kazuo kawasaki's official blog

Archive for 6月, 2010


6月4日Staff Blog


   


     6月 5th, 2010  Posted 2:30 AM

6月4日

第90回品質管理シンポジウムにて
講演を行ったBOSS(川崎和男KazuoKAWASAKI)。
経営者の方々に向けての
今回の講演タイトルは、

「かたち・きもち・いのち」
を支えるデザイン

質疑応答では、iPadを用いて
頂いたご質問に答えていました。


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『資本主義からの逃走』
「病院という悲しみの日本語に『もてなし』という意味は無い」


   


     6月 5th, 2010  Posted 12:46 AM

重篤
重篤という言葉があります。
私は3度、重篤状態を通過しました。
周囲が、ドクターたちから重篤と告げられました。
周囲は充分にその状況を理解していましたが、
私自身が重篤状況だったということは全く知りません。
危篤と重篤、医学的には危篤という言い方ではなくて、
重篤の方が医学術語だとドクターたちに教わりました。
さて、私自身の肉体的問題は、きわめて日常的です。

デザイン医工学
そうしたことで、私は「デザイン+医学」領域に携わっています。
この領域を「デザイン医工学」と呼称づけています。
このデザイン医工学には、

反健康=健康では無い=病気・病
半健康=いわゆる一病息災という日常的な病を持っている
範健康=健康であるためにどれだけ体調管理・保健であるか

以上のようなことから、
それぞれに対する「デザイン」対象として健康を見詰めています。
そこで、「病院」という機関・組織・空間・サービス・制度を明確に定義するとき、
この日本語はやはり、歴史性としての意味が閉じ込められていると判断しています。
ずばり、「病院」とは「病を閉じ込めた空間」という意味です。

閉鎖空間
「院」という文字は、「完全な閉鎖空間」を意味しています。
大学院も完全な閉鎖空間です。
比して、学校も「校」は板塀で取り囲んだこれも閉鎖空間です。
ところが、幼稚園などや学園の「園」は、遊園地もあるように、
「開放空間」です。
こうしたことから考え直せば、
私は「病院」は「病園」、
いや「療養園」が正しいのではないだろうかと主張をしてきました。
病院や医療関係者の方々からは、
現代性と重ね合わせて多くの賛同を得てきました。
なぜなら、「病院=病の閉じ込められた館」、
閉鎖空間であってはいけないという発想が出てきたことです。
それは、「病院」=ホスピタルからホスピスという日本語は、
Hospital・Hospisという英語の原意からは、
「病院」=Hospitalでは無いということです。

もてなし空間
HotelやHospitalは「もてなし空間」を意味しています。
したがって、
病気療養は、医療従事者のもてなし=看護の十分さが問われているということです。
つまり、私たちは漢字観=古代中国の病院定義を引きずっています。
Hotel・Hospitalの意味には相当の距離観があるということです。
現代、すでに「病院」という言葉の変更は必至だと提案します。
病院とホテルは「もてなし空間」として同格ある必要があるわけです。
そうなれば、「ホスピス」は終末医療の「園」であって、
「病院」の延長線上にあるわけではないことは自明です。


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6月04日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 4th, 2010  Posted 9:30 AM

6月04日 仏滅 (庚辰)

言葉の「言」という字は、
口に刃物を含ん形象だ。
だから、
この形象からも
分かるように、
とげとげしくて
人を傷つけるものである。

『デザインは言語道断』品格


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『資本主義からの逃走』
「常識語なのに真意と原意知らずはコンセプト=方針を誤る!」


   


     6月 4th, 2010  Posted 1:27 AM

福祉
「福祉」という言葉です。
私は行政とは、街の活性化や産業関連、
そして、「福祉行政」へのアドバイスも随分長く携わってきました。
当然ながら、「福祉って何ですか」という、意地悪な質問をしてきました。
ほとんど、「福祉は福祉でしょう」とか、
「貧しい人や弱い人達を分け隔て無く行政サービスすること」です。
これなどは辞書にもそう定義されているから、常識なのかも知れません。
しかし、原意に立ち戻ると、その言葉が存在しなければならなかった理由や、
真意に照らし合わせれば、
「福祉サービス」の意味と意義が見えてくるはずと考えてきました。

福祉の原意
「福祉」には、『ネ』=しめすへんが二つの漢字に入っています。
これは福祉サービスをする主人公だと考えることができます。
というよりも、漢字の形象から『ネ』は「神様」を表しているとの解釈があります。
つまり、「福」は、神様が壺を抱えています。
しかも、その壺には財宝や食べ物が一杯入っていて膨らんでいるということです。
また、「祉」は、止は足跡だという解釈です。
ここから「福祉」の物語が始まるのです。


貧乏だけれど、懸命に、正直に働く家族が居ました。
しかし、貧乏だったので、食べ物にも事欠き、
寒いボロ屋住まいでした。
それを見ていた神様は、まるでサンタクロースのように、
食べ物やお金でいっぱいに膨らんでいる壺を持って、
その家に出かけるのです。
雪が降っていました。
その家の玄関、軒先にその壺を置いて帰っていくのです。
家族は、朝、その壺を見て驚くのです。
さらに、雪の上には足跡が残っていたのです。

これが「福祉」の原意だと解釈されました。
しかし、この物語を知る人が少なくなってしまいました。
むしろ、知らない人が圧倒的に多いはずです。
だから、みんなが平等に幸福に=福祉ではありえないのです。
福祉=幸福という意味は、意訳としては成立します。
要は、「懸命で正直な人」が見つけ出されて受け取ることができるのです。
これが真意ではないかと思うのです。
平等主義に福祉というのは、民主主義?社会主義?と、
私は思ってしまうのです。
私が現代日本、政権交代によっての「福祉サービス」は、
根本が間違っているのではという原意からの懸念があるのです。
人類は、全ての人々が「幸福」になる権利があることは確信しています。
デザインの本質的な目標も、「みんなの幸福」の創出です。
しかし、原意である「懸命さや正直さ」への神様からの贈り物ということになれば、
「福祉サービス」の方針設定=コンセプトは再考すべきことだと考えます。


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6月3日Staff Blog


   


     6月 3rd, 2010  Posted 5:13 PM

6月3日

くじ運最強の
BOSS(川崎和男KazuoKAWASAKI)
ANAの6月からのキャンペーン、
半券に「アタリ」くじ付きです。

やっぱりBOSSのみ「アタリ」!!
あられプレミアと交換しました。


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6月03日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 3rd, 2010  Posted 1:43 PM

6月03日 先負(己卯 )

日本人として
基本を率直かつ素直に全し、
なおかつ、

この小さな国が
生き延びていくための「品格」を、
国際化というパラドクスの中で
組み立て直す必要があるはずだ。

『デザインは言語道断』品格


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『資本主義からの逃走』
 「使い古された日本語から離脱しなければならない。」


   


     6月 3rd, 2010  Posted 12:01 AM

古くなったキーワードを
私が現代をとらえているキーワードのいくつかを挙げてきました。
私はその代表例に「福祉」と「機械」をあげます。
機械
今夜は「機械」です。
「機械」という言葉は日本語としては歴史的に、一度、変更しました。
最初は「器械」でした。
「器」と「械」です。
理由は単純です。
文明論から見れば、文明への動機づけは「飢えと寒さ」です。
「飢え」に対しては、「器」というモノが必要でした。
その器から機となったのは、
今度は「寒さ」から身を護る機織りでの布が必要だったということです。
「器械」が「機械」へという変更は、機械の5大要素に関わってきます。
それは「械」という言葉が介在していることです。
この言葉は「武器」を表しています。
ということは、もう「機械」ではなくて「機器」が、
言葉としても美しいと思ってきました。
私自身、「機械工学専攻」という学科に席を置いていますが、
もう「機器工学」という言葉だと思っているわけです。
実際は、「機械」というイメージと「機器」という印象は異なります。
電子機械ではなくて、電子機器です。
ところが、通信機械という言葉ではなくて、この領域は通信機器でした。
通信機器は、実際的には「武器」ではないからです。
無論、戦争にとって通信機器は武器のようなものですが、
決して機械あつかいではなくて機器扱いだったことに注目するべきだと考えます。
新たな言葉の選定
いちいち、これまでの日本語ひとつひとつを引き出して思考しているこの執念は、
やはり、「言葉」の選択が、
概念と観念から、その意味にある種の枠組みや意味の限定を行ってしまうからです。
デザインにとって、コンセプト・概念・アイディア・観念・分別・センスなどは、
この限定された意味に呪縛される可能性があるからです。
「機械工学」は「機器工学」になってこそ、
あらためて、
人間ー機械=マン・マシンシステムの時代を終えることができると考えます。
私が取り組んでいる「人工臓器デザイン」というのは、
人工臓器的機械ではありません。
人工臓器的機器なのです。
「機械」という言葉から離脱すれば、
機械としてのロボットで無くて、
機器としてのロボットが必ず見えてくる、という確信が私にはあります。


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6月2日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 2nd, 2010  Posted 1:35 PM

6月2日 大安(癸未)

デザイナーが収集すべき最も重要なものは
「イメージ」である。

これをどのように
保存し、蓄積し、整理をしておくかが、
デザイナーの能力を決定する。

『デザイナーは喧嘩師であれ』収集数奇


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『資本主義からの逃走』
「日本語の曖昧さを観念化と概念化で見定める」


   


     6月 2nd, 2010  Posted 1:43 AM

概念と観念
私は「情報」や「環境」という現代最も重要なキーワード、
その曖昧さを再検証すべきと主張しています。
その再検証によって、
観念化と概念化を明確にすることができると判断するからです。
では、
概念化と観念化についてもその差異性と同意性を確かめておきます。
これも英語訳で取り囲んでみると、
差異性と同意性が分かります。

● 概念=(concept, idea, notion)
● 観念=(idea, concept, sense)

同意性は、concept, idea
差異性は、概念のnotionと観念のsenseだということです。
そこで、キーワードそれぞれについて、
次の差異性で検分していくことができるものと考えます。

■ 概念的にとらえるには、notion=意図・理解・見解
■ 観念的にとらえるには、sense=思慮・分別・感覚

さて、
こうした差異性を踏まえてキーワードを取り囲んで熟考します。
そうすれば、意味性の深度が必要だということに気づくはずです。
私はデザインをする対象に対して、
簡単に「コンセプト」立案と言う場合には、
すでに「コンセプト」=概念に直結している単純性に持ち込むことは、
デザイン実務、特にデザイン造形を狂わせるものと考えてきました。
しかも、すでに「常識語」であり、なんら検証しないままの
日本語そのものを再検証すべきだと提案しておきます。


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6月1日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 1st, 2010  Posted 8:06 PM

6月1日 仏滅(壬午)

「提案」ということばは、
「まっすぐに下から上に差し出す」
という原意が漢文的解釈である。

『デザイナーは喧嘩師であれ』悠然通識


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