kazuo kawasaki's official blog

Archive for 7月, 2010


『資本主義からの逃走』
   「つつしみの育成は消極的な自己改革だと感じる」


   


     7月 7th, 2010  Posted 12:00 AM

つつしむ直感
「感情」ではなくて「感性」の領域に、私は慈愛とつつしみを置いています。
これを精神論と捉えることは、「事の本質」を見誤ります。
まず、「感情」と「感性」の差異性は明確に、歴史的な論理検証をしてきました。
そして、「感性」の中で、
「直観」=「直感」を「つつしみ」にまで結びつけようということになります。
ただし、これは「直感」を、
デザインという職能で発揮できる資質は限定されていることは否めません。
自己判断、自己修練、自己啓発によって「つつしみ」ある能力と態度が求められます。
「つつしみ」は、「感性」、ある意味では「精神性の発露表現」です。
ところが、現代のわが国では、「つつしみ」は積極性を控え、謙譲的であって、
この感性を忘却、もしくは喪失していると言っても過言ではありません。
つつむ
「つつしみ」は「つつむ」ことにその由来があります。
包む限りは、より大きな空間=空なる世界観で、包含し、内包させる機能を示唆します。
これを「インクルーシブ」と言います。
ここから前述した「インクルーシブ・デザイン」に連続させることができます。
すなわち、私が決定的に表現する「つつしみの使い勝手」、
それは「つつしむという性能+効能=機能」だと考えるわけです。
これは精神性をも包み込む態度です。
この態度あるいは姿勢を、日本人デザイナーは取り戻すべきだというのが私の主張です。
乱暴な主張、そのスローガンが、
「コンセプト不要」=直感の強化で即表現というデザインプロセスの採用ということです。
私たち、日本人は、確かに工業時代でのデザインによる産業経済効果と効用によって、
わが国は豊かであり、自尊心を持っていました。
しかし、ポスト工業時代と情報化時代に入ってからも、
「手法論の大転換はできなかった」のです。
「不景気感」に覆い尽くされているわが国は、 不景気=depression=鬱病です。
精神的破壊を疾病的に抱いているなら、そこから再生還すべきでしょう。
「つつましく」あることは、鬱病的疾病に対しては、二つの効能があります。

■ 積極性より消極的心情・精神性の強化を意味しない。
弱さを否定せずに優しさを自己獲得する。

■ 自己主張をつつしむ=饒舌性を放棄することを容認。
「直感」は何人も否定しない効果と効用があることを共有。

正直、私自身の「つつましさ」は想像できかねることも自白しておかなければなりません。
それでも、「コンセプト」で語らずとも、
「直感」での造形・形態・価値づくりをする自信と自負心はあります。
この自信と自負心は、決して、私の精神性ではありません。
もし、精神性を背景にする方法は、唯一、「日常的連綿性」を果たしていくだけです。
そういう意味では、ここに、ブログをただ「想い」を記録していることは、
「直感で包まれている自分」を自分から離脱しながら見詰めることができるのです。
何事かに包まれている自分には、
つつまれていることの認識が「つつましさ」の芽吹きを感じることは間違いありません。


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7月6日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 6th, 2010  Posted 9:30 AM

7月6日 赤口(壬子)

知識とは、
こういう共有しやすい感情が
ベースにあるのかもしれないと思う
ことがしばしばである。

いうなれば、
知識とは実に自分勝手な
情報処理なのかもしれない。

『デザインは言語道断』知行


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『資本主義からの逃走』
   「つつましさによるインクルーシブデザインへ」


   


     7月 6th, 2010  Posted 12:00 AM

コンセプト否定論
おそらく、「デザイン教育」の基本には、
発想=コンセプトの立案とそのスケッチ技術習得
表現=レンダリングはじめモデリングなど
伝達=プレゼンテーションによるデザイン具現化訴求
に集約できるでしょう。
以上のことが、「デザイナー育成教科書的」だとすれば、
「コンセプト発想の否定」は、
これまでのデザイナー教育を破壊していることになるでしょう。
しかし、本来は、「コンセプト立案ができる能力の否定」と受け取ってください。
なぜなら、デザインとコンセプトの関係もわからずに、「その否定は不可能」です。
よく、「企画職につきたい」という学生がいますが、
「企画」は「計画」が出来ない限り絶対に不可能なわけです。
いづれこの話に入るでしょう。
ともかく「コンセプト否定」をする、その直観デザインはどうすることなのだろうか?
インクルーシブ・デザイン
私の応答を記します。回答でも解答、まして正解ではありません。
私はこの考え方をそのまま、「研究室名」にしています。
「インクルーシブ・デザイン」であることです。
つまり、「直観」と「直感」が連動し合うのは、「会話」です。
「私」と「あなた」という「情景」です。
この会話においては、お互いが「私」と「あなた」が交換されて会話が成立しています。
「私=xは、あなた=yがAであってほしい」。
「いや、私=yは、あなた=xがBであってほしい」。
さて、この場面です。
この場面でのAとBが何かは不明ですが、
xさんとyさんが会話の話題がA・B になっています。
この情景では「一人称」と「二人称」、「私」と「あなた」の関係が成立しています。
この会話関係に、「三人称」(彼・彼女・彼ら・彼女ら)が入ってきます。
この会話関係の「内部会話」をinclussiveと呼びます。
Inclusive Design
つまり、『Inclusive Design』とは、この情景内の対象すべてをデザインすることです。
「インクルーシブ・デザイン」を包含されたとか、
包括的という抽象的な定義は、何も定義していません。
『Inclusive Design』は、まず「一人称」=私が対象とするデザインを、
「二人称」あなたのためにを基本にしてこそ、
「三人称」までをも対象にできるデザインと考えるべきです。
したがって、まず、自分が望んでいるデザインは、
あなたから、彼らまでの「望んでいるモノ・コト」であり、
そこに、デザイン対象へのコンセプトは不要です。
「自分が欲しい」・「きっとあなたも望んでいる」・「彼らの夢」
というインクルーシブ=内情を最も意識することです。
だからこそ、このインクルーシブの関係では「つつましさ」が無い限り、
基本の「会話」は成立しません。
ただし、「つつましい」とは、精神性の表現ですが、
この精神性は、基本的能力であり、
能力から姿勢・態度にまで自己修練は限定されたデザイナーになるでしょう。
その理由を語る必要はないでしょう。


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7月5日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 5th, 2010  Posted 5:19 PM

7月5日 大安(辛亥)

人は体験を聞かされることが、
物事を「知る」うえで、
最も鮮烈に意識に蓄えられるに
違いない。

特に、他人の不幸な体験や、
笑いや哀しみほど、
自分の気持ちのひだに
貯まっていくのだろう。

『デザインは言語道断』知行


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『資本主義からの逃走』
   「デザイン手法の直観はつつましさを知ること」


   


     7月 5th, 2010  Posted 12:00 AM

コンセプト不要
「空」・「無」というのは、
正直、日本の「知らなければならない」仏教的素養。
となれば、私は、教条的で、観自在性すら剥奪されそうだと思っています。
しかし、これまで「デザイン手法」あるいは「デザイン手続き」と言えば、
「コンセプトづくり」は手法中の決定打です。
私は、「コンセプト不要」と断言しました。
即、直観が造形を招き寄せることは、
デザイナーになって以来、幾たびも私にある種の「啓示」を与えてくれました。
「啓示」のごとく、ひらめいてくれたのです。
饒舌にならず
「コンセプト不要」と主張することは、「つつましさ」も無いと評価されるでしょう。
しかし、「コンセプト」は、言葉に、それも饒舌に語り伝えなければなりません。
「つつましく、饒舌にならず」ということを、
欧米的態度として私たちもその態度にならなければいけない、
そのことこそ教条的に受け入れてきたのかもしれません。
私は、「コンセプト不要」を断言するために、その準備はしてきたつもりです。
「言語道断」
「言語道断」という言葉でした。
「言葉、謂わず謂わず(言葉、道断道断)」道元です。
つまり、「言葉にはもうならない」、
「言葉ではとても表現できない」ということを喝破した観念=想いの長けです。
コンセプト即・概念では表現できないこと。
中核に言葉=周縁で取り囲んだコンセプトは虚しいだけです。
中核にコンセプト=周縁は言葉で納得しようというのは虚無です。
「言語道断」ゆえにぎりぎり「かたち」で表す。
当然、そのかたちが生み出し、表現する性能と存在の効能、
これらが統合化されて機能をデザインする。
こういうことから再考しようというスローガンが「言語道断」でした。
さて、ここからは、読者諸兄の「つつましさ」に預けなければなりません。
これまで、ほとんどデザイン手法の核心だったコンセプトから、
コンセプト無くして、デザイン無しとする慣習から決別できないならば、
「勝手に、コンセプト云々を!」です。
つつましさの使い勝手
私は、提案します。主張します。
「コンセプトから離脱を」
「コンセプトづくりと決別を」と!
あなたが「コンセプトを投げ出すだけの直観、その勝手さ」に委ねます。
私が啓示されているのは、「つつましさ」に使い勝手があるということです。
「使い勝手のあるつつましさ」に、
今、日本人デザイナーは、瞑想してでもそこからの「直観」を求めるべきではないでしょうか。
「コンセプト」から「デザイン」する手法では、
つつましさには近づけないことを妄信していいかもしれません。


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7月4日Staff Blog


   


     7月 4th, 2010  Posted 11:50 PM

7月4日

当時、交通事故・入院・リハビリのため
ご挨拶することなくお別れした
東芝音響工場の方々へのご挨拶をかねて
「音友会」に参加した
BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)。

新人1年目のBOSSが手掛けた
ロゴタイプ「Aurex」。

今も親交のある当時の上司が、
版下など貴重資料を保管し、
手渡してくださいました!

時代的に、
コンピュータによる制作ではありません。
手描きのロゴタイプです!







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7月4日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 4th, 2010  Posted 9:29 AM

7月4日 仏滅(庚戌)

プレゼンテーションとは、
ある理想を実現化するための
最終段階ではない。

ただひとつのスタート地点に
過ぎないのだ。

『プレゼンテーションの極意』与えられた機会への感謝を忘れてはいけない


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『資本主義からの逃走』
   「新資本とは、自分が「包まれる」デザイン手法の直観」


   


     7月 4th, 2010  Posted 12:00 AM

新資本づくり
私が職能家・デザイナーになって、すでに40年です。
すっかり、日本の産業構造とデザインの構造を実体験してきました。
この経験は、日本の大企業から地方の地場産業まで、
その「構造化」された仕組みをつぶさに見てきたことだと思います。
そして、今やわが国の「モノづくり」の危うさを実感しています。
貿易をしないと、資源の無いわが国は存続していくことはできません。
しかし、貿易だけの国家戦略の時代ではありません。
つまり、脱工業化から情報の高密度化、
あるいは、地球環境の最先端的保全、
国際的なボランティアサービスなど多様な国家的、民族的、教育的、医療的などへの
貢献からの収益での存続性があります。
私は、その中核と周縁に「慈愛」と「優美」を二重構造化すること、
そこに「新資本づくり」があると判断しています。
そして、その基本は、これまでの「手法」からは逸脱することだと私は確信しています。
なぜなら、デザインは時代と共にではありません。
まず、デザイン自らが「デザインを先導させる」ことが最重要だと考えます。
もっと明確に言えば、
デザインのデザインとは、これまでのデザインを中心・中核から外すことです。
私は、慈愛と優美を次のように考えます。
● 慈愛を中心に、優美を周縁とする。
● 優美を中心に、慈愛を周縁とする。
● 中核を「空」として、慈愛・優美を周縁とする。
● 周縁を「無」として、慈愛・優美を周縁とする。
「空」・「無」
これは、一言で言い尽くせば、
「つつましさ」=包むことの「空」
「つつましさ」=包むことの「無」です。
コンセプト・デザインから離脱
もっと明言を断言にすれば、「コンセプト・デザイン」を離脱することです。
その時に、観えてくる自分が何に包まれているからこそ、
自分が発露できる「つつましさ」の品位ある美しさ、
そのようなことが観えている自分の自己確認に他なりません。
「コンセプト」など「空」にする方法を見つけること。
「コンセプト」など「無」にする方法を見つけること。
まるで、「禅問答」のようかもしれませんが、
直観」に包まれる自分になる訓練かもしれません。
その「直観」は、
必ず、これまでのデザイン対象としてこなかったことに気づくことだというのが、
今、私の「直観」です。


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7月3日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 3rd, 2010  Posted 4:26 PM

7月3日 友引(戊申)

「与えられた機会に感謝する」、
そのことに対してさらに
考えられることがある。

それは、やってきた「機会」に対して、
より詳細に感謝することで、
今後の自分への行動のけじめが
明確になるという点である。

『プレゼンテーションの極意』与えられた機会への感謝を忘れてはいけない


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7月2日Staff Blog


   


     7月 3rd, 2010  Posted 12:51 AM

7月2日

東芝時代の音響グループOB会に参加した
BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)。

最高齢94歳まで、
150人近くの方がいらした盛況な会でした。

かつての上司や、
共にオーディオをつくったエンジニアと、
当時のカタログを見ながら
昔話に花を咲かせました。


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