kazuo kawasaki's official blog

12月2日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 2nd, 2014  Posted 12:20 AM

12月2日 丁未(友引)

アートだ、デザインだ、
メディアアートだ、
なんとかアートだ、

デザインだ、って騒がしい者、
彼らが主張する作品に
私は厳しい見方をしている。

そのほとんどを否定することができる。

川崎和男「喧嘩道」


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12月1日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 1st, 2014  Posted 12:00 AM

12月2日 丁未(友引)

アートだ、デザインだ、
メディアアートだ、
なんとかアートだ、

デザインだ、って騒がしい者、
彼らが主張する作品に
私は厳しい見方をしている。

そのほとんどを否定することができる。

川崎和男「喧嘩道」


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11月30日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 30th, 2014  Posted 12:00 AM

11月30日 乙巳(赤口)

もっと明確な消失点を
いくつか打ち直すことが
想像を絶する
あの天災と対峙した私の
「生きていく」、最後の糧である。

川崎和男Design 図鑑


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11月29日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 29th, 2014  Posted 12:00 AM

11月29日 甲辰(大安)

ことばとかたちは、
ははとちちである。

はは、
ばば
おば、

ちち
ぢぢ
おぢ

ことばは女性詞であり、
かたちは男性詞である。

川崎和男「強い人間弱い人間」


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11月28日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 27th, 2014  Posted 12:00 AM

11月28日 癸卯(仏滅)

職能に対して、
その職能倫理に徹する人間は限られている。

それは、
職能が人間を定めている。
そのことに気づかない者が多過ぎる。

川崎和男「強い人間弱い人間」


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11月27日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 27th, 2014  Posted 12:00 AM

11月27日 壬寅(先負)

平気さと平然さを使いわけている、
そういうのを
私は輩と呼ぶ。

この二つを使い分ける輩は
生涯をかけても許せない。

しかし、
私が暴力性を潜ませた喧嘩相手にはならないものだ。
なぜなら、
大抵、こうした輩は、
時代から取り残されていく。
それは社会からも見捨てられるものだ。

川崎和男「喧嘩道」


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11月26日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 26th, 2014  Posted 12:00 AM

11月26日 辛丑(友引)

「やさしい」という言葉が
市民権をもっている。
しかし、
この言葉には、社会の曖昧性が取り憑いている。

「やさしい」とは、二つの意味がある。
「優しい」と「易しい」である。

つまり、
「優しい」=優美さと
「易しい」=容易さには
反対的な意味合いがあることを知るべきだ。

川崎和男「強い人間 弱い人間」


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11月25日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 25th, 2014  Posted 12:00 AM

11月25日 庚子(先勝)

喧嘩相手には
仕方無しの場合も用意しておくべきである。

それには、
演技としての喧嘩性である。
その喧嘩性には
暴力性と武力性も
仕込んでおく必要があるものでだ!

川崎和男「喧嘩道」


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11月24日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 24th, 2014  Posted 12:00 AM

11月24日 己亥(赤口)

私が喧嘩師として、
その生き様と立場は
大学空間においています。

この大学空間からの
喧嘩相手は、
学術知識体系と実務産業体系
この大学空間に生息している人間

そして
自分自身である。
川崎和男「喧嘩道」


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11月23日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 23rd, 2014  Posted 12:00 AM

11月23日 戊戌(大安)

喧嘩という暴力性は、
たとえ、喧嘩は知的行為といえども、
その暴力性があるという錯覚を
私は利用すべきだと考えている。

つまり、
それは「孫氏の兵法」での
「用間」だと認識している。

果たして、
この意味性は伝わらないものでもあると、
私は思っている。
「暴力性のある喧嘩」が時に、
私は必要だと断言している。

川崎和男「喧嘩道」


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