02月17日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
2月 17th, 2017 Posted 12:00 AM
02月17日 先負(乙亥)
「感覚」と「感性」には
文字通りの差異があります。
「感性」とは先天的に
感覚判断をしますが、
その「感覚」は、
後天的にも身体化できるのです。
文字通りの差異があります。
「感性」とは先天的に
感覚判断をしますが、
その「感覚」は、
後天的にも身体化できるのです。
川崎和男の発想表現手法
『製品記号論で語り直す時代がやっと訪れた』
2月 16th, 2017 Posted 12:00 AM
あらためて、私のデザインを再度語り直します。
というよりようやくその時期が来たのではと思うのです。
1989年世界デザイン博・世界デザイン会議の時に、
丁度その頃、デザインでは「製品記号論」が
米国のミシガン州立大学から発信されました。
それを私は世界デザイン会議で、
私の解釈とその実務モデルを紹介したのです。
以後、
プロダクトデザインやインダストリアルデザインでは消えていたようです。
最近ではデザインによる「製品記号論」などには無知なデザイン審査など、
私にはこうした知識や経験、
氏品記号論も知らずのデザインコンペがはびこっていると思います。
このモデルは今では生産も無く、販売もされていませんが、
私の代表作「フリッグ=frig」の一つと自分では思っています。
まったく、機能部位に文字や徴表もありません。
筐体にはネジもありません。
電池の入れ替えにおいても造形そのものが記号です。
私にしてみれば、
ようやくこの「製品記号論」の時代になったのかもしれません。
製品としてこれは「お天気計」です。
赤い玉の下のLEDが点滅すれば、8時間後に晴れになります。
青い玉近辺のLEDは8時間後に雨が降るということです。
一切の表示は、すべてが造形そのものの表現です。
ドーナツ状の円形は雲を表示している具合というわけです。
ここには、「かわいい」という評価などはありえません。
デザイン造形は「美しさ」へ直球というものでなければならす、
それがデザイン造形成果=「製品記号論」表現であったわけです。
それこそ、アプロプリエーションなどはありえず、
デザイン造形の美しさ、美しいデザイン造形が求められていたわけです。
ところが、最近ではプロダクトデザイナーを目指す心構えが、
「かわいい雑貨」などということは、
デザインでは無いということです。
かわいい雑貨というデコレーションがもてはやされている風潮では、
デザインの本質はねじ曲げられているのです。
* 「背面に仕組む製品記号論」
* 『「アプロプリエーション」という芸術手法はデザインに非ず』
* 「亀の子タワシはもう年齢的に無理になりました」
* 『美しさの判定は言語判定での倫理に宿っている。』
* 「ここから教えれば・・・」
02月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
2月 16th, 2017 Posted 12:00 AM
02月16日 友引(甲戌)
「かわいい」という評価が
デザインの本質では無い。
「かわいい」というのは、
うわついた感性の曖昧さである、
だから、「かわいい」とか
「かわいさ」を否定している訳ではない。
「美しさ」に「かわいさ」は
相当に大きな距離があるということだ。
デザインの本質では無い。
「かわいい」というのは、
うわついた感性の曖昧さである、
だから、「かわいい」とか
「かわいさ」を否定している訳ではない。
「美しさ」に「かわいさ」は
相当に大きな距離があるということだ。
川崎和男の発想表現手法
02月15日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
2月 15th, 2017 Posted 12:00 AM
02月15日 先勝(癸酉)
一流の仕事には「華」がある。
その「華」には「華美さ」はない。
ところが
一流風の仕事には
「華美さ」だけが目立っている。
「華美さ」とは「黴臭さ」である。
その「華」には「華美さ」はない。
ところが
一流風の仕事には
「華美さ」だけが目立っている。
「華美さ」とは「黴臭さ」である。
川崎和男の発想表現手法
Tags: 一流, 一流風, 仕事, 川崎和男のデザイン金言, 華, 華美, 黴臭さ
Posted in APHORISM, 川崎和男の発想表現手法
『東京藝大からの二人の講師を迎えて「KK適塾」』
2月 15th, 2017 Posted 12:00 AM
第四回KK適塾は、東京藝術大学から名誉教授の河北秀也氏と
大学院教授の北川原温氏を講師に開催しました。
河北氏とは日本デザイン学会50周年記念講演では、
グラフィックDを河北氏が、プロダクトDを私が、二人とも確かに、
デザイン学会の今後に警鐘を鳴らしてお互いに学会に関わらず仕舞い、
今や当時の警鐘はさらに拡大していて、私から言わせれば、
デザイン学は「瀕死の状況」だと思っています。
河北氏のiichiko全てのアートディレクションは、
学術誌出版まで彼のトータルディレクションです。
北川原氏はある建築コンペ公開審査で彼の案を絶賛したこと、
最近のミラノ博日本館の素晴らしさ、
現代も日本のアートも語れることで講師をお願いしたということです。
河北氏の学術誌出版のパトローネ主導までのアートディレクションは、
グラフィックデザインの商業的なあり方には現代のクライアント奉仕よりも、
商業主義を主導するグラフィックデザインは今や唯一だと言えるでしょう。
北川原氏は、今回も長谷川等伯の芸術性を登場させ、
ミラノ博日本館は見事な日本の伝統的な建築様式を
イタリアの地に展開し海外を驚愕させました。
三人ともにいわゆる美術学校出身ゆえに、
学生時代には何を学び遊び、そして三人が今度は教育者となって、
今、次世代には何を期待しているか、
そうした語り合いを観客に聞いていただきました。
私の評価は、河北氏はグラフィックデザインを要としながらも、
かつてのポスターから現代の学術誌出版まで、
今、このアートディレクションは皆無と言っていいでしょう。
日本の伝統的な建築技術の再現、どの現代化から未来性創出、
その裏側には現代アートから日本美術までを語れるのは北川原氏でしょう。
二人とも、私と違ってまだまだ未来を創ってくれるでしょうから、
彼らには16:9のデジタルアッサンブラージュのプレゼ形式を見せ、
コンシリエンスデザインでの「大ガラス」私見を語り継ぎたかったのです。
北川原氏のアートと日本の伝統建築技術、その代表作ミラノ博日本館、
河北氏のアートディレクションと商業主義主導の学術文化創り、
同世代が確実に歴史に刻んだデザイン効果を伝え残したものと確信します。
* 『パトローネが文化を再考察させるデザイン戦略』
* 『アートからの革新=フォンタナの作品から』
* 「長谷川等伯と狩野派の対決から」
* 『花嫁と独身者たちへのデジタルアッサンブラージュ』
* 『マルセルデュシャンの立体化からアッサンブラージュ』
Tags: 50周年記念講演, iichiko, KK適塾, アートディレクション, クライアント, グラフィックデザイン, デザイン効果, デザイン学会, トータルディレクション, パトローネ, ミラノ博, 伝統建築技術, 大ガラス, 学術誌出版, 建築コンペ公開審査, 建築技術, 日本デザイン学会、北川原温、河北秀也, 日本美術, 東京藝術大学, 瀕死の状況, 現代アート, 長谷川等伯
Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 未分類, 祈望から企望へ
staffblog 2月10日
2月 10th, 2017 Posted 9:53 PM
2月10日
本日はKK適塾 第4回が開催されました。
今回は、
全員デザイン界・同世代という、
これまでなかった組み合わせです。
河北秀也氏と北川原温氏を
お招きしました。
スタートはDNPの紹介から。
川崎とのプロジェクトも
ご紹介いただきました。
iichikoはもちろんのこと、
ご自身のスタートから
お話いただきました。
ミラノの日本館は
日本建築の美しさを示しました。
同世代ということもあり、
思い思いに今のデザイン、
教育、文化、思想、政治
様々な議論が展開されました。
お越しくださいました皆様、
ありがとうございました。
02月08日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
2月 8th, 2017 Posted 12:00 AM
02月08日 赤口(丙寅)
アナログであれ、
デジタルであれ、
信頼と信頼性の差異性
安全・安心という
望ましさと好ましさが
価値である。
デジタルであれ、
信頼と信頼性の差異性
安全・安心という
望ましさと好ましさが
価値である。
川崎和男の発想表現手法
『「天然物」?という価値観を確認する』
2月 8th, 2017 Posted 12:00 AM
街が街らしくその活気を最も感じるのはこうした回転焼き屋さんです。
小学生時代はよくのぞき込んでその作業を長く見ていたものです。
私が今最もよく知っているのは新大阪駅の「御座候」という今川焼きと、
月に一度は必ず映画を観に行く京都寺町の鯛焼き屋さんです。
改めてこのブログに取り上げたのは、
鯛焼きでも、これは「天然物」という名称があると知ったからです。
確かに鯛焼きゆえ、その鯛も回転焼きにすぎないにもかかわらず、
「天然物」?、この名称に心惹かれました。
そして思い起こすと鯛焼きでもこの寺町で月に一度は食べるのですから。
先般京都で確認してみると回転鯛焼きのその道具で明解に分かりました。
(そうか、天然物だったんだ)と凄く嬉しくなったのです。
つまり、鯛焼きの型はすべて一匹一匹を回転させるのです。
これは労働量は相当なものですがあんこが確実に鯛焼きの尻尾までです。
店先にはなんと「天然物」と銘記がありました。
なんだかとても嬉しくてしかもこの「天然物」とした商売にとても喜び、
流石、天然物だから凄いというほど、自分を納得させたのです。
「鯛焼きは天然物に限る」というもはや私の理念が決定してしまいました。
このアナログ性は生き残ってほしいと思います。
それこそ、最近はご当地名物がEコマースや「ふるさと納税」で入手出来ます。
この便利さは淘汰されるはずでしょうし、そうあってほしいのです。
それは商品価値の問題です。
価値とは「望ましいコトと好ましいコト」です。
しかもこの価値には信頼と安全と安心が必ずなければなりません。
それは人間という不完全な存在だからこそ、
人間のしかもアナログな手づくりには、
信頼性・安全性・安心性では不足していることを
デザイナーは再考すべきと考えています。
* 「実演販売を見るのは大好きだから、道草文化が必要だ」
* 『PPMはすでに図表表現が異なっている=KK適塾』
* 『ゲームコールセットの信用と信頼にある価値』
* 『四句分別にある明解な「的」は曖昧性を強化する』
* 『デザイン領域の「統合」による安全・安心・防災・防犯』
02月07日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
2月 7th, 2017 Posted 12:00 AM
02月07日 大安(乙丑)
私は物。もの、モノと
それらを製品・商品に
使い分けています。
それは
やがて、AI、ロボット、
それらを超越する
想像力が必要という宣言です。
それらを製品・商品に
使い分けています。
それは
やがて、AI、ロボット、
それらを超越する
想像力が必要という宣言です。
川崎和男の発想表現手法
『やっぱりamazon goが登場してしまったようだ』
2月 7th, 2017 Posted 12:00 AM
商品を売る、これは歴史的には大きな変遷がありました。
まずは、「商」の国が物を売る方法から始まったから、
「商」の人が扱う品物で「商品」となり、それは店舗販売。
その店舗が百貨店になり通信販売はインターネットにまで進化しました。
百貨店が駄目になり、スーパーマーケットはコンビニに変貌。
そしてamazonの登場は、このロゴタイプでのA→Zが
見事に情報社会とコンピュータ技術進化とともにさらに進化したのです。
正直、私自身は書籍からそれこそ電気製品・生活用品・文具に至るまで、
ほとんどの商品購入がamzonになってしまっています。
日に必ず一つから5つぐらいがamazonから届く有様です。
さて、もう一つ重大な技術には人工知能=AIの様々な応用があります。
商品の集配でのロボット化や商品流通での新しい流通方式です。
すっかり、今ある大学に一つの職業を求めたところで、
その学生が卒業したときには、
その職業は無くなっているという予測があります。
AIによって、職能変化のスピードはさらに変化すると言われています。
そこで街中のコンビニ形式では、
AIの具体化が明確になろうとしているのが、
これからの販売形式の大変革であり、その第?段目店舗が
amazon goとなりました。
おそらく、この店舗での商品購買方式は、
すでに店舗形式が大きく変わってきました。
私はAIとロボットがこうした販売形式や店舗方式を変えるとは思っていません。
AIもロボットも超えた新たな方式が登場してくると推測しています。
おそらく、街の景観はとんでもなく変貌するでしょう。
それは、自然と人工での最先端がリサイクルどころか、
もっと変化と変貌を新たな人間意識に入り込んでくるものと想像しています。
その最初がamazn goとしての存在がわが国にやってくるときの
AI、ロボット、さらにはリサイクルからシェア方式など、
社会構造の大変換が待ち受けていると想像するべきでしょう。
* 『車社会は必ず大変動を起こすだろう・カーシェアリング』
* 『人工知能には「ち」の思潮が欠落している』
* 『リトルコンピュータピープルの顔色は人工知能要素かも』
* 『アップサイクリングの真のリサイクルとは!』
* 「光造形から3Dプリンターへの系譜は人工人体へ繫がるか」