kazuo kawasaki's official blog

Archive for 11月, 2009


11月23日Staff Blog


   


     11月 23rd, 2009  Posted 8:04 PM

11月23日

「スタートレック」は、
バッチも購入し、本当は隊員として
乗物や機器のデザインを手掛けたいだ、
と言っているぐらいの
BOSS(川崎和男)です。

091123rc1

これもスタートレックの銃ですが、
TVリモコンです。
以前、ナナオのエンジニアに
実際にBOSS用のTVで使えるように
設定をお願いしましたが、
使えませんでした。

リモコンにもこだわりのBOSS。
これまでのFORIS.TVリモコンや、
C@t-one等を見ていただけると
わかりますが、未来があります。
いづれ、とんでもなく進化した
デザインのリモコンはすでに、
発表寸前です。
この実装は、ほとんど「発明デザイン」です。
我々はいつも未来のデザインを
めざしています。
スタートレックの理想のように!

091123rc2

091123rc3


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11月23日Staff Blog


   


     11月 23rd, 2009  Posted 7:11 PM

11月22日

「スタートレック」に関して、
うるさいBOSS(川崎和男)です。
スタートレックの小道具は、
007のシリーズ同様に魅力的なのです!
091123_1

スタートレックの銃は、

091123_2

BOSS(川崎和男)愛用の
レーザーポインターです。


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『資本主義からの逃走』
 
*なぜ「神の国」を、
それは資本主義・日本の骨子だからです*


   


     11月 22nd, 2009  Posted 9:00 PM

「資本主義からの逃走」を書き始めたのは、
日本人として、デザイナーとして、
さらに、大学人としての日本への「想い」からです。
091122kaminokuni

確かに、
「神の国」というからには、
そこには、教義・天皇制・右翼的発想・敗戦国家論、
ややもすれば、反米感情、左翼否定論などが、
表現となり、読者諸兄は、川崎和男の過激性のみを
「やはりか・・・」と納得されたりされていると思います。
そして、
川崎発言への反感・反撃姿勢を買うことは
十二分に承知しています。
あるいは
きわめて右翼側や国体制での合都合性を叶えています。

しかし、
私の本意は、このようなレベルに、
このブログ発言を書き述べているわけではありません。
「資本主義から逃走しなければならないのです!」
「民主主義へも懐疑心を持つ必然の時期にあるのです!」
結果は、明前です。
それは、私がデザイナーであり、
「デザイン」という「理想主義」で、
具体的に、Peace-Keeping Design=PKD
Bottom of the Pyramid=BOP-Businessで、
日本の産業構造・制度設計・文化体制を変革したいからに
他なりません。
そのためには、すでに忘却していたり、
無評価である近代史、
少なからず、江戸後期から明治維新、戦中・戦後、
そして現代を、
整理する視座を私の視界でとらえておきたいからです。
それが、「理想主義者であるデザイナーの職能思想」です。

たとえば、ささやかなことであっても、
多少、(自慢げに)書き残します。
一昨日、福山市で久々に、建築職能の方々に、
講演会を開催していただきました。
20年前、福山市は、
当時一番日本で「地方活性化のデザイン会議」が活発でした。
その会議で発言した、同世代のデザイナーはほぼ、
今や、デザイン系大学で大学人になっています。
また、
PowerPointというプレゼンテーションソフトは、
私がMacintosh SE(SE/30の前機種)に回路を組み込み、
透明液晶のオーバーヘッドで投影した、
おそらく世界で最初にプレゼンテーションをした所です。
先般はスタッフブログで紹介した3画面を使用しました。
16:9でKeynote、
これもNeXTSTEPでのLight Showから
進化しているツールです。
私は、こうしたささやかなコンテクスト活動の
集大成から、「デザインが世界・日本を変える」ことを
発言していきたいのです。


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11月22日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     11月 22nd, 2009  Posted 12:00 PM

11月22日 先負(辛未)

「国家戦略である制度論」は、
国内での制度や権力論議とは
関係ないことなのだ。
むしろ、海外に対して、
日本の製品のデザイン価値を、
国家として是認し、かつ褒賞することで、
Made in Japanで、
グットデザインである証拠立てが、
日本の産業を防衛していることである。

『デザインの極道論』したわしい


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『資本主義からの逃走』
  「神の国・・・二つの公案を」


   


     11月 22nd, 2009  Posted 1:22 AM

「公案」という言葉には、二つの意味があります。
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私は、この言葉の意味を、「神の国・日本」には、
見事に当てはまっている、と考えてきました。

● もともとは、中国で生まれた言葉、
その意味は、裁判物語です。
日本では公案として「大岡政談」が有名でしょう。
もし、この公案として、
日本は、東京裁判を「公案」とすることができます。
「公案としての東京裁判」は、きっぱりと
わが国の世界的な罪状として語られていることを
否定すべきは否定し、正当な再評価が必要です。

無論独裁化した当時の軍部責任問題の罪状は、
認めなければならないと思います。
しかし、一方的な報復、見せしめとして、
この裁判で戦犯とされた人物裁決には、
大きな疑問と再評価を求めなければならないのです。
その人物を戦犯とした歴史は、
今、書き直しておくべきだと私は考えます。

事例として、広田弘毅は文人であり、
なんら戦時責任を問われるべきではなかったはずです。
そして、罪状明確な戦争責任者が、
合祀されている靖国問題もここに端を発していることを
きっちりと整理すべきです。

B級戦犯となった岡田中将の軍人としての主張である、
名古屋空襲への抵抗攻撃もすでに、
忘却されようとしています。
「明日への遺言」という映画記録は公案となっていますが、
どういうわけか、
決して語りつながれようとはしていません。

したがって、
● 私は「公案」=「現成公案」にて、
禅宗的な問題解決の対象として、
東京裁判を配置するべきだと考え提案したいと思います。

なぜなら、
国際法としての戦争責任から考えれば、
母国歴史での罪状が、今なお、問い詰められていることへ
「現成公案」をもって、
罪状よりも、戦争であったからこそ、
果たしえた解放戦線があったことこそ「公案」を
世界に公認させておかなければ、
それこそ、
戦死者への真の鎮魂は不可能であることを
「現成公案」として
「無字」(無門関という禅書の応答)なりの
日本人の心情を国際化することこそ、
「神の国の復興」に他なならないと私は考えています。


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11月22日Staff Blog


   


     11月 22nd, 2009  Posted 12:52 AM

11月22日

福山建築文化セミナーの講演前に、
鞆の浦を御案内いただきました。
「崖の上のポニョ」の構想に、
宮崎駿監督が滞在されていたそうです。
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江戸時代その製造は門外不出だった
「保命酒」?は、備後国この鞆で
中村家が製造・販売していました。


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11月21日Staff Blog


   


     11月 21st, 2009  Posted 11:03 PM

11月21日

広島県福山市の
まなびの館ローズコムにおいて行われた、
第4回福山建築文化セミナーにて
「建築からの逃走」と題し、
BOSS(川崎和男)は講演しました。
多数の皆様のご来場
ありがとうございました。

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BOSS(川崎和男)プレゼンテーション

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プレゼンテーションは
今回は3画面を使用・Keynote使用。
中心がBOSS画面/BOSS制作
サイド2画面はサブ・スタッフサポート。

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会場(150名収容)に、
お集まりいただいた240名のお客様


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11月21日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     11月 21st, 2009  Posted 12:00 PM

11月21日 友引(庚午)

デザイナーであることの
アイデンティティ=かけがえのなさ、
というのは、
作品が社会と密接に
連動していることだ。

『デザインの極道論』したわしい


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『資本主義からの逃走』
  「神の国・・・その辛苦・5」


   


     11月 21st, 2009  Posted 10:00 AM

人は、堪え忍ぶことを知っています。
特に、「神の国の住人」だった日本人は、
戦中・戦後どれほど耐えて堪えて忍んだことでしょうか。
戦後、少なからず豊かさに包まれて育った私程度に、
その「辛苦」は、想像を超えてるはずだと思います。

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そして、本当は、「間違った選択だった戦争」は、
「辛苦」から逃れるための唯一の方法だったとさえ、
私はたたづんでしまいます。

だから、戦前、戦中、戦後、はもちろんのこと、
「神の国」に生きることが辛苦であったのでしょう。
その堪忍の心情性こそ、日本人の「こころ」だから、
願い・祈りは絶望の寸前=辛苦への態度だと思うのです。

しかし、この願いや祈りが、
なんらかの信仰心や信念に向かわない限り、
「神の国」に流れる日常性をも、何かに代替させたり、
言い訳や言い逃れを、あたかも、全体的な意志だという
大きな錯覚をしてしまいます。

私は、その、あたかも、「辛苦」への祈りと願いを
言い逃れにさせようとした一群は、
あきらかに左翼系・進歩的(のはずはない)文化人と、
戦後の新興(偽)宗教の始祖たちではないだろうか、
と思っています。許せません。
そして、彼らをカリスマとしてあがめてしまった人々の
哀れさと無知識さを悲しむばかりです。

「辛苦」に堪えきるには、祈りでも願いでもありません。
まして、
左翼思想や新興宗教の偽善的信念や信仰、
そのもっともらしさなどを選ぶのは賢明な判断で
あるはすがありません。

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それは、もう一度、「神の国=自然の国」の
ささやかな「日常の自然」へのまなざしでしょう。
そのまなざしが、「日常の自然」にどれだけ、
感激と感動ができる「我」であるのか、
その「我」である自分には「美」を知る心があったこと、
「神の国」に生を受けたことを感謝できるかだと思います。


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11月20日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     11月 20th, 2009  Posted 8:09 PM

11月20日 先勝(己巳)

私は、
学生にはことのほか、
手書きスケッチを最大に重視する
実習方針をとっている。
なぜならば、「手が思考する」
というのが、
デザイナーの思考回路である
ということは、
私の確信であり、
信念でもあるからだ。

『デザインの極道論』したわしい


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