10月 17th, 2009 Posted 11:42 PM
10月17日 2/2
BOSS(川崎和男)のプラスコラ、
オリジナルは下のモノ。
ゴム印がシルク印刷になっていたので、
新色を11月はじめより販売するので、
再度、型からゴム印をおこしました。
1色のみ追加ですが、Coming Soon!です。
ロングライフな製品は、
オリジナルがデサイナーの意図とは、
反して変更されているモノや、
時代とともに、
改良進化しているモノ様々あります。
初期ロットのモノを購入し、
追って見れば、商品としての
試行錯誤をみることができます。
最近追加で購入したあるデサイナーの
ティースプーンのラインが、
微妙に変わっていました。
これは、残念でした。
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10月 17th, 2009 Posted 11:29 PM
10月17日 1/2
BOSS(川崎和男)の鉛筆削り、
プラスコラ。
もともとは、
スコラ、ラテン語Schola「学問」という
ステンレス鋼一体型の
鉛筆削りがありました。
製造は、750年の打刃物の伝統を受け継ぐ
タケフナイフビレッジです。
刃以外を、プラスティックにしたので
プラ-スコラとなりました。
美術の教科書に掲載されている他、
グッドデザイン賞、
2005年MoMA SAFE展にX&Iとともに
招待作品、永久収蔵作品です。
来週からの韓国デザイン学会に向けて
子供たちへのお土産に準備しました。
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10月 17th, 2009 Posted 12:00 PM
10月17日 赤口(干支)
けなされないプレゼンテーションとは、
要は聴衆全員のご機嫌をとることに
ほかならない。
誰しもが気に入るもの、それは誰しもが
すぐに飽きるもの、と考えていい。
誰もが気に入るのは、
みんなが分かり切って納得できるからに
他ならない。
『プレゼンテーションの極意』けなされることを恐れるな。
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10月 17th, 2009 Posted 7:00 AM
私はデザイナーだから、
イデオロギーも、
「イデオロギーのかたち」を想ってしまいます。
つまり、「イデオロギーというかたちの構造と機能」
という具合に考えると、
前述してきた図解という「形」に当てはめて考えます。
私は、デザイナーという職能を選んで生きてきたので、
「常に、かたち=形」が頭の中=イメージにも、
目の前=リアルに在ってほしいのです。
また、「かたちというイデオロギー」に
「資本主義」と「民主主義」を当てはめて考える、
というのが「正直な告白」です。
だから、
川崎和男の主義主張=イデオロギーは、
「かたち」だと想っていただければいいのです。
そして、「かたち」を存在させるために、
「ことば」は相当にむずかしい「言語」を選びたいのです。
理由は二つあります。
まず、「かたち」という形はありません。
対象物とした、例えば「コップの形」とか、
「筆記具の形」というのがあるわけですから、
「資本主義の形も在る」ことになります。
ところが、
たとえ「コップの形」と言っても、
目の前にある「形の説明」はとても困難です。
それを伝えるのはイメージを
共有出来るかどうかということです。
それには、
ことば=「言語」の共通理解が必要です。
こうした言葉が一致すれば連帯感が生まれます。
しかし逆現象として、
その「言語」に拘束されることにもなるのです。
そして、もう一つの理由は、
連帯し共有し拘束されている感覚が「生きている」ということです。
いわば、簡潔に言えば「触感」です。
この「触感」をコントロールして「言語」として残せば、
それが「歴史」だと私は確信しています。
付け加えておくと、
「触感」という感覚の構造を詳細に言語化すれば、
「形が発する機能」を必ず生み出すことになります。
「デザイナー」という職能が、
「資本主義」とともにあった「歴史」から、
「資本主義の形」、
その機能を触感で受け止めることが
可能になるのではないかと思っています。
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10月 16th, 2009 Posted 8:07 PM
10月16日 2/2
BOSS(川崎和男)から研究室の論文チェック。
細々丁寧にチェックしていただけます。
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10月 16th, 2009 Posted 7:30 PM
10月16日 1/2
BOSS(川崎和男)の指示を受け、データや、
図面をおこし何度も何度もチェックが
入ります。自分が受けた指示のFAX、
校正図面をずっと持ち続けている
スタッフもいました。川崎マニアです。
例えばWEBページの指示、プロダクトは、
極秘ディテールいっぱいなので
載せられるのが見つからなかったです。
そして,BOSS(川崎和男)から研究室への指示。
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10月 16th, 2009 Posted 3:07 PM
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10月 16th, 2009 Posted 11:13 AM
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10月 16th, 2009 Posted 11:01 AM
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10月 16th, 2009 Posted 7:00 AM
「観念」と「感覚」の構造と機能が
イデオロギーの四句分別になっています。
「観念」が主義主張されるとなれば、
その構造には、
「神話性」や「政治性」が備わるものです。
主義主張する人物には、
決まって、「カリスマ性」が生まれやすくなります。
その「カリスマ性」が
神話性のシステムを自然と引き込むものです。
それが、感覚的に機能を発揮すると、
イデオロギーは、共有感覚をともなって、
連帯意識を強化するものになります。
また、神話性を打ち消しつつ、
その主義主張がある種の支配構造を生み出します。
これが、「政治的な体系」、
すわわち支配システムとして機能を持ち始めます。
この政治的なシステムは、
制度性すら装置化して、
「拘束的な機能」になることがあります。
ともかく、神話性のシステムは、
連帯感覚を強化する働きがあり、
政治的あるいは制度化ということにまで至れば、
「拘束性」という不自由さを与える装置になるわけです。
「構造」、つまり関係性をシステムと化すのは、
「神話性」と「政治性」を、資本主義は全否定しました。
この全否定から、「民主主義」が派生したのでしょう。
この「関係性」への反撃論が
私は「資本論」だったと判断することができます。
「神話」と「政治」の結びつきを解き放つために、
「政教分離」というまことしやかさが
「民主主義」に配置されていたのでしょう。
連帯感は必ずその集団を拘束することにもなるわけです。
イデオロギーを終焉させるには、
観念をベースとした概念形態が、
意識装置の機能として、
連帯と拘束を解放する必要があると考えます。
Tags: 「資本主義からの逃走」, カリスマ, 体系, 意識装置, 政治, 概念形態, 民主主義, 神, 神話, 観念, 資本論
Posted in 004「イデオロギー」, 資本主義から逃走せよ!
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