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Posts Tagged ‘想定外’


「『まさか』=想定外をめざす詳細造形」


   


     2月 2nd, 2012  Posted 12:00 AM

詳細なデザイン造形をなんとしてもめざすこと。
私の造形の姿勢でありたいと考えてきました。
それは、ありえないことを徹底して考え抜くことです。
それこそ、言わば「想定外」。
「まさかそんなことはありえない」という表現です。
単純なことですが、そこまでは考えほしくない、
クライアントは求めていないことが多かったと思います。
それでも考えつかないことにまで、
自分を追い込むことは我が儘ですが生き方ゆえやむをえません。
「我」が、「まま」=そのままにして果てるまでです。
これは「ホイヘンス」と名辞した壁掛け時計にすぎません。
「ホイヘンス」は物理学者で「波動説」を唱えた人です。
しかし、ニュートンの存在が目立ってしまいました。
そして「振り子時計」の発明者であることも忘れられています。
だから私にはどこか親しみを感じました。
だから、「壁掛け時計」なら彼の名前を商品名にしようと考えていました。
そこで、「まさか」というのをたかだか壁掛け時計に仕込むには、
壁掛けでもあるけれど、置き時計にもなる、
そんな造形を自分に求めたのです。
それを私は「まさか」という大層なコトにまで風呂敷を広げたのです。
その造形はサイドビュー=側面表現に表すことができました。
無論、ユーザーにとってみれば、
これが「まさか」の表現だったなんてどうでもいいことなのでしょう。
そして、側面を見て選んでもらうこともないことは重々承知しています。
さらに、背面にはビス留めはまったく見えません。
私は「簡潔さ」という造形表現のポイントには、
ここまで自分を追い込んでいく姿勢が必要だと思っています。
そうして「振り子時計」である正面も
振り子とは思わせない動きを設計しました。
それが「ホイヘンス」への私なりの敬愛だと自分に言い聞かせてきました。
すでにこの商品はもう販売されていませんが、
私が「想定外」=「まさか」ということだと瞬時思い、
自分のデザインワークで想定外をめざしたのは、
この「ホイヘンス」だったと思い出したのです。
だから、きっとこれからも私が想定外をも
デザインに込める原点には
「ホイヘンス」という人物に通じていると納得しています。
彼の「波動説」は当時は、ニュートンの影に隠れてしまいましたが、
今再び、「粒子説」と「波動説」は想定内になっています。

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「プラズマTV商品問題に例示される未然技術」


   


     1月 5th, 2012  Posted 12:00 AM

1996年、アトランタオリンピックがありました。
その年に私は名古屋市立大学芸術工学部が新設されて、
大学人としての道を選びました。
オリンピック開催と同時に最初に富士通が米国特許の獲得はじめ、
米国で最初に発表したのが、「プラズマ方式のTV」でした。
そのデザインは、私のスタイリングスケッチで富士通デザイン部門から、
富士通ゼネラルが実装設計を仕上げて
オリンピック開催地アトランタで発表しました。
そして、以後の開発と商品化をストップしました。
根本的で最大の問題は、
「プラズマ密封」での技術には要素技術が貧弱でした。
これが後々プラズマデバイスの最大欠点になっていきます。
そこで私は確信犯的にプラズマ批判をしました。
これは一部では大問題になり、
あるメーカーは私を訴訟すると聞こえてきました。
しかし、私には確証がありました。
それを裁判に持ち込めば「プラズマTV」は
徹底的な検証で市場価値を失うと思いました。
その後、トリノオリンピック時に、
ECは「プラズマTV」輸入を認めました。
ただし条件づけがありました。
万一、視覚的や性能的な影響があった場合には
「全面的保障」が条件でした。
したがって国内の「プラズマTVメーカー」は輸出を見送りました。
その後プラズマTVメーカーでの爆発事故(小さく報道)もあり、
国内メーカーは撤退。
ほとんどのメーカーはプラズマTV商品化は見送っていました。
当初私の発言は徹底的な批判批難を受けましたが、
製造現場でのあまりにも「商品生産問題」を、
私は見ていただけに「プラズマTV」商品性無しは確信していました。
最も、プラズマTVもプラズマモニターも
当初から私は存分に使っていました。
しかし、プラズマデバイスの製品化は可能でも、
商品化問題の余りにも問題点が多いことを時系列で追いかけていました。
私は、「技術特化」とか「技術進化」には
限りない魅力をいち早く認めますが、
「立ち止まって、佇んで」こそ、
詳細に製品性能が本当に商品化にふさわしいかは
製造生産技術を観察熟考が必要です。
「想定外」は技術には決して許されないことです。
私はかつて、「プラズマTV」での体験を思い起こします。
このアトランタ記念でのTVは
米国3大ネットワークとNHKにすべてが売れました。
私も自分のデザイン資料に一台持っています。

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「『想定内』であっても・!!!」


   


     12月 29th, 2011  Posted 12:00 AM

東北、三陸海岸地方には確かな「想定内」がありました。
古からの津波への言い伝えは、石碑もあり、
日常的な避難訓練にも熱心でした。
皆さんは伝統的にも津波の脅威を語り継ぎ、
そして「想定」をされていたことは多かったのです。
避難ビル、避難地域もありましたが、裏切られました。
それだけに「想定外」は特に技術具現に対して今回批難されました。
それは私もデザイナーのプロとしては、
真剣に日常、肝に銘じていることです。
デザイナー育成教育においても最も重大視していることです。
ユーザーはどのような使い方をするかもしれない、
だから徹底的な製造物責任を自身の熟考結果に求めます。
そして、1000年に一度の天災と言えども、
技術的見地からは、役立たない物事はあってはならないことです。
3.11での最大の教訓は、
技術成果には決して想定外は罪悪であるということです。
なぜなら、「想定内」であっても、
人間の技術行為などには限界があります。
防波堤3m、防潮堤10mなどは全く機能しなかったということです。
3,11津波情報は「想定」です。
最初に3mという予報は実際、16.7mでした。
三陸海岸での養殖産業は沖合5kmにまでおよび、
その人工漁礁のウキが
海岸線から山間部まで5km程度位は押し流されてきました。
押し浪と引き浪は交互に襲いました。
その予報という想定などは一挙に破壊され破滅的状況になりました。
「想定学」を設計論の大骨子にすべきだと教えられます。
もちろん、設計学での基本は「想定」であり、
設計コンセプトは「想定条件」そのものです。
しかし、3.11によって、私たちは永久の「想定学」こそ、
「想像から創造の実務学問」だということを知りました。

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「中央集権の限界・東京では制御不可能」


   


     5月 4th, 2011  Posted 12:00 AM

先般、「復興計画」での手法を聞かされました。
私の回答は、すべてNOでした。
それは私の経験からの判断でした。
かって、ふるさと福井の伝統工芸産地で、
東京流のデザイン手法、
特に、言葉でのイメージや概念の話を
私なりには一所懸命に試みましたが、
産地のみんなからは、「何も伝わってこなかった」と言われました。
被災地、特にフクシマ原発では、
その現地事情を間近で見つめ、現地での問題を共有しない限り、
復旧はもとより、復興など可能なわけがありません。
政権による復興メンバーがいわゆる「現地視察」など無意味です。
無論、企画や計画は「机上での情報操作」に他なりません。
しかし、パソコンに数値を打ち込もうが、
現地の瓦礫や「まち」づくりへの現地対応は絶対に不可能です。
特に、原発事故は人類が初めて体験する途方もない「想定外」です。
もっとも、「想定外」は本来は設計においては、
設計計画が成し得たことではありえないと私は考えますが。
「会議は踊る」という名文がありますが、
会議で解決は不可能だということを現代は忘却しているのです。
「解」という文字には、明らかに角有る牛を解体する形象です。
体験とは、自分の身体が現場で感得することであり、
身体・生体反応にほかなりません。
しかも、自分の生体内部で何が起こっているかは、
余程のことがなければ不明です。
たとえば、すでにケータイ電話は日常的ツールになっています。
しかし、ケータイと脳内での電磁波と放射能はまだ不明です。
これほど具体的なことが分かっていても、
人間には、「体験」による判断が不可欠だということです。
生命が危うくなるのは、本当に死線にまで身体が運ばれた時、
ようやく、原因が推測できるにすぎません。
すでに私たちは「中央集権の無理」を知り尽くしていても、
「机上の論理」に計画を載せる習慣から解放されていません。
今、私たちは次の世代の日本を、
まず、現地の救済からスタートさせているだけにすぎないのです。
現場主義が最優先であるべきです。
でなければ、「復興ごっこ」に過ぎないことを自覚するべきです。
ちなみに日本人の平均年齢は44.1歳です。
すでに経験はあるはずです。
経験の強さとは現場での感得情報から判断する判断・脳・能です。

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「あらためて『幸』文字の意味をかみしめる」


   


     4月 27th, 2011  Posted 12:00 AM

天災・人災を日本人は直視。
不幸な時代に入ってしまいました。
誰もが幸運で幸福でありたい。
そういう意味では日本は「楽園」でした。
しみじみと今思い起こしています。
私は講演でも、時々、デザインが幸福に直結する話をします。
それは私自身が、車椅子生活になったことは「想定外」でした。
しかし、私が交通被災に遭うかも知れないことぐらいは、
絶対に想定しておくべきことだったのです。
それでも、身体障害者・心臓障害者になったことが、
最初は自分の「不幸さ」をどれほど自分に詰問したことでしょう。
ところが、今では、だから幸運だったとさえ思っています。
さて、「幸」という文字はもちろん漢字ゆえに古代中国発祥です。
「幸不幸」という文節として登場しました。
すなわち、「幸」であるのか「不幸」であるのかは、
神に試された結果だという物語です。
断崖絶壁に立たされていて、神が背中を押して突き落とすのです。
それでもその絶壁を登り直して、
生きながらえることを「幸」と呼び、
その断崖から突き落とされたままを「不幸」という話です。
その「幸」という文字は象形文字であって、
両手首を縛られていて、手の自由を奪われている姿です。
いうなれば、人間が「幸」であるというのは、
実際は「自由の無い、不自由な存在」こそ「幸」なのです。
だから自由平等などは人間には備わっていないというわけです。
不自由な存在が人間と考えればどれほど自分が救われるでしょう。
「幸運」であろうが「幸福」であろうが、
基本的には不自由な存在として「生きる」ことです。
自由なことなどあるわけがありませんが、
自由になれるのは、「想像力の中ではとても自由」です。
私自身は「歩けない不自由な存在」。
「いつ大きな心臓発作がくるかもしれない大きな不安ある存在」。
私がここから抜け出ることができたのは、
「想像力」を源泉としてモノのデザインが出来る職能だったこと。
さらに、それをもっと強化してもらえたのは、
スーザン・ソンタグ著「隠喩としての病い」での解釈でした。
「病気と対峙していくことは市民の義務」(原文ではありません)。
これから、この国・日本の私たちは「不幸」を自分の人生に、
それこそ想定外に背負い込むでしょうが、
「想定外」とは想像力が無いことですから、
本当に「不幸」と成ってしまうのは、
目の前の大きな断崖絶壁を不自由ながら登っていくことです。
私自身、なんとか交通被災から絶壁を登りました。
けれどもまた大きな断崖絶壁を直視しています。
登れる限り登っていくつもりです。
私の特技は、結構自分で「これはヤル」と決めたことは、
必ずやり遂げることです。
頑張ることでもなく努力でもありません。
努力なんて、必ず報われる訳など無いのですから、
「これはヤル」と自分が決めたことは、
必ずやり遂げていくことが「生きる」ことであり、
そうすれば、両親や祖父母にあの世で会えるだろう、
そんな想像力の中では、絶対に「自由」なのです。

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「失われし物事への無常、その答発見が企望」


   


     4月 15th, 2011  Posted 12:00 AM

無常観、正直むずかしいことです。
しかし、無常というのは、
失ってしまっても未練無き想いでしょう。
所詮、人は何も無くても強いはずという信念があります。
間もなく、桜が散ると思います。
大阪に来て、桜を見ることは日常的ではなくなりました。
名古屋時代は隼人池周辺の桜で取り囲まれた生活。
自宅から毎日、その桜並木を見ることができました。
この国難は、連日この日本列島を震わすのです。
だから、桜の花にあらためて無常な想いに震えます。
それなら無常という日本の伝統的美意識を覚醒することでしょう。
被災地の人が明るく「ゼロから再出発」という気持ちを、
正直、私が共有できるかというと出来そうにありません。
けれども、失ってこそ、気づき識ることが人間の精神力です。
私はこのことを識って生きながらえてきました。
まさか、自分の生涯で1000年に一度という天災どころか、
原電事故という人災まで体験できるとは思いもしませんでした。
もっとも、「歩けなくなる自分」とか「大学人」になるとか、
このようなことこそ、私の「想定外」だったのです。
かくなる上は、まず「想定内だった批判」を明確にしておきます。
その一つが、「玩物オタク趣味であった大学や研究機関の怠慢」と、
「独占的企業であった電力各社の原子力発電」です。
そして、現政権が立ち上げた「復興会議」の最初の応答が、
「復興のための増税」というのは、誰でも言えることです。
だから、私は「応答」でしかないと言っておきます。
まず、被災地の人々に「回答」をする義務があります。
「回答」ゆえ、課題は被災地の人々や原電事故修復・復旧です。
東芝が原電事故の修復日程は実務時間を示した「回答」です。
これをどれだけ政府意志決定を全国民は待っていたでしょうか。
まず、10年あの原電事故被災地が復旧はできないことです。
これからは国際的な原子力への「解答」合戦になります。
おそらくロシア・フランスが勝手な情報発信をしてくるでしょう。
日本人は「無常観」に照らし合わせて、
復興への真の「解答」づくりこそ、企望なのです。

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「資本主義からの逃走」
  「日本・東日本大震災からもう一度復興と再建」


   


     3月 22nd, 2011  Posted 12:00 AM


M9.0大震災は、1000年に一度ゆえ想定外。
さらに、原電事故はフェールセーフへの過信。
日本は敗戦後の大復興から復活を果たしてきましたが、
もう一度、私たち・日本は復興と再建を余儀なくされました。
私はすでに天災ということではなくて、
これほど科学と技術で人間生活を日常化してきた限り、
天災もすべからく人災が呼び込んでいるとさえ思います。
天災を想定外と言わざるを得ないとすれば、
天災と戦災で包囲されている地球上の生命体である人間は、
自らが人災を引き込んでいると断言すべきかもしれません。
特に、原子力発電に関しては、
社会的賛否を常に対立させてきました。
一方は「安全神話」に、
一方は「核アレルギーでの全否定」にと、
相反したままに電力会社と都市文明の利得が優先されてきたことは事実です。
となれば、日本は戦災で被曝し、今度は天災で被曝寸前状況になっています。
私は、人類が生み出してしまった科学成果、
このアポリア=解決不可能の思考停止にこそ、
より積極的に立ち向かっていく「生」を対称化すべきと考えてきました。
職能・デザイナーとして、デザインの本質と結論しています。
したがって、原電推進でも反原発でもありません。
人類の、たかがデザイナーに過ぎませんが、
されどデザイナーとして、真摯真剣に、
アポリア脱出を使命・義務としての
行学実務を生きがいにしたいと思っています。
敗戦後、復活をまた余儀なくされました。
私自身、健常者から身障者として、二重苦を受け入れています。
それだからこそ、多分もう残された時間では、
復旧・復興・復活まで見届けることはできないとも推測しています。
しかし、されどデザイナーとして限界まで、
デザイン職能で生き尽くしたいと祈念しています。
原電は「建設」ではなくて「生産」です。
「規模のダウンサイジング」と「社会制度の高密度情報化制御」が、
原子力への千年計画デザインであるべきでしょう。
「推進」と「反原発」を止揚しなければ、この国難解決は不可能であり、
人智の行学実務に、あらためてデザイン位置を確認しています。


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