8月 4th, 2012 Posted 12:09 AM
車椅子使用者になって、
どれだけの手袋を使い果たしてきたことでしょうか。
特に夏は、
「ドライバー用」や「ゴルフ用」などを試してきましたがダメでした。
何がダメかというと、坂道を下るときには、
車椅子のハンドリムを握る力をブレーキとして使うのです。
これはブレーキですから、当然に熱くなります。
絶えきれないほどの熱さになります。
これはロッククライミングでアップザイレンで
ロープをグリップ感覚で下ることに等しいのです。
牛革グローブは、耐久性がありません。
鹿革グローブが適しています。
ミラノにグローブの専門店がありますが、
全世界でのブランドメーカーにも「自分用」を求めたこともあります。
鹿革手袋は今も使えますが、やはり摩擦熱は耐えるのみです。
最近やっと見つけ出したのが、SWAT用のグローブです。
「ドライビング手袋」だと、時には手の甲部分を思い切りぶつけたり、
拳関節(MP関節)表面を何度も怪我してきました。
私は、デザイナーにとって「手」は重大なプロツールですから、
「手」にはすこぶる神経を使っています。
ハンドクリームも欠かせません。
学生たちにも「手」のケアはうるさく指導することにしています。
それは、人前でスケッチを描いている時に、
「清潔な手」もプレゼン要素だと思っているからです。
このSWATグローブは、刃物にも強力な耐久性があります。
もちろん、MP関節は完全に防護されています。
かなりの坂道でグローブ自身が車椅子のブレーキになってくれます。
私はこの事実から、
本来は杖・ステッキを使用するユーザーにも
最適なグローブが必要だと思っています。
さて、夏にグローブをしていると
日焼け防止になることは間違いありません。
63歳の私ですが、「手」は30代、いや20代かもしれません。
ちょっと自慢し過ぎているかもしれませんが。
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8月 24th, 2011 Posted 12:00 AM
時に観光地での大事故。
遭難で人命が喪われます。
そうなると社会はその責任を問いかけます。
仕方のないことですが、
その徹底した追求には攻撃性を感じます。
確かに、「安全確認」への怠慢性が事故を誘発したのでしょう。
そうなると、伝統的観光地の独自性すべてが全否定されます。
現代は「安全」への徹底さがあまりにも厳しすぎるのではと心配です。
私は高校時代から山岳部でした。
しかも台風が来るから登ろうなんて無茶をやっていました。
大学時代も山岳部で無茶苦茶なことをやることに粋がっていました。
福井だと浄法寺山(1053m)は5月の連休には春スキーができました。
手前の冠岳でもロッククライミングができました。
大学時代の夏休みは「剣岳」オンリーです。
いつかヘリコプターで「剣岳」に行くつもりです。
長治郎谷雪渓の中央に「熊の岩」があり、
そこをベースに(今は不可能だと思いますが)、
六峰・クレオパトラノーズなどへ毎日出かけました。
夏山合宿が終わるのは、後立山連峰の針ノ木岳まで南下して、
大町市に降りるということが、大学時代の夏休みでした。
冬山に入る時にも、登山ノートに書き込み届けをしないことが鉄則であり、
天候異変をめざして登ることなど平気でした。
それで下山して地元の警察でもの凄く叱られたこともあります。
ただ、両親に約束していたのは谷川岳だけは登らないということでした。
谷川岳は当時、最も遭難者の多い山だったからです。
もう時効かもしれませんが、
国立自然公園でのメチャクチャぶりは書けません。
受験勉強中に、南極のビンソンマシフ山が初登頂されたニュースで大落胆。
もう人生の目的の一つが無くなったというほどのめり込んでいたものです。
車倚子の体になったとき、剣岳の源次郎尾根で転落した時には、
あの場所でこの体になっていたかもしれないと思った程でした。
現代の登山用具をみるとどの進化ぶりに圧倒されます。
東尋坊での飛び込みなどもメチャクチャだったと思い出します。
おそらく、今ではこのようなメチャクチャ=自分なりの冒険でした。
今では「冒険家」という職能があります。
きわめて特殊なプロフェッショナルですが、
人は成長するのになんらかの「冒険」や「冒険ごっこ」が必要です。
アウトドアを取り囲んでいる用具デザインは、
鮮やかに素敵なモノがあります。
そして、そうした用具があたかも「安全」を保証しているようですが、
そうした勘違いが「遭難事故」に近接しているのかもしれません。
現代社会でのいわばレジャー文化・サービス産業の中の「擬似冒険」は、
あらためて、現代文化としての「冒険」=遭難や事故=死という図式を
再熟考すべきことになってしまったようです。
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8月 10th, 2010 Posted 12:00 AM
浄法寺山
福井市内から北東には加越国境と呼ばれる山並みが見えます。
加賀(石川県)と越前(福井県)を区切っています。
冠岳・浄法寺山1053m(記憶が正しければ)・鷲ケ岳がすぐに目に入ります。
その山系の奥に奥越国境があり、白山が見えるのです。
冠岳(808m)は高校時代に最初のロッククライミングを始めた岸壁が頂上付近にあります。
浄法寺山は高校時代は5月の連休でも渓谷急斜面の残雪でスキーができました。
高校時代には、とりあえず台風が来るとなると登山にあけくれ,
中間考査をいくたびか下山できないとかでサボっていました。
この加越国境の手前に九頭竜川があります。
道元は丈競山という双子の山に登りその浄法寺山にて寺院建立案を考えました。
そして、九頭竜川を挟んだ真正面のささやかな盆地、
そこに「永平寺」を建立することを決意したと言われています。
その「永平寺」建立の間に「吉峰寺・よしみねでら」地元では「きっぽうじ」を仮住まいにします。
吉峰寺
さて、私はこの「吉峰寺」には中学時代と高校時代の夏休みに、
祖父と父の命令で私は修行させられた経験があります。
多分、今も永平寺の第一道場として、曹洞宗の禅僧エリート養成所のはずです。
何故、このお寺に預けられたのかはあまり言えません。
目に余る喧嘩や悪い仲間とのつきあいを窘められての教育だったのでしょう。
朝は3時に起床し、便所掃除から顔ふき、さらには食器洗いまでもう色あせた手ぬぐい一本で、
ともかく中学時代は泣きたくなるほどの生活をさせられました。
高校時代は、サボり方も覚えたのと禅僧のエリートの人たちと仲良くできました。
おそらく、ここの住職は、永平寺の管長さんクラスの偉い人だったはずです。
いっぱい話を聞かされ、書を徹底的にやらされました。
この体験が、私は「道元」に惹き付けられている最大の動機だったのでしょう。
薪割り・作務
もっともできなくて危険だったのが「薪割り」でした。
中学時代にはまったくできずに、高校時代にはそれなりにやりきっていたと思います。
「薪」というのはもちろん燃料であり、
風呂焚きと食事、そして冬の暖房のために薪割りは大変な作業でした。
なぜ、「薪割り」なのかは、今、明確にわかります。
草冠の下に「新しさ」があるのです。
新しいというのは、まさしく斧で木を割った樹木、その切れ目を表しています。
それが草冠というのは「エネルギー」であり、
燃えるから「食べる」・「洗う」・「暖をとる」ということができる素材を表しているのです。
「薪」
私は、「薪」にこそエネルギーの根幹的意味があると思うのです。
食べて生きて清潔で飢えと寒さから、
人間は明日「新しい日」を向かえる源泉・元気さを獲得できるのです。
道元が「作務」と言い放った薪割りとは、
生きるエネルギーを得る合理性は自然の樹木から「新た」にする身体的修行であり、
その「作務」は座禅と同様な生きることの意味の思索活動だったと今は納得することができます。
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Posted in 042「原子力という背負い水」, 資本主義から逃走せよ!
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