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『街の景観、その看板意匠と無機能さ』


   


     4月 29th, 2014  Posted 12:00 AM

街の景観を決定してるのは、コンビニと電話販売店です。
そして当然のごとく、看板が出ています。
街の進化が歴然としているのは、こうしたチェーン店の存在です。
店舗の存在は、街の景観と雰囲気を変えていますが、
同時に、日本中どこにいっても街の風景は平準化されました。
それは街の機能が分かりやすいという利点もありますが、
平準化された街は、日本中どこに行っても同じです。
おそらくこれから街の景観はガソリンスタンドが変わるでしょう。
それは自動車の機関や石油から急速充電スタンドに移行するはず。
私は、街に出れば必ず見かける「看板」とそのデザインに対して、
未だに看板にすぎないことには進化の兆しが皆無です。
もはや看板の時代は終わっていますが、
あくまでもV.I.された統一的な視覚効果を
商業主義で終わっていることに大きく異論を申し立てておきます。
街は時代変化していかなければなりません。
私は看板にこそ、いくつかの性能性と効能性を実装化すべきです。
まず、性能としては天災予報や防犯システムを装備し、
街に存在している意味の効能性を仕込むことで、ようやく、
私は看板に存在する機能性が生まれると判断しています。
すでに、コンビニは、防犯場所にもなっているようですが、
それだけの機能はありません。さらに、
電話販売店ならば、サーバーシステムやWi-Fiのハブ基地、
こうしたことが看板に実装されるべきです。
そうして、私は看板デザインでの骨格であるマークデザイン、
この新たなあり方が求められるべきでしょう。
なぜなら、日常、私たちの生活をこうした看板のデザインは、
私たち自身の美学性を変動させていることは間違いありません。


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『駅構内にある「書」の展示』


   


     4月 28th, 2014  Posted 12:00 AM

駅舎のデザインは全く新鮮みというより、現代を見失っています。
ある駅舎の建築コンペで素晴らしいと思ったデザインは、
入選はしたけれど採用されていないだけにとても無念でした。
さて、私はふるさと福井には月一度は帰省していますが、
小さな福井駅舎で最も楽しみにしているのは、
「書」が展示されていることです。
私は「書」こそ、日本の伝統美学そのものだと思っています。
したがって、政治家は達筆であることを要求しています。
「書」の出来ない政治家は歴史から外されるものとみています。
福井駅舎の工夫のひとつですが、この展示意義は大きいはずです。
草書はじめ様々な作品が展示されています。
私はこの展示意味は素晴らしいものと思っていて、
もっと多く、20点ほど展示して欲しいと駅員に伝えたほどです。
これらの作品は決してプロではないでしょうが、
市井の書の技能としては伝統性があると判断評価しています。
福井駅から帰阪するときには、なるべくゆっくりと見ています。
この美しさは市井から展示に及んでいることに最大の美学を
私は大きく認めているのです。
しかし、これだけの展示が駅舎を利用する人にとっての
大きな意味が伝わっていないことを残念に思います。
つまり、「書」の美しさを知ろうとするだけの観念すら、
失ってしまっているのかも知れません。
これが街=まちで失ってしまった気持ち=きもちでしょう。
結果街に氾濫するブランドマークやロゴすら美しさがありません。
目立つだけの装飾マークは、日本では氾濫していても、
街の景観を徹底的に美しくするためにも、私はこうした展示を
駅舎であっても陳列してほしいと願っています。


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『室内のキャンドル、人が求める明るさの意味は・・・』


   


     4月 27th, 2014  Posted 12:00 AM

最近は室内のキャンドルが求められてます。
自宅にもワイフが様々に収集しているほどです。
しかもワイフの専門が「建築と照明」なのでほとんど収集物です。
私には蝋燭ですが今はキャンドルとか洒落た名前になっています。
蝋燭には、私は二つの思い出があります。
一つは仏壇の灯明と、もう一つは、足羽山に隠れ家としていた、
岩山につくってあった洞窟の中にはいつも置いていました。
洞窟の蝋燭は仏壇の灯明を持ち出したモノでした。
デザイナーになってからは、色彩や照明では、
あらためて「明かり」を定義づけようとしてきました。
私は、光と照明には明確な意味づけがあると考えてきました。
それは、「見つめる光」と「見つめられない光」があります。
そこで「見つめる光」というのは、見詰められる光は、
人の心の中にまで光は差し込んでくるものです。
私はこれを「あかり」と呼ぶことができます。
「あかり」には二つの種類があります。
「明かり」と「灯り」です。
そうして、「灯り」はまさにキャンドルや蝋燭の灯火でしょう。
この「あかり」は、見詰める明るさがあると同時に、
光は揺れる動きがあります。まさに揺れるあかりだから、
何か、心情を託せることができるモノになっていると思います。
こうしたキャンドルのあかりは、
今ではLEDでの照明器具にまでなっているようですから、
私はこの使い分けまでが可能になってきた時代だと思います。
したがって、デザイナーの照明展や照明器具デザインには、
ひかりとあかりの分別も不可能はモノは無視して構いません。
蝋燭の明かりとLEDの灯りはやがて融合化されるでしょう。

*足羽山・福井市にある山(福井市内に山並みとしてほぼ海抜100m)


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『J○・二文字の日本を代表する企業名ロゴ?あるいはマーク?』


   


     4月 26th, 2014  Posted 12:45 AM

日本のJR・JT・JA・JUは、日本を代表する企業ロゴです。
しかし、
日常最も目にする企業ロゴでありながらマークでもあります。
それぞれのロゴあるいはマークについてのデザインについては、
デザイナー名も知っていますから、
デザインの質については云々することは歴史判断になるでしょう。
しかし、この四つが代表しているコトは、
ロゴとマークが共存していることであり、日常的存在、
その美学性は確認されるべきと考えてきました。けれども、
それを記述するには正直、その勇気を私は持っていませんが、
このほとんどシンボルマークとなっているロゴタイプには、
それぞれの現代的な意義と将来への意味性を再考すべきでしょう。
なぜ、私がこうしたマーク的なロゴタイプを
敢えて取り上げているのは大きな意味と意義があるからです。
おそらく、C.I.デザインの専門家から見れば、
それぞれのメリット性とデメリット性はあるのです。
ところが、日常化してしまっているマークの存在=効能性が、
日本人の感受性での美学を決定付けています。
したがって、このマーク的ロゴが、そのまま企業V.I,
V.I.=ビジュアルアイデンティフィケーションを決めています。
私は決めているというよりは押し進めた結果の美学性の問題です。
安易に企業のロゴなのかマークなのか不明にさせていたり、
経営者の美学性を押しつけているモノには大落胆します。
もし、私がデザインの専門家として批評するのは、
自分の講演の時程度ですが、私の使命として、
このしたロゴタイプやマークには、私の意見は書き残すことを
最近、特に考えるようになってきています。
その最大の理由は、日本人の紋章観念からの伝統性を
私は専門家として明確にしておきたいからであり、
それは、日本の現代企業その経営者のセンスを再考するためです。

「負けて当然・企業のロゴタイプだけでは勝てない」
「ロゴタイプ書体その基本ルールには伝統がある」
「企業C.I.ロゴタイプは、まさしくシンボル」
「商品力を低下させている流行マーク・小学生も信じない」


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『歴史を小説で構成して事実を誤ってはいけない』


   


     4月 25th, 2014  Posted 12:00 AM

私の解釈が間違っているのかもしれませんが、
小説で語られた事が、歴史の真実になってはならないと思います。
先般、福井の地元紙で報道された内容に大きな違和感があります。
その根拠は、1980年代から安政の大獄と咸臨丸の事実、
1990年までの10年間、すなわち、日本開国の歴史性の再考です。
私は日本の開国には、様々なストーリーがあるだけに、
このストーリーは、小説のコンテクストには充分成立します。
しかし小説のコンテクストを歴史と読み間違えが多すぎるのです。
真実・事実・正義という「真」は、
人間にとって、主観性が入り込むほど歪曲化は簡単に起こります。
それを情報化と断言してはいけないと考えます。
それこそ、内村鑑三の「後世の最大遺物」を読めば、
彼がこの著作時の社会評論家たちの言説は決して残らないという、
この指摘が当たっていると私は考えています。
日本の開国には、坂本龍馬が大ヒーローで語られています。
しかし、これは小説の話に過ぎませんが、今や歴史事実です。
私は大きな違和感をもっていて、
徹底的に1980年から1990年までを追いかけ、
ほとんど暗記していますから、この三岡八郎=由利公正のことは、
大間違いだと断言しておきます。
確かに、坂本龍馬も暗殺されただけにヒーローかもしれませんが、
歴史の真実と重ね合わせることは私にはこの指摘理解無理です。
由利公正は日本開国において「五箇条のご誓文」の作者である事は
真実ですが、そのことをヒーローイメージから語ること自体を
私は大訂正しておきたいと考えています。
小説プロットを歴史コンテクストにする情実を捨てるべきです。
日本人は、明治開国、世界大戦などにこの性癖があることを
私は是正すべきだと書き残します。

「『医の知の未来』適塾175年・緒方洪庵没後150年=大阪大学」
「安政の決定事項にデザイン導入してから・・・」
「会えずとも、誤解されようが・・・私は語り継ぎます。」
「憧憬の人物、その実筆書状を探す」
「徳富蘇峰の評価も忘れられて・・・・」
「ふるさと福井の偉人たちへの敬愛あるのみ」


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『ふるさと福井の繊維産地、その先駆者達から』


   


     4月 24th, 2014  Posted 12:00 AM

私のふるさと福井は江戸後期から開国時には、
繊維産業の先進化をめざした先駆者がいました。
私は繊維産業の再活性化を25年前に取り組みましたが、
諸般の事情で一度諦めました。
しかし、繊維産業には幼少時代から私の傍らにありました。
私の母の実家周囲には、機織り屋さんがいっぱいありました。
私の伯父も、この繊維産業の指導者の一人でした。
デザイナーとして、なんとしても繊維デザインを求めています。
この2年、繊維産業へのデザイン導入を私のスタッフ達とともに、
「日本」だから、さらに未来づくりを求めてきました。
私は、地方産業の歴史伝統をデザインの基本にします。
今回も、「やはり、これだけの人物たちがいたんだ!」。
特に、越前藩の指導は、橋本左内の影響があって、
由利公正が第一の指導者でした。
彼は、「五箇条のご誓文」を著実した人物として有名ですが、
この繊維産業の指導者でもあったのです。
私のスタッフたちが、この産業の先駆者を歴史に再配置しました。
したがって、私の役割は、こうした先駆者がどれほどのことを、
明治開化に果たしてくれたかを、産地ブランドの下敷きにします。
これは、繊維産業のコンテクストをまとめる大切な役割です。
最近は、あまりにも軽薄なデザイン活動を目にしますから、
私は徹底的に歴史コンテクストから国際的なブランド化を対象に、
繊維=素材産業の最先端化をデザインしていくつもりです。
本日、この提案が万一受け入れられなくとも、
私のデザイン活動の中に記述しておく覚悟です。
現状でのデザイン活動が単なる流行化をめざしていることへ、
私は自分の活動をもって、叩き潰すことも決意しています。
なぜなら、先駆者たちの闘い方を大参考にするつもりです。

『布の感性評価はこれまで無かったからこそ』
「『はぶたえ=羽二重』の目立たなかった布の美しさ」
「ふるさと福井の織物・繊維を世界の標準にデザイン主導する」


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『海難沈没事故の耐えがたき悲しさ』


   


     4月 23rd, 2014  Posted 12:00 AM

韓国のこととはいえ、海難事故はとても悲しすぎる事件です。
この海難事故を知ってから、製造が日本であったことからも、
またしても日本と韓国とのあらたな災難かと心配しましたが、
韓国でさらに改造されたということでした。
私自身、「関西海洋教育アライアンス」の教育者であり、
Ship of the Yearの審査員もしてきて、
海事・港湾・造船・船舶とデザインを「海洋デザイン戦略論」で、
今も授業をしていますから他人事ではありません。
とりわけ、Ship of the Yearでは、海事関係の一流の専門家に、
本当に鍛えられてきたと思っています。
Ship of the YearはCar of the Yearまでは知られていませんが、
船舶は、あらゆる船が対象となって審査され、日本でトップの
船舶が決定されます。
審査員は、造船、船長、建築、報道、芸術家、作家、そして、
私=デザイナーも加わり審査でのプレゼンは、
専門的にはとても厳しい質問が投げかけられています。
審査員は、船舶や海洋交通にも大変に詳しい人が多くて、
知らなかったことを沢山知りました。
今回の沈没事故では、必ず海難事故につながる要素や要因が、
これほど多かったということにはびっくりしますが、
なんといっても、高校生たちが亡くなったことは残念なことです。
私自身、船舶乗船経験はせいぜい青函連絡船に乗った程度ですが、
審査員、特に、世界中の海での船長さんの話はびっくりです。
たとえば、あの大きな客船から、万一、大洋に落ちたなら、
あるいは、サメに襲われたら、などを教わりました。
しかし、今度の沈没事故で亡くなった若い命はすべてが溺死です。
溺死がどれほど苦しいことであったかを考えると、
海事関係でも、安全と安心は大きなデザインテーマです。

「関西海洋教育アライアンス・6年目の演習課題プレゼン」
「Ship of the Year審査会・・・海洋国家だから」
「関西海洋教育アライアンス・6年目」
「『Ship of the Year』審査委員会・日本学士院会館にて」
「海事システムデザイナーが必要」

「Ship of the Year・日本船舶海洋工業界の今後」


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『安心ロボティックスを語るために』


   


     4月 22nd, 2014  Posted 12:00 AM

昨日はロボッティクス研究会で、安全と安心を話しました。
私が「ロボットデザイン基礎学」として体系づけてきたことを、
安心と安全についてを焦点にしました。
この会合で初めて「安心ロボット」の定義が出来てくるでしょう。
まず、「安」という文字には簡潔な意味が含有されています。
女性が屋根の下に居ます。
それはこのまま、女性を守護していく大事さが象形されています。
私は、女性とは世代交代をする性の存在であり、
人類は世代交代する性を最も大切にするという意味があるのです。
そして、「安全」と「安心」は常に二つの概念で守られるべき、と
私は考えてきました。
この考えからは「安全工学」では全く不十分だと確信しています。
そして、四句分別が必要であり、この思考こそ、
安全だから、安心が可能になること。
安心だから、安全が当然になること。
このことを定義づけるべきだと考えてきました。
端的に言えば、安全とは客観的な判断力での査定であり、
安心とはとても主観的な分別力になっているということです。
したがって技術=Engineeringでは、安全の要因のまとめは可能、
しかし、この可能性は極めて客観的であることから、
いくら安全性が確約されていても、安心にはつながりません。
では、安心なことという主観性をまとめ上げることで、
それは客観性につながってようやく安全を取り入れられるのです。
安心と安全が充分になってこそ「安泰」が実感できるでしょう。
これまで「安全ロボット」ではとても主観的な安心性や安心感は、
決して創出はできないと思っています。
そして安全+安心に寄り添うことが清潔さと品格性だと思います。
「安心ロボット」こそ、わが国のある種の技術性の反映だと、
私は信じ切っています。
「安心ロボット」にこそ、性能性・効能性があるから、
ようやく「機能的なロボット」を生み出す基礎概念があるのです。

『ロボットデザインは安全と安心、そして清潔と品格』


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『ロボットデザインは安全と安心、そして清潔と品格』


   


     4月 21st, 2014  Posted 12:00 AM

本日、ロボット学者相手に「ロボットデザイン基礎学」として、
安全と安心をテーマにこれまで実際デザインを提案します。
私が本格的にロボットデザインをデザイン学識のテーマにしたのは
阪大フロンティアの特任教授になってからでした。
ひとつは、当時はメカノイド系とヒューマノイド系がありました。
それはロボットの形態論的には、ロボットの存在が、
人間社会に対し安全な存在かという議論の結果だったのでしょう。
私には形態論だけではなくて、中村雄二郎先生からの指導で、
身体論を徹底して学び直していました。
それは安全だけではなくて安心をどう配置するべきかでした。
身体論的には、スポーツとダンスの身体論を選びました。
それはどのスポーツやダンスでも身体の強靭性が重要でした。
端的には「受け身」に代表されるように、
まず、このトレーニングが基本的に大事です。
そこから、私は「舞踊」をテーマに、
「舞」=足裏を見せない能や日本舞踊を参考とし、さらには、
「踊」=足裏を見せて飛び舞うことから、いづれもの美しさを
デザインの効果にするべきという結論から、
私なりのデザイン領域に位置づけることができました。
それは、ロボットという名辞から離れて、ロボット工学を
Roboticsとし、私はNomenclatorというエージェントで、
三つの心の要素を持たせた知能感性ロボットをと、
「ロボットデザイン基礎学」を提案してきました。
その提案を日本のロボット学者にすることになっています。
まず、ロボットを私たち社会の隣人のごとくには、
「かわいさ」という存在意義には、私は次の四つをあげています。
安全で安心な存在は、清潔で品格があることが必要十分条件です。

「ロボットが『心』を持っている?かどうか、ということ」
「心を持つロボット表現として、『泣き出す表情』」


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『幸不幸は束縛=不自由さとの関係であると知るべき』


   


     4月 20th, 2014  Posted 12:00 AM

「幸」という漢字は幸不幸という言葉となって登場したのです。
私は、幸運がなければ幸福には至らないことを中国の古典書から、
学び取ることができると考えてきました。
三つの例示文があります。
説文では、「幸とは吉にして凶を免れるなり」とあり、
「まさに死すべくして生きたるを幸という」は、論語にある。
小爾雅では、「分に非ずして得、これを幸という」と言われます。
断崖絶壁で立たされて突き落とされれば、そこにはじめて、
幸不幸が試されるということです。
すなわち、生きていれば、これは「幸」であり、
死んでしまえば、これを「不幸」と定説されてきました。
果たして、それは「幸」という漢字の象形性に源があります。
手かせ、手錠をかけられた状態で人は生きているというわけです。
それは全く社会で人間が生きていくには不自由さを強要され、
この状況で断崖絶壁に立たされているのが人生だということです。
したがって、幸運さが吉であり、凶を免れています。
さらに人は分を乗り越える幸運さで、不自由さから解放されます。
一般に人は、「幸」こそ自由で奔放さがると誤解していますが、
形象文字は、手錠をかけられた日常が「幸」そのものなのです。
だからこそ、不幸は解放にも関わらずそれは死を意味しています。
まさにデザインは、その手錠にあたるほどの不自由さでしょう。
だからこそ、幸運をもたらすモノによってこそ、
初めて、幸不幸を区別することで生という幸運さをもたらします。
決して、「幸」とは自由ではなくて不自由さを示しています。
私は、あらためて、一般的な認識を再度学び直すべきと考えます。
幸運であること、そして幸福な人生であること、
その根本は「不自由さ」=「幸」と考えるべきでしょう。

「幸不幸の連鎖の中で」
「災難犠牲=幸不幸の原則なり」
「あらためて『幸』文字の意味をかみしめる」


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