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1月14日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     1月 14th, 2010  Posted 9:00 AM

1月14日 仏滅(甲子 )

世界が、
それこそ環境も政治も社会現象も
経済事情も不整脈に陥っている。

なんとかして、
社会にガンビットを
施さなければならない。

一度機能を弱体化しておき、
万全の機能にまで高めていく
というやり方だ。

『デザインの極道論』あつい


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『資本主義からの逃走』
 *「かたち=か・かた・たち・かちという代謝性」*


   


     12月 15th, 2009  Posted 9:00 AM

かたち」という言葉を身体化する「いのち」が、
多分、私の生涯になるということは明確です。
次のマトリックスが、私の身体を包んでいます。
091215katachi1

そして、
重要なのは、「か」・「た」・「ち」という平仮名です。
これらの平仮名には由来の漢字=表音性と、
漢字=表意性が日本語には備わっています。
そうした、1文字の組み合わせが、
それぞれの意味と発音によって、
包括性=inclusive性があり、「かたち」の創出である
デザインの意図は、この「包括性」と「要素」に、
根源・由来・原義から効用と効果が求められています。
091215katachi2

「か・かた・かたち論」は、代謝建築論によって、
「かたち」、日本の美学機能を語られました。
私も、学生時代にこの「思考」によって、
デザインの「方」=方向を教えられました。
それからデザイナーとしての経験と医学にて、
「代謝」という「身体生理」で「かたち」の
隠喩性をすべて解放できたと考えています。
いわば「代謝デザイン論」がまとまりました。
結果、私のデザイン、デザイン造形での、
性能性・効能性・機能性を「実務」効果として、
究極の「人工臓器」にまで「かたち論」になりました。
「実務の無い」デザイン論は、「論」でもなく、
まして「学」でもありませんが、
昨今はそうしたことを「デザイン学」と言う傾向です。
こうしたことがデザイン教育だというのは、
「罪悪」であり、「美学」は決して生まれません。


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『資本主義からの逃走』
 「イデオロギーの吟味、構造と機能から・・・」


   


     10月 14th, 2009  Posted 2:58 PM

イデオロギーは、
「形態」概念と「機能」装置だったことは
まちがいありません。
しかし現在、「イデオロギー」自体が消滅しています。
あらためて、この認識が時代感覚になっているようです。

それは、「資本主義・対・共産主義」の対比や対決で、
それぞれの背景、
つまりイデオロギーの形式と内容の構成での論理でした。
この構成は、歴史的に蓄積されてきた構造と機能です。
そこでその構造と機能から見直すことが
私は必要だと考えています。
ideology
イデオロギーという17世紀末から18世紀を経て
その観念論や感覚論という知恵は人類にとって、
かけがいのないものでした。
それを吟味する義務があると私は感じています。
エティエンヌ・ボノ・ドゥ・コンディヤック(w)に戻ってみる、
その必要があるとすら感じているのです。
再度イデオロギーの「構造と機能」には、
私たちが「観念論や感覚論」に何を委ねてきたのかです。
そこから、
あらたな地平、
あらたなタブラ・ラサ(白紙状態)へ
何を書き込んでいくべきかということでしょう。
私はデザイナーという立場では、
まず、論理の構造には「概念形態」があり、
感覚的な機能が「意識装置」になっていると分析しています。
したがって、あらたなイデオロギーの是非論を加えることで、
初めて、「資本主義・民主主義」の革新化、
あるいはイデオロギー自体や超・イデオロギーの創出、
そのデザインが可能になると判断しています。
それこそデザイナーの職能に直結しているはずです。


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