kazuo kawasaki's official blog

Archive for 1月, 2017


01月10日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 10th, 2017  Posted 12:00 AM

01月10日 赤口(丁酉)

知識とセンスの関係は
知識があっても
それがセンスになるわけではない。

センスには知識のリテラシーが要る。
知識のリテラシーを
最近は「コンシリエンス」と呼ぶ。

川崎和男の発想表現手法


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『Red & Blue 生誕が来年で100年になる』


   


     1月 9th, 2017  Posted 12:00 AM

かつて「プラトンのオルゴール」2004年にギャラリー「間」で開催。
これは2006年に21世紀美術館で私の個展となりインスタレーション、
さらに制作スケッチまでが永久収蔵されました。
この展覧会では自分が敬愛し影響を受けた人物12人を選びました。
今、私は自分のデザイン、その原器、原形と呼ぶべき作品があります。
デ・スティルの影響を受けた椅子となれば、それは
「レッド・アンド・ブルー」Red & Blueがその一つになります。
そして、この椅子には自分の思い出、そして私デザインが重なります。
ともかく、最近は○○○生誕100年とか、モノ100年のイベント情報が
必ず香港経由で私に届きます。
そして中国でこうしたイベントだけではなく、
デザイン活動やデザイナー推挙が必ず香港経由で入ってきますが、
私にはこの裏側の政治的目論見=策略が見え隠れしています。
脇道に入りましたが、この椅子の作家であるリートフェルトは、
私のデザイン、造形の大きなアーキタイプになっています。
大きな理由はMoMAで彼の展覧会にて、
椅子から家具の原形を見た経験があります。
そして最近ではこうした椅子が中国製でとても廉価ですが、
自分が所持しているのは、
INAXが1989年のアピールをめざしてコピーと言えどとても高額なこれを
購入するとともに、私はこの椅子を車椅子のイメージモデルにしました。
リートフェルトについてなら、彼だけの造形、
その歴史性・論理性・デ・スティルの関係を講義することができます。
この椅子が生まれて来年、100年になるのです。
ある意味では、この椅子は極めてシンボルであり、
それは100年になるのです。

* 『もし、このデザイナーから学ぶことが無いなら・・・』
* 『アナログプレーヤーをAurexSY-λ88で試用』
* 『経緯が敬意に、形態言語から自分の造形言語化を』
* 「資本主義から離脱してきたデザイン」
* 『正しいデザイン手法としてのオマージュを熟知せよ』


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01月09日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 9th, 2017  Posted 12:00 AM

01月09日 大安(丙申)

センスも根本は
知識リテラシーには
トレーニングが必要だ。
しかし、
どのようなトレーニングであれ、
感性で知識を
どれほど維持しれいるかが問題。

川崎和男の発想表現手法


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01月07日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 7th, 2017  Posted 12:00 AM

01月07日 先負(甲午)

感性と想像力が美的であること、
これがいわゆる「センス」である。
「センス」とは、
想像力と感性が、
見事な美学的な結びつきを要す。

川崎和男の発想表現手法


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『歴史的な条項言説を正しく使用しなければならない』


   


     1月 7th, 2017  Posted 12:00 AM

私たちは時々、常に知的な常識を表面的な記憶ではなく、
その真意と深意に立ち戻らなければならないと思います。
その最大の理由は、表面的な意味に縛られていて、
本当はなぜ、
歴史的にも私たちには再検証しておくことが必要になるからです。
それは、時代、時流での人間の意識には、
性善説の人たちと性悪説の人たちの
とてつもない嫌な社会的な衝突があるからです。
私が今、自信をもって断言出来ることは、
この時代は、いや21世紀に入ってから、
デジタルの世界・インターネット時代は
それほどでもなかったのに、おそらくSNSが人間社会を二分したのです。
それは世界的にも、自分勝手さが放置されるとともに、
その放置は宗教哲学的にさえ、食い止めることができなかったことです。
今、世界は地球は地球市民とかに性善説な世界観を与えていますが、
実は、ナショナリズムが各国で台頭してきて、
グローバリズムなんて嘘だとは言ってはいけない風潮があるのです。
世界全体を見渡して私の評価・判断を言うことはむずかしいですが、
私の世界、それも日本のデザイン界を眺め渡すと、
物真似?、コピー?、いや、盗作が平然と起こり、
さらには未だに「デザインとは何か?」、この低レベルな発言や講演は、
デザイン教育にまで及んでいることです。
そこで、私が自分の歴史的な知的な深度ある常識を
性善説も性悪説も超越した、古典的な記述を投げかけておきます。
ハンムラビ法典の196/197条?項目、
「目には目を、歯には歯を」という懲罰条項を思い出し、
その真意と深意の正当な報復の現代解釈を持ち出しておくことにします。
「かわいいはデザイン評価にはなりえない」
「工藝とデザインの美学性の正当性を語り直す」
「デザインコンテクストの商売利用」に、この条項を与え直します。

* 「テロという名の殺戮に怒りを込めて」
* 「アーティスト、デザイナーにだけ降りてくること」
* 「グローバリズムは冒涜的な思潮だと思う」
* 「グローバリゼーションはローカリズムの対極だろうか」
* 『民藝というレジリエンスデザインの源流は光化門にある』


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『Zゲージで再確認するトランスポテーションの美しさ』


   


     1月 6th, 2017  Posted 12:52 AM

私はちょっとだけ恥ずかしながら「鉄ちゃん」です。
ただし、のめり込んでまたまた懲りまくってはいけない、
その自制として、
子どもの頃から憧れていたZゲージのメルクリン鉄道模型、
それも、極めて自分の想いも絞り込んでいます。
もう随分前には、メルクリン?楽部がありました。
しかし、コレクターが減少し販売店も激少しましたから、
その?楽部(入会審査とても厳密)も消滅してしまったというわけです。
メーカー自身が経営危機にまでなったのです。
蒸気機関車なら、ヒットラー命令での当時の「高速列車」は
ナチス評価を離れれば、高速性はとても見事で大好きな列車です。
オリエント急行や、赤十字の病院列車などが、私のコレクション自慢。
今では、月刊でのメルクリン誌とそのwebsiteにわくわくします。
なかんずく、私がトレーラー列車は、液体運搬車がその存在、
それだけでもとても美しいので、
HPでのオークション探しをすることがあります。
とても高額なモノがあります。
石油輸送は当然ながら葡萄酒運搬やビール運搬と、
もう絶対にその性能美が機能性を引き出しています。
男の子にとっては、車、列車、飛行機、船舶はなぜか、
わくわくさせるモノです。
デザイン教育者としてはカーデザイナーは数人育成して、
教え子全てを企業留学させました。
船舶は海洋デザイン戦略論を教え、Ship of the Yearの審査委員ゆえに、
こうしたトランスポーテーションは何と言っても性能性で、
すでに美しさを確かめてこそ、機能的な美ある乗物だと思います。
そのコレクション性は確実な美しさ発見の動機になると思っています。

* 『メルクリンの世界も私の憧れのコレクションだ!』
* 『やっぱり造り込んでしまいましたが・・・』
* 「医・職・趣だからこそ今さらながらNゲージ・いいな?〜〜」
* 「ほんの少し『鉄ちゃん』ですから、言っておきたいこと」
* 「遠くへ行きたいからという本能」


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01月06日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 6th, 2017  Posted 12:00 AM

01月06日 友引(癸巳)

「感性」決して育成は不可能。
そして
「想像力」は人それぞれに、
違い、差異がある。
だから、
「感性」と「想像力」には
いづれも訓練は不可能。
天性である。

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staffblog 1月5日


   


     1月 5th, 2017  Posted 11:55 PM

1月5日

昨年末から、
化学的な実験を実施しています。
今日は招聘教授の山田國廣先生と、
荒木基次氏を交えてです。
インターンシップの吉田さんも
具体的に参加しています。

デザインから提示する基幹産業、
日本が向かうべき方向を議論します。

制作物を確認しつつ、
次の方向性を定め、
長時間の打ち合わせを終了しました。


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『万年筆のミュージックタイプとインクで筆跡品格が可能』


   


     1月 5th, 2017  Posted 12:00 AM

今年最初のモノ、随分と悩みました。
なぜなら、ここで語りたいのはどうしても趣味やコレクション。
文具やオーディオや鉄道模型などもはやコレクションもここまでなのです。
となると、もう通常最も使用していて、それも最近の時流が進化しているモノ。
こうなると、万年筆もまずその典型はモンブランとペリカン。
しかもいわゆるミュージックタイプと言われている、
本来は楽譜記述用になってしまいます。
これでカリグラフィーが可能というのは私には理解できません。
なぜならカリグラフィーならこれは絶対にペンであるべきというのが、
自分流の決定事項なのです。それはペンと身体のトレーニングに
最も自分なりの訓練が身体化しているべきだと思うからです。
この典型的で日常的な万年筆ならば、
モンブランとペリカンという選択には全く冒険心はないのです。
そこでディポンの「ベルサイユ宮殿」ともなれば、
これを差し出せば、万年筆コレクターとは深い話が出来ることになります。
そしていよいよ最近は一段と進化しているインクになります。
このインクは日本の伝統色が基本になっていて、
知る人ぞ知るインクだと断言できます。実はこれは友人からのプレゼントです。
さて毛筆タッチとカリグラフィーの関係は絶対に身体化された訓練が必要だと
私は絶対に主張しておきたいと思います。
カリグラフィーであれ、毛筆であれ、
このトレーニングをマスターしたモノは
まだ見たことがありませんが、毛筆、いわゆる書道とカリグラフィー、
この訓練こそ今は絶対に必要であり、それを成し遂げるインク、
この会話が出来ることほど、古風と言われようが、
実は筆跡の品格だと私は確信しています。

* 『黒板を集団の発想道具としての未来ボードデザインへ』
* 『毛筆も万年筆も細軸だから可能になる運筆がある』
* 『硯箱を整理しながら・・・』
* 『イコン=アイコンが明解なモンブランとペリカン』
* 『ペンホルダーある組み合わせの筆記具は自分表現』


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01月05日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 5th, 2017  Posted 12:00 AM

01月05日 先勝(壬辰)

想像力と感性、
この関係は
デザイン、デザイナーにとっては
絶対に、
トレーニングの基本である
実は天性が必須だ。
これは私の結論になっている。

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