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Archive for 6月, 2011


6月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 16th, 2011  Posted 11:06 PM

6月16日 壬寅(先勝)

錯落
錯乱はしたくない。

『デザインの極道論』錯落


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「たかがデザインだから見えていること」


   


     6月 16th, 2011  Posted 12:00 AM

デザイン程度が原子力に何が可能。
こういう思惑に囲まれながらも、
私は「建設」から「生産」をと発言し、
デザインモデルを提示。
東京電力ショールームで展示会をした経験があります。
ただし、開催直前に原発事故があり、
原子力関連のデザインモデル展示は見送られました。
この時かなり激しく私は抵抗したことを思い出します。
なぜなら、「安全」で原子力=放射能を語るのではなく、
「安心」という思考を原子力技術に提案すべきだという
デザインの本質的な発想が根本にあったからです。
フランスでの講演・ワークショップ後、
ある市長が来日してまで、原子力バッテリーは
フランスでやらないかという誘いもありました。
やるなら絶対に日本という信念で断ったこともあります。
多分次のようなコンセプトを聞きつけてのことでしょう。

 ● タービンレス設計への移行
 ● イオン化傾向の差分からの電圧利用
 ● 冷却システムの革新的進化
 ● 炉心設計に偏重して周辺統合技術の欠落補完
 ● 新規バックアップ電源への発電補完システム設計
 ● 内外被曝対策・汚染対策のためのデザイン
 ● ヘルス・フィジックスへの学際性デザイン
 ● 日本の放射線管理という統合曖昧性での欠落性
 ● 放射能影響の医学対応性
 ● 保健的核物理への技術投機
 ● 放射能生物学からの技術構築案
 ● 発電所事故の国際的学習効果の共有
 ● 原発建設設計の新システムデザイン導入、等です。

こうした詳細無しが「安全神話」でくるまれていました。
今回、フクシマ原発の収束から終息のために、
現地でのエンジニアの皆さんは「命がけ」であり、
おそらく、それこそ「想定外」が突発回避は困難。
長期にわたる被曝集積の影響が必ずあるでしょう。
それでも、人類はこの厄介極まる「原子力」「放射能」に、
果敢に向かうことでこそ、
本当の「脱原発」の詳細要素と要因が見つかるはず、
私はそう考えて現実・現状を見ています。
すでに本来の御用学者の原子力専門家、
代議士たちは世論を怖れて逃げだそうとしています。
デザインとは「社会に対する姿勢保持」が基本です。


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6月15日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 15th, 2011  Posted 10:00 AM

6月15日 赤口(辛丑)

情報のデータとは、whatに過ぎない。
それが、
どのような情報なのかというhowになる。
そのwhatとhowが意識の中で、
やっとwhyという問題意識になっている。

『デザインという先手』あいの手 アポリアに対して


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「安全神話が置き忘れたことから最適解を」


   


     6月 15th, 2011  Posted 12:00 AM

私は、太陽、風力よりも
やはり、原子力技術を選びます。
しかし、原子力発電所ではありません。
ここが誤解を受けてしまい、
原子力推進派と思われますが違います。
Atomic Engineeringを徹底的に応用し、
それを、ソーラーにも、風力にも適用させることです。
原子力技術と原子力発電所は、
「安全神話」に閉じ込めてきたことが失敗でした。
特に日本では、国営的な独占企業である電力会社、
そして原発建設には大きな見落としがあったことです。
日本は、米国で発展した原子力技術の発電所化とし、
ようやく実業となったことの周辺技術は置き去りでした。
さらに、原発立地に関しての制度設計にも、
専門家集団は見落としてきたことがいくつかあります。
したがって、今や推進派だった国会議員と学者は、
脱原発として、太陽と風へといわば思想転換しています。
これは職能家としての卑怯さと卑劣さを見ます。
無責任な専門家態度だと言わざるをえません。
結局、太陽発電所建設も風力発電所建設も、
おそらく原発建設と同じ過ちを繰り返すと推測可能です。
フクシマ原発事故は、多大な犠牲を歴史に残しました。
だから国際的に原発=原子力否定に向かっていますが、
冷静冷徹に今回の事故によって、
あるいはチェルノブイリ事故でも明確になったことが、
これからの原子力技術の進化、
その課題を明快にしていると考えるべきです。
人類は多大な犠牲への鎮魂として学ぶべきと考えます。
でなければ、建設される太陽発電も風力発電も、
肝心な見落としが残り、
結局は、神話が寓話となり童話へと展開するだけです。
今、安全神話が見落としてきたことを
デザイン・サーヴェイ手法で洗い出すこと、
これがエネルギー問題の最適解になると確信しています。

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6月14日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 14th, 2011  Posted 11:52 PM

6月14日 大安(庚子)

私達にとって花火は、
祭りを景気づけてくれる
縁起のいい音である。

が、その留学生にとっては、
花火の音は祖国の現実であり、
耐え難い音響ということだ。

『デザインという先手』あいの手 アポリアに対して


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「節電・節水という文明再構成=文化創成」


   


     6月 14th, 2011  Posted 12:15 AM

今回知り尽くしたこと。
それは電気料金の仕組みでした。
私自身、こうした光熱費や水道料など、
実際はワイフ任せであり、
生活のためには、「当然の支出」。
したがって正直、無関心でした。
つまり、水とエネルギーは生活=生きていく基本条件、
このことにどれほど無関心でいたかということです。
おそらく市民生活全体が、
水は、水道から常に流れ出し、
電気は停電にもならないと思い込んでいたはずです。
ということは、私たち日本人は、
素晴らしいシステムに包まれて生きていました。
節電が国策になりました。
電気と水、「生きるための」この基本条件が危ういのです。
だから「節電」=電力節約は、
正直これまでの無関心な生活にとっては厄介な問題です。
ある意味では、貧しいことにつながっています。
しかし、考え直せば、これまでがどれほど贅沢だったか、
このことを教え直されたということです。
「節電」に対して、
積極的な生活行動に向かうべき民族になったのでしょう。
そこから、あらためて「本当の豊かさ」を、
「生きていく」基本条件、
水=節水と電力=節電という文明の組み立て直しこそ、
新たな文化創成が日本の伝統を再構成する、
私は確信しています。
問題は、もう一度、電気料金と水道料金のシステムも
徹底的な再構成の制度設計が必要だということです。

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6月13日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 13th, 2011  Posted 11:58 PM

6月13日 仏滅(己亥)

こんな話を聞いたことがある。

日本の夏の風物詩である花火、
その花火の音が、
戦闘状況が日常的な国から来た
留学生には耐え難い音であったらしい。

その音はまさに爆弾と銃撃戦の音響と
一致しているらしいのだ。

『デザインという先手』あいの手 アポリアに対して


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「風車にまつわる安全童話」


   


     6月 13th, 2011  Posted 2:05 AM

太陽発電は太陽からの恵み。
風が吹いたら風車が回れば、
風という自然現象から、
電力を得ることが可能です。
日本の折り紙で風車(かざぐるま)、
シンプルで、美しいかたちがあります。
伝統的な童具と言っていいでしょう。
この日本列島には、三種類の風が吹いています。
山からの風、
海からの風、
そして、瀬戸内海の風です。
日本は揺れ動く4枚のプレートに乗っている列島であり、
そのプレートがとてつもなく大きく変動しました。
今回、きっと地球の形すら変えたのかも知れません。
その揺れ動く上にある発電所は、
規模が大きければ大きいことで大変な被害を及ぼします。
原子力発電はもはや完全否定されようとしています。
私も納得できます。
それなら、風力発電が代替エネルギーということです。
しかし、私は、この列島に風車が回っている、
まさにこの風景には、納得しかねるのです。
理由は単純です。
これも、技術開発にもっともっと創意工夫が必要です。
風車・プロペラなどはもっと形態開発が必要です。
風が吹けば、それだけで電力が得られるという話は、
きわめてシンプルで、子供にも理解と納得できる、
童話に繋がっているでしょう。
しかし、風力発電=安全かという論証はまだ未定であり、
想定すべき風力発電の内容が不完全です。
少なくとも、新しいプロペラのかたち、
そして発電機の新たな形式を開発すべきでしょう。
私には、まだ風力発電は「安全童話」です。
だから、これにもデザイナーの提案が必要です。

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6月12日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 12th, 2011  Posted 10:00 AM

6月12日 先負(戊戌)

私は、この可愛さについて、
特にロボットのデザインには
不可欠だと考えてきた。

『デザインという先手』「新手」の予知能力


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「ソーラー発電は安全寓話」


   


     6月 12th, 2011  Posted 12:00 AM

寓話というのは、動物の生態を借用。
処世訓や教訓などを動物や自然観を
主人公にした話であって、
物語性は無いものと私は思っています。
寓話といえば、
「イソップ物語」が代表的であり、
この物語は、文字として書き残されるのは、
自然から学び取った記録としての動機があったからです。
私が、ソーラー発電や太陽光発電を「安全寓話」と呼ぶ、
その理由は、主人公は太陽であり、
まさしく、太陽という自然の恵みだからこそ、
自然と人間が極めて調和し安全という幻想話だからです。
もっと批判的に発言すれば、
太陽の恵みを受けるという幻覚と幻想、
それは実際、ソーラー発電素子という人工物は、
確かに、自然と人間との調和感を与えている印象に、
安全性と信頼性があるかのように思えますが、
もっとも工業的・産業的には、
まだまだ開発要素があり過ぎると私は判定しています。
実際問題としては、
産業投資効果は、ソーラーパネル素子生産には、
二つの大欠陥が残っています。
● 素子生産に、莫大な電力量を消費します。
  10年使用するには、3年分の電力が必要です。
● まだ、単結晶からアモルファスなど材料決定が困難。
つまり、発電効率の割には生産投資が回収できない。
結局、メーカー利益回収が困難な消費財生産物なのです。
だからといって、私はソーラー発電否定派ではありません。
もっと創意工夫が多大に残されているということです。
よって私は、まだ寓話=自然からの教訓的話に過ぎず、
「安全寓話」の対象でしかないとだけは発言しておきます。
しかし「安全神話」という誤魔化しは無い訳です。
私はすでにまったく新たな光起電力素子のあり方と、
インダストリアルデザイン対象として直視しています。

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