kazuo kawasaki's official blog

Archive for 12月, 2009


12月18日Staff Blog


   


     12月 19th, 2009  Posted 12:15 AM

12月18日

BOSS(川崎和男Kazuo KAWASAKI)は
多摩美術大学の客員教授です。
年に1度は特別講義を行っています。

昨年度の講義
「企業デザインの終焉、
社会的デザインの創生」
tamabi.tvからpodcast
配信されています。

今年の講義は
タイトル「先端デザインの最先端」。

●Design for CLOUD-NETwork Computing
●Product Design / i Phone Application
●PKD(Peace Keeping Design)
●BOP(Bottom of the Pyramid) Business
●CONCEPT Making Method
●Design on Medicine & Technology
の内容で盛りだくさんお話しました。

1年に1度なので、デザイナーの卵たち
話したいことがたくさんあふれるBOSSです。
卒業制作を終えた4年生にも、
デザイナーの先輩として
教授としてメッセージも伝えました。

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12月18日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     12月 18th, 2009  Posted 12:00 PM

12月18日 先勝(丁酉)

「人間なんて・!」と思いつつも、
自らの信念を裏切って生き抜いた
歴史上の人物たちへの
その嫌悪から、
私は果敢さを身につけたいと考えてきた。

それが、「喧嘩師」と自称している
ことにつながっているのかもしれない。

『デザインの極道論』よわい


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『資本主義からの逃走』
  「生産と消費、その資本主義の構造化の破壊」


   


     12月 18th, 2009  Posted 10:00 AM

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「生産」と「消費」の世界で、
大量生産と大衆消費の構造に私は生息していました。
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私はすでに資本主義に何の疑いもためらいも無く、
大企業で社会人デザイナーとなりました。
ただ、その企業が儲けるよりも、
自分の提案デザインが、
「商品化」されることに驚喜していました。
そんな私ですら、「生産」と「消費」の構造の中で、
「デザインは付加価値」ということに対して
やり切れない憤りがありました。
もっと賢明なデザイナーとしての発言力を持ちたい、
その想いをぶつけたのが、
構造主義、記号論、マルクスの形態価値論に出会います。
ミシェル・フーコーに出会います。
ジャン・ボードリヤール
の批判に、「かたち」で、
この思想と対決したい。
ソシュールモーリス・メルロー=ポンティデリダ、のとめどなく
深い思考の森の中に入っていきました。
この森の中でも、せっせと「モノのデザイン」は、
決して、「付加価値を生み出しているのでは無い」という
直感を信じていました。
おそらく、私にその啓示がめぐってきたのは、
「言葉と物」、「物の体系」をはじめとするどこかで、
マルクス臭のある論策でした。
結果、
結論は、「デザインは付加価値では無い」ということ。
「デザインは全体価値」、
だから、
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であったデザインをどう解放し、
その証拠立てをしていくことだったと思い返しています。
point of contactという「生産」と「消費」の結合点に、
デザインを配置し直そうとしましたが、
すでに、時代は、「生産」して「消費」することが、
どれほど、今度は私たち自身の「存続」、
地球環境の破壊が私たちを取り囲んでしまったわけです。
それでも
●「欲望」あるいは「フェティシズム」は、誘惑的です。
●「希望」あるいは「ダンディズム」は、魅力的です。
そうした私が障がい者になって、思い知らされたことは、
「喜怒哀楽」でした。
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には、「医学」と「デザイン」によって、
「生」と「死」を
根底から見つめ直すことでした。


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12月17日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     12月 17th, 2009  Posted 10:02 PM

12月17日 赤口(丙申)

果敢とはどういうことなのかを
突き詰めていくと、
結局はその過程で
「躊躇している自分」を
見てしまう。
だから躊躇する人間とは、
弱い存在である。
その弱さに、
いわば「人間性」というのがある
かもしれない。
それを踏みにじる果敢さというのは、
野蛮でしかないことになる。

『デザインの極道論』よわい


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12月17日Staff Blog


   


     12月 17th, 2009  Posted 8:47 PM

12月17日

BOSS(川崎和男)スタッフは、
大阪出身者も、東京出身者もいないので、
何かと移動のために頼りになる
ソフトはこちら。
「えきペディア」大阪版東京版
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12月17日Staff Blog


   


     12月 17th, 2009  Posted 7:49 PM

12月17日

iTunes Storeの
X’mas キャンペーンで
X’mas songs 6曲が無料で
ダウンロード!
早速ダウンロード。
高まるX’mas ム〜ド。
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12月17日Staff Blog


   


     12月 17th, 2009  Posted 7:40 PM

12月17日

BOSS(川崎和男Kazuo KAWASAKI)オススメ、
Amazon Kindle、iPhoneのダブル使い!
Kindleでダウンロードした書籍は、
iPhoneでも読めます。

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『資本主義からの逃走』
 *「歌を忘れたカナリヤだったのかもしれません」*


   


     12月 17th, 2009  Posted 10:00 AM

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デザイン界と建築界は、
歌を忘れたカナリヤだったと、つくづく思います。

● まず今年のデザイン界で、
「やられたなー!」と思う作品=製品は、
ほとんど、まったく見つけることができませんでした。
展覧会も、あいかわらずの「形式」で「ごっこ」です。

● 建築界は、世界コンペで勝つことができません。
コンペで勝てる建築家は限られてしまっています。

デザインは未だに「かたち造形」でしかありません。
「かっこいいかな的」なモノは「玩物志向」です。
だから、ケータイも、家電も、情報機器も、
アジアからはあまり警戒も、尊敬もされません。

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●「歌を忘れた」というのは、
「実装設計と素材設計」にデザイナーの主導力無しです。
実装もこだわりました、なんて言うのですが、
みすぼらしくてとても評価できません。

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建築は、コンペに勝てないから、
日本の建設業が関われない、ということになります。
設備設計も敗北し日本製品でその建築は装備できません。

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結局、「都市計画」が「環境デザイン」という
とても救いがたい名称に変更したことが大失敗なんです。
かくいう私は、といわれそうですが、
今年は間に合いませんでした。

来春・来夏・来秋に、「成果」=「歌」が唱えるでしょう。
実装設計・素材設計・都市設計に来年は、
日本だから、やっぱり「出来てしまう」ことを
証明しないと、この不況からは脱出できません。
精進と修練の成果をめざしましょう!


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12月16日Staff Blog


   


     12月 16th, 2009  Posted 9:58 PM

12月16日

BOSS(川崎和男 kazuoKAWASAKI)
の東京での仕事場での食事は、
シェフが、
BOSSの好き嫌いや、
体調に合わせて野菜と
デザートをいつも心遣いしてくたさいます。
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庭もライトアップされています。
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『資本主義からの逃走』
  「資本主義、自らが生み出したキーワード」


   


     12月 16th, 2009  Posted 9:44 AM

Service産業は第三次産業と呼ばれています。
第三次産業の「形式」と「内容」は、
次のようなキーワードで大きな変容をしています。
現代のキーワードは次の九つが思い浮かびます。
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です。

これらへ「資本主義」がどう影響・支配・制御したかと
いうことが、「現代問題」だと考えることができます。
それは、わが国の大学教育での学部の、
こうした言葉を、冠「学部・学科・講座」名が、
見事に増加していることに「現代問題」が重なっています。
正直、こうした言葉を「冠」としている「分科学教育」を
私はまったく信頼していません。
ある調査では、たとえば、「人間学部」などという学部に、
進学する学生の偏差値は大学学生になるべき資質は無い、
という調査さえあります。
高校での偏差値が、55以下は「大学進学」などは、
しない方が本来は、人生として「幸せ」なのです。
こうした価値観の「社会的評価」制度が必要です。
実際的には60が最低でも必要だというのが、
私が大学教授としての「判断」です。
● 私は、偏差値が若者の「評価基準」と言っているのでは、
決してありません。
●「資本主義」その「サービス産業化」しない大学には、
学部で「学ぶ」べき、真の倫理性と道徳性のある資質です。

なぜなら、
こうしたキーワードを生み出したモンスターとしての
特に経済的資本主義と政治的資本主義支配と制御下での
「次世代の存在性」を問い直したいからです。
つまり、
「資本主義自らが、生産と消費を破壊したこと」が、
こうしたキーワードを下意識主義としていけるだろうか、
ということに、「デザイン」・「かたち」で
応答・回答・解答したいからです。


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