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『葉巻文化と筆記具文化の統合性は凄いのだ!』


   


     2月 22nd, 2015  Posted 12:00 AM

絶対禁煙を心がけてきた私でしたが、
喫煙風習と人類の文化性を否定することは出来ないものでした。
そこで、60歳を過ぎ、しかも心臓障害者でもあることからも、
全否定論者でしたが、ドクター、訪看ナースに止められてしかも
このコトを記すれば、ワイフは勿論、数名に叱られます。
けれども、文化の神髄に潜む私なりの美意識については、
なんとしても見識の深度を求めに求めました。
ところが、流石に風邪にやられて体調もおかしいともなれば、
反省の極みにまで引きずり込まれてしまっていました。
にもかかわらず、とうとう、「そうか、ここまでの展開が!」、
ということで、ヨーロッパから葉巻そのままのボールペンが来てました。
ベッドで寝込みながらも、このボールペンを使ってみたいまでに、
私は葉巻の書籍を徹底的に読みあさっていました。
コヒーバ銘柄を選んでボールペン化したセンスの深さには、
キューバ産独特の歴史性があり、隠れ知られた銘柄歴史こそ、
私は葉巻文化と筆記具文化とのことこそ「統合性」の証を認めます。
確かに、煙草文化は健康的な大問題での全否定は確実であり、
だから葉巻ならというのもすでに科学的には否定に向かっています。
そうした時代的科学性の否定をも包み込んでも、
私は、この筆記具の文化的な背景には美学性を認めざるをえません。
そうなれば、なおのことあらためて健康を求めざるをえないのです。
風邪をひいても38.5の高熱でも本は読めるのですと、かってはOKが、
今回はとても無理だと知らされました。
葉巻に関する本を読みあさり、それこそそこまで読まなくてもとかを
プロからまで言われて、しかも、筆記具発見をしていることでは
大いに呆れられる有様でしたが、私は大満足のなかで、
なんとしても元気にならなくてはいけないことを、
コイーバの葉巻伝統の文化ゆえに、この統合的な展開を
本当に「身をもって分かった」と言っていい経験のモノでした。
この筆記具の性能性は、
スタイラス重量感の最適性を完成させていることを知りました。

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『知ったとしても、ダンディズムがあると思う!』


   


     2月 7th, 2015  Posted 12:00 AM

私にとって、このブログを連日連夜書き続けることは、
私の決定事項であり、私確認、私の修行、行学だと思っています。
昨夜からまた書き始めました。
風邪を引いて寝込んでしまい、どうしても書けなくて、
きっと連夜読者諸兄の方々に心配かけてしまっていると思いました。
また、今夜取り上げることも、テーマは葉巻ですから、
もう禁煙している私が書けば、心配されて叱られることも承知です。
しかし、もう60を過ぎたのだから、禁煙を辞めようとか、
真剣に考えてしまいます。が、やはり、喫煙が癌の原因は明確です。
それでも、私は深く考え込んでしまいます。
やっと煙草を吸うことになって、私は、人類と煙草の関係を
相当に調べたことがあります。
なんといっても名作は、ダンヒル氏だったと思いますが、
人は、地面に土で小さなトンネルをつくって、
その前で煙草の葉を燃やして、その煙を吸ったことから、
現在の煙草、それこそ、その文化史が始まっていきます。
特に、男性には、ダンディズムとしての葉巻やパイプに至ります。
先般も、担当ドクターに尋ねました。
「たまには葉巻はアロマセラピーですよね」、
「ダメですからね」・・・・・・(やっぱりか)・・・でした。
それでも、私は葉巻の本を何冊か読み、ますます心惹かれています。
そうしてとうとう発見してしまいました。
新年毎に限定されて登場する今年=未年記念の葉巻でした。
あぁ〜なんとしても本物が見てみたい。しかし・・・
ワイフに叱られること間違い無しです、
が、自分で確かめないことには、この想いを再確認することは不可能
というわけで、この葉巻が届きました。
素晴らしいケースに収まっているなんとも言い難い葉巻でした。
まだ、喫煙しているわけではありませんが、
葉巻が癌と関係など本当にあってほしくなかったと思います。
出来るならば、毎年、このシリーズを目前に置いてみたいと思います。

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『「葉巻」にはダンディズムが確かに宿っている』


   


     11月 19th, 2014  Posted 12:00 AM

私は45歳で完全に禁煙をしました。そして、盟友たちには、
会えばすぐに執拗に禁煙を強調していましたが、
私自身60代になってからは禁煙をすすめることをすっかり止めました。
今なお、喫煙を絶対に止めない盟友たちは、日本の才能です。
私が禁煙したときには、喫煙の道具、パイプも捨ててしまいました。
今になって、喫煙が体に悪いというサイエンスの証明は、
とんでもないサイエンスだと言わざるをえません。
私自身、初老になったら、絶対に「葉巻」なんだと思っていました。
だから盟友たちに見習ってもう喫煙も構わないだろうと思っています。
おそらく、この話を書けば、ワイフはじめ叱られそうですが、
最近は「葉巻」のイロハを習っているくらいです。
葉巻は癌に無関係であって欲しいと思っていましたが、やはり喫煙。
サイエンスを恨まざるをえませんが、
葉巻の香りはアロマセラピーだと思っています。
そして、無論、人類が喫煙に目覚めてその文化は本当に豊でした。
しかし、禁煙はそれをすべて壊してしまいましたが、
もはや、葉巻とその葉巻周辺のモノの歴史はダンディズムです。
したがって、タイムレスプレッシャーという喫煙の一服は
人類が培ってきた確かな文化だと言わざるをえません。
それこそ、湿度を70%で自然物である葉巻の管理から、その周辺に、
私は心を惹かれていますし、それこそ、カーボン製のモノまでが
すでに出来上がっていたのをみると、これは喫煙ではないとさえ、
私は主張したくなりますが、まだまだ私には知識がありません。
先般も葉巻の専門店で話を聞いていて、その深さに圧倒されました。
そこで、もう唯一になってしまったジッポーのライターを、
部品一つ一つから、すべてをやり直しました。
先般も、盟友と食事をしたときに、たばこと葉巻をプレゼントして、
彼はびっくりしていましたが、
「もう、人生も最期だから」と言ったら、深く納得していました。
私は、絶対に人生の最期までに葉巻への知識は存分にします。

『きっとまた心配されると思うが・・・ダビドフの文化』


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『きっとまた心配されると思うが・・・ダビドフの文化』


   


     10月 15th, 2014  Posted 12:00 AM

私は心臓を患ってから確かに禁煙をしました。
すでに正直、駅構内などで喫煙をしている場所は耐えがたい空気。
喫煙と癌の関係も明白な現在、喫煙は罪悪的な行為になっています。
私は父からタバコはこれからとロスマンズを渡されました。
先般、パリでロスマンズを見つけて1カートン買ってきました。
私の周囲にいる日本の宝とも言える、建築家、編集家、舞踊家にも
禁煙を結構厳しく言っていましたが、60になってから辞めました。
というより、私も65になったんだから、もう構わないとすら、
そう思うようになっていますが、ワイフはじめ周囲からは
厳格に叱られています。
しかし、紙巻きたばこ、パイプと、言わば学んだ実践ダンディズム、
これは忘れがたいことがあります。
ただ、パイプにはそれなりの記憶がありましたが、
葉巻については、まったく無知識でした。ところが、最近、
そのプロの方から丁寧な説明を受けました。
葉巻は全てが自然物であり、パイプ煙草のような加工零とのこと。
特に、葉巻で最高峰と言われているダビドフについては、
その長さや喫煙での室内アロマセラピー的な効果などに惹かれました。
ナンバー2に始まってナンバー2に必ず戻ると言う話は、
私をとことん惹き付けました。つまり、葉巻を始めると、
様々な葉巻それらを自分にあうかどうかで逡巡しますが、結局は、
このサイクルに戻ってしまうということです。
私なりに調べてみれば、葉巻も癌とは関係があることは明らかです。
周囲を巻き込む可能性もあります。
それだけに、シガーバーの存在があるわけです。
ただ、私をひきつけたのはこのブランドではパジャマがあったこと。
葉巻の高級ブランドのモノづくりは、結局、眠りへのコトデザインを
パジャマにアソート化していました。
喫煙、禁煙、癌との関係、ゆえにであっても、確実な文化性です。
そして気づいたのは、デザイナーがデザイン対象として灰皿、
今では全く代表作になりませんが、葉巻用というのは無かったこと、
すべてが紙煙草であり、葉巻喫煙作法の灰皿を探したいと思っています。

『タバコ・喫煙再開せず』
「酒とタバコと、そして・・・」
『出張したホテルでも・「眠りの鎧」として』


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「チョコレートの決定打は決まっている」


   


     9月 22nd, 2012  Posted 12:00 AM

私の世代はMeijiの板チョコで育ちました。
だから、どんなチョコレートも私は受け付けませんでした。
それが信念というものです。
そのパッケージは亀倉雄策デザインでしたが、
最近、パッケージが変わってしまってから、
私のチョコレートへの感覚は一挙にそれこそ「革新」したのです。
チョコレートといえば、もうブランド定番があります。
そして、「大人の味」といえば、ともかくカカオ70%以上でしょう。
そして、ブランド定番では、
必ずこの72%は欠品になっていることが多いのです。
もはやミルク系31や72%ではもの足りません。
せめて74%以上でなければダメになりました。
これはほとんどクセになる苦みが必要になってしまっています。
そして、最近はとうとう100%です。
スタッフからもそれは苦すぎるとか言われますが、
「子供だな?」と言ってしまいます。
正直、最初はこれは薬に近いと思っていましたが、
まったく、身体が受け付けてくれるのです。
ということで、
100%が最も身体にも効いてくる
チョコレートの核心だと思うようになりました。
本当は、60を過ぎたら葉巻にしようと、
若いときにはパイプタバコに拘っていました。
でも、チョコレートはMeijiの板チョコ以外は、
たとえ高級ブランドの海外物であっても、
私にはほとんど味覚的な楽しみは皆無でした。
そしてMeijiのパッケージが正直、私には馴染みがすっかりなくなってから、
様々なチョコレートを試してきた結果が、カカオ100%でなくては、
チョコレートではないとすら思うようになりました。


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「酒とタバコと、そして・・・」


   


     2月 14th, 2012  Posted 12:08 AM

車椅子になってから酒はなぜか飲めなくなりました。
幸いというか、母方・父方両方とも酒は上戸でしたから、
酒は大好きでした。
ウォッカやニコラシカなどたまらなく好きでした。
ウィスキーは、父から高校に入ると教えられました。
「外でいづれ飲むようになるだろうが、
まだ駄目だから家で私と飲め」と言われて、
バランタイン17年をオンザロックで飲むようになりました。
「ウィスキーは水割りは造った人に申し訳ないから、
必ずオンザロックにしないと駄目だ」と言われました。
最初は、こんなもの、
美味いわけが無いのに・・・なぜ、って思ってました。
タバコは大阪で浪人し、帰省したとき、
母がチョコレートを帰阪するときにくれようとしたら、
「もう隠れて吸い始めているのか?」と父。
「いや、まだ吸っていない(いたづらで友人と始めたところでした)」。
「それなら、このタバコにしなさい、
ただし、これは洋モクだから、自分で買えるようになるまでは駄目だ」と。
それは、ロスマンズでした。
Aurexのデザイナーになってからは、
私が担当した機種の商品カタログには
必ずロスマンズを背景の小道具で入れてもらっていました。
心臓を悪くしてからタバコはきっぱり辞めました。
タバコも紙巻きやパイプも随分と凝っていたものですが。
老年になったら葉巻も本当に徹底したいと思っていたものです。
ウィスキーも名古屋市立大学病院時代は禁止されていましたから、
きちんと守ってきました。
阪大では「少しだけなら」とドクターに言われています。
そこで、最近は、日本酒・ワイン・ウィスキーを、
(もう人生終盤でいいだろう)と飲むように復帰しました。

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『資本主義からの逃走』
 *「酒とタバコとゆで卵」*


   


     10月 10th, 2010  Posted 12:00 AM

Flag, Mother, and Apple pie

「Flag, Mother, and Apple pie」というフレーズ。
これは、アメリカ人の誓いの言葉と言われています。
国旗とお母さんとアップルパイ、これらが米国への愛国であり、
自分存在の自愛から他愛への決意だということです。
私は、一人っ子でした。だから、私が米国風のフレーズを「父」に向けると、
「酒とタバコと、そしてゆで卵」になります。
お酒は、高校に入るともうOKでした。ただし、夕食時に父の相手をさせられました。
まず、ウィスキーのオンザロックでした。決して水割りは飲むなと教えられたのです。

Ballantine’s 17

そして、「バランタイン17年」でした。
父は、ともかくウィスキーはそれなりのモノでなければいけないということで、
私への酒に対する鍛え方をしてくれたのだと思っています。
最初は、「こんなものが美味いわけがない」とすら思いました。
幸い、父方も母方も酒は上戸系で、まったく「強い家系」でした。
美大に進学して、酒に強かったことは幸運でした。

Rothmans

タバコは浪人時代に、母がチョコレートを汽車の中でと手渡してくれるとき、
父は「もう、コレにしろ」と18歳でOKでした。これも、「ロスマンズ」でした。
「ただし、タバコをやるなら洋モク(外国タバコ)で、
就職するまでは国産、時々、これは買ってやる」ということでした。
そして、何かというと父はゆで卵をつくって、これを二個持っていれば、
空腹でも2日は大丈夫とか訳のわからないことを言っていましたが、
「ゆで卵は、ごちそうなんだ」というのが口癖でした。
ウィスキーは「バランタイン30年」をいつかはと思いつつ、
「バランタイン・ファイネスト200ml」は出張には必ず持ち歩いていたものです。
就職してからは「ロスマンズ」を、
喫煙どころか、自分がデザインした音響製品のカタログには必ず演出小物にしました。
当時のカタログはヤフーで手に入れています。確実にこのタバコが演出品に写っています。
しかし、車イスになってからは
「酒・ビール」はもちろん「ウィスキー」も美味いと思わなくなりました。
しかも心臓病になってからは、すっかりとやめました。
タバコはなかなかやめられず、「シンプトンズ・禁断症状」という灰皿までデザインしましたが、
心臓病でいっぺんにやめることができました。
海外空港の免税店で、ウィスキーそれぞれの銘柄を見ると父なりのそれぞれの評価を思い出します。父は、晩年は「バランタイン30年」でした。
タバコは父はまったく吸っていなかったので、もらい物を私にくれていたのでした。
ところで、ゆで卵は今なお大好物です。
「酒とたばこ、そしてゆで卵」は、父との思い出であり、
父から教えられた色んなことの象徴です。
70歳になったら
最近、もう心臓のこともありますが、「バランタイン」を飲みたくなります。
さらには、ウォッカの「ニコラシカ(本来はブランデーベースのカクテル)」風に、
レモン一片とわずかの砂糖で飲みきる、そんな夢をみることがあります。
70歳まで生きられたなら、バランタインや葉巻これも銘柄決めてますが、
絶対に楽しみたいと願っています。
おそらく銀髪に近い白髪になることも祖父のようになれそうで楽しみです。


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