だから、この取引の中間に彼らの存在があり、
「商人」、「商売」、「商品」という言葉が
認識されていくのです。
そして、現代に至る歴史まで、
この言葉は継承されてきました。
彼らは、そのまま「商人」と呼ばれ、
彼らが商いする物を
「商品」と言うようになったということです。
売る、ということ!
ところで、「商人」というのは、
「売る」ということがそのまま商売になりました。
「売る」という行為は、
うさんくささがつきまとってくるようになります。
つまり、彼らはただ、物=商品を持ってきて、
なんらかの言葉で、
その物の売り込むだけで儲けていることになります。
農作物を季節に合わせたり、
畜産のために労働をしているとは思われないのです。
いわゆる中間的な利益だけで、
金儲けをしている人々であるということになるわけです。
仲人口というのがあります。
見合い結婚などで、結婚するのに、
いかに良い相手であるかということを、
「売り込む」ための手法だと思います。
「商人」の役割は、
どれだけ自分が物=「商品」を持ち込んできて、
買ってもらうには、
これだけの価値があることを「売り込む」ことが、
商人の役割であり、権利であったわけです。
当然ながら、
その「商品」に対する責任を持つことが義務でした。
「商品」が買っただけの価値がなかったとするなら、
その商人の信用は大きくくずれ、
彼は商売が不可能になるということが、
商道徳の基本になります。
商慣習と商道徳や商倫理になっていくのです。


目次を見る

『資本主義からの逃走』
  「民主主義との思い違いと資本主義の日本化を急げ!」


   


     12月 31st, 2009  Posted 10:00 AM

本年度の愛読に感謝します。

60歳最後の発言です。
私の世代・団塊の世代という呼ばれ方は大嫌いです。
そして、同年代でありながら、
青春時代に、やれフォークだ、学生運動だと言っていた
「禿頭になって、入れ歯」の連中は、
すっかり、「骨無し」になっています。
私は「枯れません」。

「枯れ方」を先般、ある花人の活け花に見ました。
これほど、日本の伝統性・保守性・美学性が
踏みにじられた現状に、来年も発言をしていきます。

●UNESCOに認定されてそのお墨付きでやっと、
「デザイン都市宣言」の街・神戸と名古屋は馬鹿です。
●ISO認定など捨てるべきです。
 欧州の企みなどに騙されてきました。
 サスティナブルは「欧州の存続」という経済用語です。
 ISO9000・ISO14000・ISO1340など廃棄すべきです。
●ODAなど即刻中断すべきです。
●在日米軍基地も、明確に「決定」すべきです。
●大東亜戦争は、必ずしも侵略戦争ではありません。
●戦争時の狂気の責任を未だに反省を求められること、
 断固、拒否すべきです。
●「少子化」がそんなに大問題でしょうか。
 人口の増減以上に重大なことを見逃しています。
●国会議員の「多数に権力」構造こそ、偽善です。
●なぜ教育費まで税金でカバーするのでしょう。
 進学意志も無い子供たちを育てる親が支払うべきです。
●それよりも医療制度が大事です。
●もう一度、大学教授資格を確認すべきです。
●「少子化」にも関わらず大学新設が増えるのでしょう。
 大学まで「天下り先」だと知らしめるべきです。
●「コンサルタント」という職能を疑います。
 特に、デザインコンサルタントなどは、
 デザイン不能の集団だと考えて下さい。
●「女々しい男」を認めません。許しません。

ということを、明日からも発言します。
これまでのご愛読・ご笑覧を心から感謝します。
くれぐれも幸運で幸福な新年を祈念しています。

行学成就祈願宣言


目次を見る

『資本主義からの逃走』
 *「志」ある者たらんとすべし*


   


     11月 9th, 2009  Posted 9:57 AM

「新渡戸国際塾シンポジウム」に参画しました。
国際文化会館で開催されました。
nitobe01

最近はなんといっても、
この会館は、私の東京の仕事場です。
ここは恩師の推薦で会員になりました。
もうすっかり、会館の方々とは仲良しです。
シェフは、私の「好き嫌い」も見抜かれていて、
深夜にたどり着けば、夜食をいただいたり、
風邪っぽいと、特製の飲み物をいただいたりという
とても心地よい場になっています。

東京の中心でありながら、すばらしい緑に囲まれ、
美しい庭園をながめてひたすらスケッチできる場です。
デザインの会議やプレゼンテーション、研究会議まで
お世話になっています。
この会館の生い立ちは、ともかく国際交流や海外からの
学者・芸術家のホテルにもなっている場所です。

「新渡戸国際塾」に入塾するには高度なテーマで、
その論文審査があります。さらに面接です。
そしてバイリンガルでなければ塾生にはなれません。

今回は、その第一期生企画のシンポジウムで、
テーマは「日本の突破口を探る」という難解な課題に、
まずパネリストとして、15分間議論への私論を
プレゼンテーションしなければなりませんでした。

いつもの私流のために、親友である撮影監督の柏原氏に
人工心臓3rd-Modelを撮影してもらいました。
もうたまらなく美しい映像を
撮影そして編集してもらいました。

ともかく、私は、PKDとBOPへのデザイン実務への「志」を語りました。
塾生は、これからのリーダーになっていくことを、
自らも自覚し、周囲からも期待されている世代です。

091109kokorozashi

につきると思います。
撮影監督の柏原氏は、
大事件でのスクープ撮影では、伝説をなし、
世界遺産を撮り、今、最も美しいCFは彼です。
その彼と私には共通することがあります。

http://frameof28mm.blogspot.com/2009/10/blog-post.html
撮影監督の映像制作ブログ Frame of 28mm
「図書館の人々」を読んでください。

彼は、独立して、どれだけ芸能関連やワイドショーに
関われば、プロダクションとして自立できるかを
知りながらも、一切、関わらなかったプロです。
私もこの仕事をやれば、金になるのだが・・・
ということを拒絶してきました。
私は、幾たびも、デザインが実現しなければ、
デザイン料をクライアントに突き返してきました。
今も、その信条はくずしたくありません。
「志」が狂えば、「美」は遠のいていくのです。
自分の役割と責務を放棄するデザイナーなどは、
殴り倒したいとすら思っています。
そんな勝手な輩がデザイン界にいることは無念です。

「新渡戸国際塾」のみなさん、「志」です!
自分には、嫌いで、嘘っぽくて、損をしても、
「正しい」ということに、
命をかけられるか、でしょう。
人道と人情の話、民主主義の正しい解釈と有り様を、
国際的に発言し、実行しているパネリストの方々から、
新たな勇気とかつてからの「志」に目覚めました。

nitobe02


目次を見る