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Posts Tagged ‘永久収蔵’


『車イスデザインに取り組み、今や、電動車椅子と制度改革』


   


     10月 6th, 2014  Posted 12:00 AM

私が自分自身で車イスに取り組んだのは、今は亡きK氏からでした。
K氏は大デパートの生活用品本部長で無印良品の最初の仕掛け人。
この大デパート支援でコンピュータ制御ベッド開発もしました。
無念ながら、K氏はゴルフ場で倒れ入院、癌が見つかり急死でした。
彼は最初、自転車メーカーから名古屋の日進医療器を紹介、
私はその企業の元社長と2年契約でスタートしましたが、
まだ中小企業の事業には大きなテーマをぶつけていました。
結局、そのメーカーに「NISSIN」のロゴタイプを最後に契約切れ。
大学の後輩が鉄工所の跡継ぎだったことから、そこでチタン溶接から
アルミハニカムコア車輪で「哀しみのためのデザイン」車イスを開発。
スニーカーのような車イス「CARNA」はINAXと福井の大電産業が
スポンサーとなってもらい、それはMoMAや幾つかの美術館に
永久収蔵される私の代表作になりました。
しかし、最近では、私の体力も落ちてきたことや、
リチウム急速充電バッテリーの米国製の車イスを使用しています。
だから、次のテーマは、もっと軽量でsegway的な車イスをと、
自分のデザインテーマにしています。
電動車椅子によって、行動範囲は著しく拡大しました。
が、社会の交通制度、航空機と鉄道ではいくつものトラブルを経験。
航空機は、ようやくですが、リチウム電池は機長判断という
未だに古い慣習になっていて、いつもトラブルを経験しています。
鉄道では、新幹線と特に毎月、ふるさと福井へサンダーバード乗車、
伊丹空港や新大阪駅では顔なじみになっていますから、
ほとんど通過できますが乗船乗車のシステムは制度改革すべきです。
おそらく、身障者の人は文句も言わずにいる者と思いますから、
私は「ここがまずい」とか「海外に恥ずかしい」を連発しています。
ワイフにはいつか「刺されるよ」と言われますが、
私は言い続ける役目だと思っています。

『そろそろ電動車椅子デザインの時期=一人称デザイン』


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「現代の道具・LSIのやり直し」


   


     5月 26th, 2013  Posted 12:00 AM

「道具を売る証人」=ミシェル・フーコー。
彼の音楽ならビートルズの「オ−!ダーリン」、
これが2004年の個展「プラトンのオルゴール」展の作品です。
2006年、金沢21世紀美術館に永久収蔵と個展開催。
M.フーコーをほとんど読み尽くして敬愛していた私は、
まさに、1980年代から集積回路=LSIの決定的なモノとして、
これをオルゴールに仕込みました。
なぜなら、一般的にはMC68000はミニコンLSIながら、
Macintoshを産み出し、これが現代文明を大革新したからです。
だから、私は現代の「道具の証拠」として、
その役割をM.フーコーとし、その音楽をビートルズから選び、
売られてもいなかったその曲のオルゴールを作品にしました。
この展覧会には、インダストリアルデザインがアートになりうる、
この思いを証拠立てることでしたが、
私がデザインを学んだ金沢市は作品を買い上げました。
おそらく、現代のパソコン、その完成品だったMC68000を知る、
そのような人は数少ないでしょう。まして、
集積回路=LSIの進化は、情報技術・電子技術の最高峰だと、
今でも暗黙知になっています。
しかし、私は異議申し立てをしなければなりません。
LSIの根本的なやり直しが必要になってきました。
たとえば、電子回路にLSIが並べば、その消費電力は大きく、
もはや精度制御しなければならない発熱量の大きさです。
私は、インターネットでクリック2回で、
カップ一杯分のコーヒーができるとまで断言しています。
それは、LSIで閉じ込められた現代文明では、
その消費するエネルギー=電力の消耗量を端的に比喩しています。
そこで「再生エネルギー」を
太陽電池だ、風力発電だというのは、将来性を隠避しています。
もし「再生エネルギ?」が可能になっても5%程度ゆえ無理です。
だからこそ、私たちが再度考え直すことは、
LSI神話を終焉させることです。
私はあらためてM.フーコーが、
なぜ、自分を「道具を売る証人」と言い切ったのだろうか、
現代道具であり続けてきたLSIを根本で変革することにこそ、
わが国の頭脳が祖国をもう一度、本当に豊にするだろう、
そんなことをこの作品コンセプトで確認しています。
すでに現物作品は美術館の倉庫に眠っています。

* 詳細は私の著作「プラトンのオルゴール」再読を!


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「シリンジの問題解決・2006年から取り組んできた」


   


     1月 20th, 2013  Posted 12:00 AM

2006年は、様々なことが起こりました。
金沢21世紀美術館で35年間のデザイン活動発表の機会と
作品が永久収蔵されました。
あれだけ大きな国内での「個展」は二度とできないでしょう。
だから、本当に命がけで取り組みました。
それは身体に大きな影響を受け、「敗血症・多臓器不全」にて、
重篤状況にまで追い込まれました。
三度も「あの世」への道を往復したことになります。
運良く帰還したときに直感で、
「ワクチン開発をやろう」と研究室に告げました。
PKD=Peace-Keeping Designの具体的活動は、ワクチン接種でした。
そこで、シリンジの開発に向かいました。
現実案とアドバンス案(画像写真)を発表し、
国立循環器センターからある医療機器メーカーを紹介されました。
現実案は米国の大手医療機器メーカーにもその情報は届き、
シンガポールの開発室が大学に訪ねてくるほどでした。
ところが大問題に直面することになりました。
それは、もはや国内では
いわゆる注射針=ニードルの製造生産ラインが
無いということになりました。
これは、日本にとって大問題です。
いわゆる注射針での接種は、「経皮接種」です。
したがって、経皮・経肺・経鼻などの研究も研究室のテーマになり、
博士後期課程では、この問題に深く関わって、
一人、工学博士号取得者も生まれました。
ドライパウダーでのワクチン開発がまだまだ時間を要することも
次第に明らかになってきました。
そこで、
「経鼻」=鼻から吸い込むというシリンジ開発が目標になりました。
これはより具体的には
「結核ワクチン接種」をテーマにすることに至りました。
そのためには、結核かどうかの検診を遺伝子検査と、
そのシステム開発もともないながら、
その検査システムや検査機器の開発まで及びました。
そして、同時に「経鼻吸引接種」のシリンジが具体化してきたわけです。
昨日ようやくメーカーから、
そのシリンジがデザインどおりに
モックアップモデルが出来上がってきました。
5年かかりましたが、
結局は電動シリンジなどまでが開発アイテムとして拡大しました。
アドバンスからのスタートでも時間が加わって「造る」こととは、
しみじみと実感しています。
そして何よりも「ワクチン開発」は、
適塾・緒方洪庵の牛痘接種の歴史を
阪大は系譜として連続してきた伝統だと言うこともできます。


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「ボールペンスケッチのためのモレスキン」


   


     5月 27th, 2012  Posted 12:00 AM

2006年に金沢21世紀美術館に作品が永久収蔵されました。
その時に、私はスケッチを残していない事を諭されました。
私はアイディアスケッチなどは「製品化・商品化」終了で、
そうしたメモなども廃棄してきました。
もう「製品」が残ればそれでいいとさえ思っていました。
無論、スケッチは毎日何らかを描いてきた40余年です。
したがって、様々なスケッチブックやノートには、
まったく一貫性がありませんでした。
そんな折りに、
モレスキン社企画でスケッチ展への出品を求められました。
その時に、モレスキンのジャパニーズスタイルを使ってから、
今後はこれに何でもスケッチはボールペンで描き、
それから色鉛筆で着彩することにしました。
だから、いつでもモレスキンとボールペンは持ち歩いています。
当然、描きやすいペンや色鉛筆に神経を尖らせてきました。
そして、iPadで最近はスケッチも「身体化」しています。
それだけに、iPadのスタイラスペンの書き心地は、
ボールペンとの経験が基本になっています。
左から、

  • グレタガルボ(モンブラン)とても美しい曲線
  • デユオフォールド(パーカー)重量バランスとシルバー仕上げ
  • オペラ ブルーベリー(ビスコンティ)素材開発の素晴らしさ
  • ショートサイズ(モンブラン)

これらが気に入っています。
ボールペンのリフィールはそれぞれのメーカーですが、
持ちやすさや重量バランスで指先感覚との相性がいいのです。
だから、スタイラスペンにもこの感覚を求めています。
さて、このスケッチは、
最近作の有田のティーカップ・プラチナ釉薬仕上げを意図。
間もなく販売開始になります。

モレスキンは一冊描き上げたらワイフにプレゼントしています。
ひょっとして、私があの世に逝ったら、
高額な「芸術作品」になるかもしれませんから・・・。


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「まだまだ見つけ出すことがある、ようだ。」


   


     5月 10th, 2012  Posted 12:00 AM

日本の文房具は、本当に、とても優れています。
「日本文具大賞」の審査委員長になって以来、
このことをつくづく思います。
私自身の作品にも「ハサミ」がありますから、
ことさら、「ハサミ」の新製品を見続けてきました。
人類が「切る」道具を見つけ出したことが文明の起点です。
特に、「ナイフ」と「ハサミ」はどれほど心血を注いで、
人類は新製品を見つけ出そうとしてきたでしょうか。
私の作品は、海外美術館に永久収蔵されていますが、
まだまだ見つけ出すべき事があると思い続けてきました。
だからプロトタイプのまま、まだ何かが欠落している、
そんな思いを残して試作品にしているモノがいっぱいあります。
そうしたら、最近、この「ハサミ」には脱帽です。
刃先角度が常に30度になる刃先カーブを発見した結果商品です。
そして、プラスチックもダブル射出成型です。
「切れ味」と「使い勝手」は、現在は最高でしょう。
刃物メーカーを知っていますから流石の実力を認めます。
文房具業界の切磋琢磨の企業競合状況の活性的な活動に敬服です。
「世界でナンバーワン」は、日本の文房具業界でしょう。
私は、このカーブ刃先のハサミとここまでミニチュアなハサミ、
とても素晴らしい商品にまとまっています。
今年の文具大賞の選考会がとても楽しみです。
たかだか「ハサミ」とは言えません。
これほど日常的なモノほど、改良・工夫が必要とされています。
まだまだ、私たちは「智恵をめぐらして」発明していくべきことが
いっぱい残されていると思います。
このハサミを追い抜く「ハサミ・デザイン」をめざします。

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「原点回帰と思っている作品」


   


     2月 21st, 2012  Posted 12:00 AM

インダストリアルデザインは「ことば」で説明の無い世界です。
デザインされたモノが言葉的に昇華されていることが求められます。
そして消費対象になり消尽していくモノでもあるのです。
しかし、表現手法としてのインダストリアルデザインには、
その技法と物語りを仕込むことで消費を拒絶することができます。
ユーザーの形見になる可能性もあります。
そこで表現は量産できるような設計をできる限り完備することです。
そして、デザインとアートとの関係が
どこかで彷彿とされる印象が生まれることも起こります。
私がデザインを起点に恣意性を図ったことはアートへの近傍です。
もし、私の「生」が反映されていて、
その痕跡となるモノ=私のデザインということになれば、
それはいつの日かアート作品に経年変化すると確信してきました。
その代表例が「プラトンのオルゴール」になります。
1994年に発表し、2006年には美術館に永久収蔵されました。
したがって、これは私の原点回帰になっていると思っているので、
強調的な主張作品にしておきたいと考えています。
機械的なオルゴールが仕組まれ、
さらに、実像ではない虚像が浮かび上がる構造を持っています。
それはプラトンを知ろうとしてきた私なりの彼へのオマージュです。
音の世界にデザインで飛び込んだことゆえ、音=オルゴールの実装、
その筐体造形、造形言語としての完全無比な立方体、
私の「生」はこの中に閉じ込めること無く、
適うことなら、オルゴールの音に永遠性をと願っていたモノです。
私がデザインを学んだ金沢、その街にある金沢21世紀美術館に
永久収蔵されていることは、とても光栄で幸運なことです。
まもなく63年目の「生」を確認することになるので、
あらためて、私の「生」と原点回帰の作品を差し出しておきます。

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「想像力と直感あれど『東京ラリア』具現化出来ず」


   


     1月 9th, 2012  Posted 12:00 AM

1994年にギャラリー・間で個展をすることができました。
「プラトンのオルゴール」という個展をしました。
その個展の作品・インスタレーションは、
2006年に金沢21世紀美術館に永久収蔵されました。
その個展で一つの作品を提示展示しました。
「東京ラリア」という名のラジオです。
これは災害用を意図して、電源無し・振って発電し、
NHKだけが聞こえるラジオ=受信機能と
発信には笛をつけました。
その笛の吹き方は、表面に触覚マークがついています。
「・・・ーーー・・・」というだけのものですが、
これはモールス信号のS・O・Sを表しています。
フッ・フッ・フッ・フー・フー・フー・フッ・フッ・フッで
SOSになります。
これを個展と同時に草月会館での講演でも見せました。
そうしたところ、東京消防庁と東京都から具体化の話になりました。
しかし、様々な経緯で可能にはなりませんでした。
そして翌年1995年に阪神・淡路大震災が起こりました。
(来るべきことが起こった!)
私の想像力と直感が当たった気がしましたが、
咄嗟にこの「東京ラリア」が出来なかったことを悔やみました。
こうした体験を何度してきたでしょう。
新潟県中越地震前に「佳設住宅プロジェクト」を
ある住宅メーカーと進めていましたがトップが倒れてストップ。
この「夢」も本当に間に合いませんでした。
中越地震直前にあった出来事も書き残したいと思っています。
この時は、日本の原子力技術学会・大学人と大喧嘩しました。
これは、本当に今回の原発事故での原子力専門学者、
特に御用学者の態度をすでに私は体験していました。
いづれも、デザイナーという職能の悲しさです。
デザイナーはデザイナーでしかなく、
具現化する投資やその具体化推進の経営者がいないのです。
だから、私自身の経済的な投資力を持たなければなりません。
製品開発のアイディアは「夢」となる想像力と直感ですが、
これは「夢」というより必然的などうしても実現を急務とする義務です。
残念ながらその力量が私に無いことが悔しくてたまりません。
先般、Facebookでこのラジオのブログを紹介したら、
覚えておられた方、やがて私の連載の編集者さんが
詳細に説明を投稿していただきました。
そこであらためて、ブログアップしておくことにしました。
まもなく、私は昨年の3.11から取り組んできた「夢」というより、
デザイナーの義務としての「復興計画」の企画提案をします。
万一、これが受け入れられなければ、
それは私に「説得力」というデザイナーとしての基本能力不足だと判定し、
残された時間の使い方を再熟考し直す覚悟でいます。
たとえ、想像力と直感でデザイン対象を見いだしたなら、
それはそれなりに「社会化」することが、
デザイン職能の義務だと考えます。
これは私自身の存在証明ですから、それが無くなったなら、
私の存在価値は自分で決定する必要があるでしょう。
「東京ラリア」の基本的な動機とその考え方は、
iPhoneアプリ「HELP CALL」に連続させていることを追記しておきます。

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11月10日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 10th, 2011  Posted 10:57 AM

11月10日 赤口(己巳)

デザイン手法、
プロダクトデザイン・
インダストリアルデザインでの
表現内容をアートとして、
永久収蔵されるのは
本当に心からうれしい。

デザインそのものを変容し
革新できないかと苦しんできたが、
それは報われたことになる。

『デザインという先手』あとがき


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『資本主義からの逃走』
  「あらためて自転車を!、車倚子の私から」


   


     8月 19th, 2010  Posted 12:00 AM

人間の自時速度
人間は100m走って10秒だと考えます。
これは一部の陸上競技のアスリート能力です。
したがってこのスピードだと、
人間は自時速36km/hの速度性までを持っていると考えることができるでしょう。
原動機付き自転車は制限スピード30km/hです。
走行中そのまま転倒すればこれだと相当の怪我をします。
実際は、そこまで人間の能力はありませんから自時速18km/h程度かと思います。
この時速だと、もし転んだとしても骨折することはないのではないかと考えます。
おそらく、人間の平均的な肉体的強度というのは12km/h程度が限度だとみることができます。
自転車の文明と文化
ところが人間は、自分が歩くより、走るより、
「速くにある=遠方へ速く出かける」ことを望んできました。
それは肉体が多少壊れても「速くにありたい」ということが、
乗物を発明、陸を、海を、さらには空を飛び、
その安全性と安心性を創出することが文明だったわけです。 
地球上で人間が優れていることをともかく実証したかったのでしょう。
その根本的で基本的な文明モノ=人工物が「自転車」であったことは間違いありません。
この文明性は、人間の平衡感覚と速度性で、「スポーツ文化」を生み出しました。
英国のバッキンガム近郊にある教会に、
「自転車のようなモノ」にその発想があったと言われてました。
今では、それは地図作成用の測量のための測距車だったということです。
自転車の発明には諸説ありますが、
ドイツのKarl von Draisの二輪車・1813年説に落ち着いているということです。
車倚子との比較から
ところで、私には個人的な自転車への思いが重なっています。
それは28歳、交通被災により、「車椅子生活を余儀なくされたこと」です。
つまり、車椅子も自転車も同様に、自力で走る機能性のある乗物だということです。
私は、デザイナーゆえ、「自分用の車椅子を自分でデザイン」しています。
私のデザインした車倚子は、世界の主要な美術館に永久収蔵されたり、
国内外のデザイン賞を受賞しました。
「車倚子」は自転車から派生した乗物です。そこで自転車との同意性と差異性があります。
 まず、「走行性能」は自力での操作性、
同時にブレーキ性能が付随しているのは、自転車との同意性です。
車倚子としての「身体保持性能」は、自転車との差異性があります。
さらに、車倚子の進化は、
●「自力と電池駆動のハイブリッド化」
●「電池のみの電動化」(日本では6km/hで米国は12km/h最高法定速度)
●「ロボティックス化」が見えはじめています。
これはまさしく「自転車の将来」と連鎖しています。


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『資本主義からの逃走』
   「革新は、改革なのか変革なのか?」


   


     8月 3rd, 2010  Posted 12:00 AM

革新には二つの方向
「革」、特にクロコダイルとブリザードが大好きです。
しかし、クロコダイルの皮革商品はこれからは貴重品になるでしょう。
地球環境の天変地異が動物たちの存続を怪しくしています。
この地球環境を「変える」ことは、デザイン対象です。
私は「変える」、「変えたい」と常に思って生きてきました。
昨日は「変える」というのは、
対象に「恋する」意欲、意志に近いと記しました。
その理由も至極、語源的であり、
「變」と「戀」にその意味が覆い被さっているという私見です。
さて、革新とは、対象が「革」を木を切り倒した切り口のようにすることです。
それが二通りあります。
私は、「改革」と「変革」には大きな違いがあるから、
相当の吟味が必要だと考えています。
特に、政治家や企業家のリーダーはこの二つの大きな違いを無意識ですから、
決して実現などしないのでしょう。
私はデザイナーだから、デザイン対象を詳細に見詰めます。
結果、若い頃には、企業家=社長に向かって、
「この企業でのデザインは、改革ですか変革ですか?」
この質問をしたおかげで、
生意気という評価と仕事はいただけない経験をどれだけしてきたことでしょうか。
おかげで、私のこのデザイン対象の再認識手法、
それを支援していただいたリーダーの器量ある企業での商品開発は「革新」でした。
だから、失敗は皆無だと自負できます。
そして、革新をめざしてデザインしたモノは、
ロングライフ製品や、海外の美術館に永久収蔵されています。
私は「改革」は目指しません。
それは、改善、手直しただけであり、革新と言うほどのものではないからです。
変革をめざす
いつでも「変革」をめざしてきました。
対象は「革」です。ピーンと張った革にも関わらず、
その不安定な革、
いうなれば、ピーンと張っていても
まさしく時代の風の中で揺れているというより吹き飛ばされそうな状況を
「変える」のです。
「変革」に恋する自分でありたいのです。
「改革」ではもうはや本当の「革新」には至らないとすら思っています。


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