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Posts Tagged ‘機能’


「図形・『三角形』の性質から性能」


   


     1月 24th, 2013  Posted 12:00 AM

「機能的なことがデザイン」とか、
「機能美の追求がデザイン」とよく言われます。
40年デザイナーでいる私の結論は、
機能とデザインの関係は、
デザインの本質の一部でしかないということです。
グッドデザインに関する「祝祭のあとに」という私の論文*で、
「性能・機能・効能」の構造論を述べていますが、
端的に表現すると、基本図形である「三角形」を事例にすれば、
三角形には、図形でしかないにも関わらず、
三角形には様々な「性質」が備わっています。
三点が三辺で結びつけられているだけの「かたち」ですが、
この「かたち」をシンボルにするだけで、様々な意味を与えたり、
意味されていることが人類はいっぱい蓄積してきました。
最も論理的に三角形の「性質」は、
数学や幾何学で、公理としてまとめられています。
それらは数学・幾何学に任せておき、
その性質を運用することで、
三角形の「性能」を産み出すことが可能です。
私は、特に、丸・三角・四角を自分の造形要素として
徹底的に利用してきました。
だから、ブルーノ・ムナーリは、丸・三角・四角、
それぞれの性質をデザイン、あるいは造形として語っていますが、
私なりの図形の「性質」から「性能」を書き残そうと考えています。
それは、三角形を描くだけで、
「発想」をより強化する手法があるということです。
これまで、大学では勿論ですが、
企業研修での「発想法」として紹介してきました。
今、流行しているマインド・マップは
私は全くつまらない発想法だと思っています。
むしろ、図形、丸・三角・四角という「かたち」に「ことば」を乗せれば、
それが、丸・三角・四角の「性質」を
視覚的にシンボルとして認識することが可能です。
このシンボル化がそのまま「性能」を持つということになります。
そして、この「性能」あるシンボルが、
何らかの働きや刺激を与えることが「機能」です。
そして、性能が機能を果たすことで、
「効能」という社会的な存在意味が生まれてくるということです。
ちなみに、三角形を配置するパターンはいくつあるでしょうか?
ずばり、四種類です。
ということは、「三角形には基本的に4つの性能がある」ということです。


「2003年度グットデザイン賞 審査総評
    After Celebration – What as Demonstration is a Good Design
    祝祭のあとにー論証としての何がグットデザインであるのか」
(『グットデザインアワード・イヤーブック GOOD DESIGN 2003 2004』、
      日本産業デザイン振興会、2004年1月、4-9 ページ)


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「今年2本目論文仮説の図解紹介」


   


     1月 6th, 2013  Posted 12:00 AM

東大経由で、自動車技術系論文誌からの依頼論文。
今年最初に提出予定です。
まだ、作成途中ですが、
私は論考全体の概要はいつも図解表現をしてしまいます。
与えられたテーマは、「形と性能」です。
そして、デザイナーにその考察を求められているわけですから、
当然、「形」デザインから「性能」を、という依頼意図はみえています。
私自身は、カーデザインを自分の作品として持っていません。
が、カーデザイナーは教育し、
自動車企業には教え子がデザイナーになってます。
ヨーロッパに企業留学している連中もいます。
無論、車は趣味の対象ですから、
これまで、「男の子として」それなりの車は所有し使用してきました。
運転手がいてくれた時期もあります。
ロングリムジンからスポーツカーまで10数台は乗ってきました。
現在はベンツ550SL、一台だけになりました。
ワイフと二人だけの外出用です。
さて、この論文の思考下敷きは「製品記号論」ですが、
最も強調しておきたいのは、ガソリン車からハイブリッド車、
そして、電気自動車へと車両動力系がまったく変わってしまいましたから、
基本的な性能は、空力特性や走行・運転・収納などは当然ですが、
情報社会において車は、情報機器・情報装置に変身しています。
さらに、デザイン対象としては、
か+たち=化+質とかた+ち=型+値という漢字語句から読みとる、
性能・機能・効能と関係、
すなわち、構造論も重大だと思っています。
したがって、
多分、図解などや資料まとめで一挙に書き上げようと思っています。
今年の仕事始めは、論文や編集、「ことば」からスタートしています。


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「Nomenclator・ロボット、GUIからAUIへの提示」


   


     12月 10th, 2012  Posted 1:18 AM

「ロボットデザイン基礎学」という提案をしてきました。
そこには、二つの系譜があります。
阪大に特任教授としてフロンティア研究機構では、
ロボット・原子力・人工臓器をテーマにさせてもらいました。
その頃、FOMAの企画に参画もしていましたから、
GUI(Graphic User Interface)から
AUI(Agent User Interface)を持ち込んでいました。
したがって、ロボットについては、
ヒューマノイド系とメカノイド系が共存していたので、
なんとか、この融合体、
あるいは何か別個の形態とその名辞が必要だと考えていました。
したがって、名市大と阪大で、
ともかくまずはCGでのロボットデザインを設計しました。
その時には、マービン・ミンスキー「心の社会」が一つのテキストでした。
心の中にいくつかのエージェント=自分の代理人が、
それぞれの役割を「心」という機能分担しているという話に惹かれました。
そこで、Iso-nome Pro-nome Para-nomeを
ロボットの機能・性能アイテムにできないかと想像したのです。
そして、出逢った言葉に「Nomenclator」がありました。
ヨーロッパ中世の頃に、領主の召使いを表す言葉でした。
ノーメンクレーターは、領主が散歩をしていて小作人に出逢うと、
その小作人の名前や家族構成を伝える役割をする召使いでした。
私は、まさにロボットというのは、
人間にとってこの召使いになるべきではと直感したのです。
日本的には、事代の命的な情報分担役目だと納得しました。
このところ、
ロボット学者の石黒教授のアンドロイドは
私に大きな啓示を与えてくれました。
「ロボットの創造が人間とは何かを知る」という発想には、
これからのデザイナーの役割が見えてきた気がするのです。
GUIでの単なるアイコン表現やグラフィカルな表現での手続き、
そのデザインではありえなくなってきたのです。
IntelのTV-CFを観ていても、
ウルトラブック(Ultrabook)はパソコンにもなるというのは思考不足です。
人間とロボットとの関係、
それは人間が、それを心ある存在だとするなら、
自分の代理人になる資質とか気質あるいは能力を再熟考してみるには、
まさに石黒教授が自分自身そっくりなロボットを設計実現している
あのヒューマノイドの意味と意義がはっきりと見えてきている気がします。
この二日間、石黒教授と同じ壇上でそれぞれの講演をして、
新たなステージに、
ロボットデザイン基礎学の改編が出来る気分になっています。


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「デザインは機能美ではありえない」


   


     11月 20th, 2012  Posted 12:30 AM

未だに、商品が語られるとき、
「デザインと機能が云々・・・」という表現が余りにも多過ぎます。
デザインには、すでに「機能」は内在しています。
したがって、この場合は、
「デコレーションと機能が・・・」に言い換えるべきです。
日本には、戦後、「デザイン」という言葉は、
洋装やファッションで用いられることが今日まで影響しています。
そして、もう一つは、
「機能的なモノは美しい」とか、
「機能美がデザインの目標」などというのも間違いです。
「この車はカッコいい」
「この車は機能美に溢れている」
「この車の性能は優れているがデザインがいまいちだ」などなど、
これはとてもヒューリスティックな会話=パロールですが、
私は、デザインには「性能・機能・効能」があると言い続けてきました。
だから
「性能が優れ、効能という社会的効用があり、使い勝手としての機能」、
これらの統合があって、
はじめて「デザインが出来ている」と考えています。
「この車は速そうな格好をしているからカッコいい」というのは、
論理性を失っています。
「速い車」、というのは、
「速度が存分に性能性があるから、目的地に速く着ける」、
この効能が社会的な効用であり、そうした速度性があっても、
運転などの制御性や安全性が機能的に完備している。
これがデザインが果たす職能効果です。
そして、速度感を表す形態・流体力学的な性能・機能が、
その車が社会に存在している効能性だということです。
さらに、そうした車を所有できる社会的な階層がイメージできるとき、
その車はすでに「商品」ではなくて「記号」になっているということです。
性能・機能・効能が形態言語=designed languageになるためには、
その「記号がすでに意味していること」を社会が認知していることです。
すでに「商品」としての車は、
「記号」として存在性があるイメージの中にあるということです。
「速く目的地につける形態」だから、
速そうという性能、
速いから制御と安全性が確保された機能、
だから、社会的な存在価値が効能になっているということになります。
「デザインとは何か」ではなく、
「性能・機能・効能が統合的な記号になっているのがデザイン」、
これが私のデザイン、その本質的な定義です。


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「『マーク+ロゴタイプ』が経常利益を決定している」


   


     11月 3rd, 2012  Posted 12:00 AM

経常利益とは、企業の正常な収益率を示す指標となる利益です。
私は営業利益だけではなく、
営業外収益の根幹には
「企業存在イメージ相当価値」であると考えてきました。
その「企業存在性」を認知されるのは、
企業名を明確に視覚化している、
マークとロゴタイプだと定義することが可能です。
したがって、「商品デザイン」において、
視覚認識要素として企業名表示は最重要です。
昨夜、私は国内企業がほとんどロゴタイプだけで企業存在を表している、
そのことへの大不満を述べました。
それこそ、ロゴタイプ=読むというより、
マーク=一瞥がどれほど認識力が強いかは歴然としています。
ロゴタイプをマーク化する造形処理もひとつのデザイン手法ですが、
マークだけで「企業存在アピール」は強力です。
そして、ブランドと言われる企業には、必ず、場所も銘記されています。
そういう意味では、最近、「made in Japan」という表記が、
一つの強力な収益のための商品価値構造になっています。
マーク・場所・創業年・企業内容のシンボルなどが経常利益要素です。
経常利益の要因は変動しますが、この要素は不動であり永久性があります。
営業外利益の中の営業外費用対効果として、
「マーク+ロゴタイプ」の象徴性は、しっかりと理論武装するならば、
エルンスト・カッシーラーの四段階説を理解するべきでしょう。
実体的段階・機能的段階・構造的段階・象徴的段階で適合させてみれば、
すでにわが国の「商品存在」は、
構造的段階から象徴的段階に存在すべきモノの供給でなければなりません。
ところが、ロゴタイプだけの企業名では、
その商品の実体的段階ですら低コスト競争では全く敗北し、
企業存在そのものの象徴性すら喪失してしまっているのです。
すでに「商品消費は記号消費であり、その価値性は差異性でしかない」、
この論理は流行しましたが、
日本のほとんどの経営者たちは読破理解していなかったと判断しています。
グローバリズムの功罪の詳細に、
利益構造、特に経常利益の根源的要素として、
企業イメージ戦略を再構築しなければ、
日本の企業の活動領域は次第に縮小していくことでしょう。
「マーク」認識の訴求化は最大の企業テーマだと断言しておきます。


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「 大失敗の量産拳銃・FP45-LIBERATORから学ぶこと」


   


     10月 25th, 2012  Posted 12:00 AM

FP45-LIBERATORという拳銃がありました。
部品点数は23点・一丁1.72ドル・量産は11週間で100万丁です。
これは第二次世界大戦1942年、ナチ占領下のパルチザン支援のために、
当時の米国政府が自動車メーカー・ゼネラルモータースに依頼し、
徹底的な低コストを実現した拳銃のいわば鉄砲機能だけのモノでした。
装弾もたった1発だけであり、装弾から薬莢の外し方も変です。
グリップ部のスペアカートリッジに銃弾が収納されていました。
使用方法はイラストだけで分かるというほどデザインされたモノでした。
また極秘生産されただけに存在すら知られていなかった拳銃です。
だから、今流に言えば、とても合理的で、
大量生産としてはインダストリアルデザイン的モデルとも言えます。
性能も最悪だったために、
欧州のパルチザンよりもアジアに落下傘で連合軍が落としたとか、
マッカーサーが倉庫に眠っていたこの銃を
中国やアジアの日本軍への抵抗勢力に分配したとかですが、
ほとんど、
100万丁も存在していたこの銃が役立ったという話はありません。
結局、拳銃マニアにとってはコレクションとして、
300から700ドルのコレクションアイテムになっただけです。
つまり、単機能で低コストの大量生産製品とは、
「役立たない」ということを伝えています。
この拳銃は「迷銃」と呼ばれている代物です。
今の日本の警官は世界でも最も性能の優れた拳銃をライセンス生産品として
ある企業で生産されています。
しかし、「使用」されることはまったくありません。
「使用」したなら、すぐに警官は裁判です。
だったら所持する必要などありません。
日本だけが、拳銃が威嚇や防御の武器ではなくて、
警官存在の表徴になっているだけです。
毎年、拳銃は新作が発表されます。
そして、名だたる拳銃メーカーは著名なデザイナーに依頼している、
そんなこともほとんど知りません。
また、評判や性能が万一劣れば、それはデザイナーの責任ともなって、
そのデザイナーには
再依頼されてリ・デザインされていることも知られていません。
武器には、いわゆる性能と機能の完璧な相互性が、
さらに完結された形態であることが求められています。
私は「拳銃の美学」が、
実は「カーデザイン」にも多大な影響を及ぼしていることを
知るべきだと思っています。
断っておきますが、
私は現在の拳銃デザインはほとんど無用の長物と言っておきます。
知り置くべき事は、拳銃もデザインされ量産されているからこそ、
「死」に直結しているモノのデザインがあるということです。


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「キティちゃんにて確認できる『安全と安心』」


   


     10月 20th, 2012  Posted 12:00 AM

久しぶりに、高速道路のサービスエリアに立ち寄りました。
サービスエリアには必ず、ご当地キティちゃんグッズが揃っています。
かっては、キティにまつわるグッズは相当に収集していましたが、
久々に小っちゃなぬいぐるみに引き連れられてカメラに収めました。
キティは世界ブランドであり、
日本が産み出した展開可能なガゼット・コア、
つまりこの顔であれば、無限のガゼット展開が可能かどうかです。
そして、この笑ってもいない無機質さが
「かわいい」という核心を与えたモノは無かったかもしれません。
その無機質さにも関わらず
「かわいさ」を表現している最大の理由は目です。
その目は、黒丸扁平な「黒点」にすぎません。
キティがキャラクター表現で
確実なヒットを遂げたのは、この「黒点」でした。
したがって、キャラクター表現では、
「黒点」もしくは目の表現を全くしないことが基本になっています。
私の研究室では、
「顔表情を決定づける目の配置など」を
修士論文にまとめた成果があります。
この論文は、私がこれまで大学人としては「最高の修士研究論文」でした。
私は、キティの一見無表情に近い「黒点」的目の入れ方には、
一つの大きなテーマ解を見つけています。
それは、「安全」と「安心」です。
「安全」だから「安心」できること。
「安心」だから「安全」だと納得できること。
これが、一つの解答結果ですから、
なぜ、この無表情な「黒点」目には大きなヒントがあると思ってきました。
「安全神話」を信頼するということが大きな間違いでした。
「安全ゆえに安心可能だろうかということと、
安心しておられるから安全」は、
常に相対性をもって統合されなければならないと考える訳です。
奈良にて警察署主催のイベントで講演をしてきました。
「安全で安心できるまちづくり」でした。
私は、この写真のキティをコレクションしたい想いでしたが、
取りあえず、写真撮影し、ここでひとまず、
この文章の中で、さらに熟考していかなければいけないと思っています。
「安全で安心なまちづくり」の結論は、
教育と防災と防犯をしっかりとコミュニティに育むことしかないでしょう。
「危機管理デザイン賞」の選定基準には、
「安全と安心を納得できるデザイン表現」、
その性能と効能と機能が統合されている、
そんなデザインで語ることが可能か不可能を問いかけています。


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「泡・バブルって、やっぱり凄いんだって思います」


   


     10月 16th, 2012  Posted 12:00 AM

台所用品、浴室用品の地場産業といえば、
和歌山県海南市です。
「東の湘南、西の海南」、当時の市長の弁でした。
海南市で国際コンペの審査と
現地の「地場産業」に関わったことがあります。
徹底的な、ウレタン素材で「洗浄用スポンジ」の製品開発にのめり込み、
商品化もしました。とても高額商品でしたが高く評価されました。
しかし、素晴らしい素材の「スポンジ」は、
100円ショップの中国製には市場では完敗でした。
ただし、モノの性能・効能・機能は抜群だったと自負しています。
だから、その頃、同時に「トーラス亀の子束子」も開発してみましたが、
これは製品開発で終了せざるをえませんでした。
今、私は私自身の「乾燥肌対策」には、
あらためて、当時、様々な「泡づくり」と「泡性能調査」をしました。
だから、TV-CFで「洗顔用石けん」の泡立ちを見るたびに、
「泡」そのものの「泡立ち」の肌理の細かさが気になります。
それは、ボディソープからシャンプーに至るまで、
TV-CF画面の泡を見ながら、
「本当か?」とTVに向かって、話しかけてしまいます。
そして、学生にも、「正しいシャンプーの仕方」などを論じてしまいます。
つまり、「泡立ち」という性能は「肌をきれいにする」、
とても大事な手続きであることは間違いありません。
「綺麗」な泡立ちが、必要不可欠なわけです。
となれば、絶対に「泡立ち評論家」になるつもりで、
「泡」をじっくりと観察しています。
今、ブームで売れているシャンプーが、
本当に「正しい洗顔・正しい洗髪」ではないのです。
どれだけの肌理の細かさの「泡」=バブルかが大事です。
そのバブルで綺麗にするべきかが問題だということです。
結局、「バブル」ってのは、
やはり、何かしらスゴイ力があることは間違いありません。


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「ブランドが語りきろうとする高密度品質とは」


   


     9月 25th, 2012  Posted 12:00 AM

私は、文房具というアイテムにおいても、
これだけの品質と、そのデザイン展開で「最高品」を選ぶとするなら、
やはり、このブランドになります。
私にとって、ノートはスケッチブックでもあってほしいのです。
当然ながら、大きさ、紙の高密度、
そして記録としての保存性を確認すると、
このシリーズノートはほとんど完璧だと評価しています。
だから、なかなかペンを走らせるとか気軽に使えるかというと、
高価格なモノゆえ、正直、怖いほどの緊張感がありますから、
日常的な気楽さで対峙するというわけにはいきません。
しかし、翻って考えてみれば、自分のアイディアを前頭葉に集約するには、
これだけの品格・品質・上品性をまず「目の前」に置いたとき、
自分のアイディアそのものが、
高密度な想像性と創造性を遠慮無く差し出せるものだろうか、
そのような自問自答をこのシリーズノートに、
スラスラと発揮できるかどうかに繋がっています。
結局このブランドが相当な高価格ゆえの品質への詳細で精微なモノとして、
その完成度を基準化しています。
私は、このシリーズノートには、
自信をもってあるプロジェクトの発想の原点を描き込むこと、
それこそ、
発想の決断を自分に問い直している自分自身に出会うことができます。
ブランド、それは「牛の焼き印」が原意でしたが、
現代では、企業メーカー・作り手が、
ユーザーにこの品質・品格・品性を問い詰めてくるのです。
ということは、ブランドが提供しているのは、
安易な「使い易さ」では無いということです。
<あなたは私たちの商品を手に入れましたね>
<さあ、あなたはコレを使いこなす決断を持っていますか>
<私たちがこの商品に託していること、理解できますか>
これほどの世界観を突きつけてくるのです。
ブランドが創出すべき最も重大なことは、
単なる性能や機能や効能だけでは無いということです。
自分の物欲を果たそうとする決断、「覚悟」までを問いかけているのです。
それだけの「モノづくり」こそ、ブランド、
その存在性の証こそ、「焼き印」なのです。


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「マルチツールナイフをワインスクリューから検分」


   


     8月 10th, 2012  Posted 12:00 AM

ナイフはそれだけで絶対的な道具です。
このことはいつも書いてきました。
「ナイフがあれば次の道具が作れるから」です。
宇宙飛行士にとっても装備品になっています。
現在、日本の災害頻発からも必需品であることは間違いありません。
そして、「マルチツールナイフ」は、
ツールがどれだけあれば知恵を支えられるかを具体化しています。
だから、日常的にも必ず携帯しておくべきモノです。
しかし、問題は、飛行機に携帯して乗ることはできません。
これこそ、ナイフというモノを世界的な制度から切断してしまった、
まさに、現代文明のジレンマなのかもしれません。
私は、マルチツールナイフで、
決定的に確認する幾つかのポイントがあると思いますが、
スクリューナイフ部位だと思っています。
基本的にはほとんどワインオープナーとして、
使い勝手が良いモノは限られています。
ワインオープナー機能性としては不十分なモノが多いと思っています。
なんといっても、このスクリューに対して、
ソムリエナイフ機能が不可欠ですが、
そこまで完備されているモノは限られています。
最近ではマルチツールナイフには、
USBまでもツールとして組み込まれています。
私はそろそろ、
マルチツールナイフそのものの造形言語が変わるべきだと思っています。
それは、ワインオープナーに十分なソムリエナイフまで、
そのマルチ性を確かめて見れば、一目瞭然だということです。


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