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『パイプ・喫煙文化に立ち戻るという憧憬あり』


   


     3月 15th, 2014  Posted 12:00 AM

老年期に入ってから、
この文化性に立ち戻ってもいいのではという憧れがあります。
飲酒と喫煙の復活です。
私は、母方も父方も飲酒は上戸で滅法に酒に強い家系でした。
喫煙も、タバコだけではなく、パイプや葉巻も大好きでした。
しかし、心臓を痛めてから、禁酒・禁煙を守ってきました。
特に、禁煙を周囲にもうるさく言い回っていましたが、
60歳・還暦になってからは、高齢になったのならば、
禁煙も禁酒も辞めてもいいだろうと考えるようになりました。
だから、私も僅かながらドクター了解で飲酒をしています。
さらに最近では、禁煙でも、パイプ喫煙もいいのではと思います。
パイプ喫煙には、私なりのタバコ喫煙同様に、
人類がタバコを欲して、それを文化にしてきた歴史があります。
しかも私はあるタイプのパイプを十数本、コレクトしていました。
けれども禁煙を決心した時にそのパイプは全て捨てました。
東京に銀座、新宿の大書店の裏に、パイプ屋さんがありました。
パイプは叔父とあるオーディオ評論家の先生に教わりましたから、
その形態・素材・仕上げ、パイプ喫煙のための環境のツール、
全てに美しさがありました。
パイプ喫煙をしたいとすごく思い込むのです。
捨ててしまったパイプたちを思い出します。
あるいは、あの画家が「これはパイプでは無い」という絵画、
その意味をしきりと懐かしくて憧憬を抱きます。
心臓を痛めてしまった私の身体には、正直なところ、
飲酒も喫煙もいけないのかもしれませんが、
人類、それも男の文化=ダンディズムだったはずです。
そんなことを抱くと「もう一度いいのでは・・・」、
なんてことをとても考え憧れ始めてしまうものです。

「酒とタバコと、そして・・・」
『タバコ・喫煙再開せず』


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『色彩ぐらいは出来ます=それならコレわかりますよね?』


   


     3月 14th, 2014  Posted 12:00 AM

「商品の色彩ぐらいは出来ます」なんて告げられるとするなら、
この色彩対比のトレーニングをしたことがあるでしょうか、と、
私は尋ねたくなります。
おそらく、カーデザインでカラーコーディネートしているプロは、
大笑いするでしょう。
素人は、色彩なんてセンスがあれば、とかいうのです。
ふざけないでいただきたい。
カラー決定は、即利益に直結しているのです。
私自身、美大では徹底的に色彩訓練をしてきました。
社会人になって、「カラーコーディネーションダイナミックス」を
これも徹底的にたたき込まれてきました。
大学人になって、「色彩論」の講義と実習を指導しました。
「色彩論」とは、色彩学=可視光線と電磁学を母体にして、
デザイン表現での思想表現の基本を教示します。
私の持論は、「一つの色を2時間はプレゼンが可能なこと」と、
教えてきたつもりです。
「流行色」というのがあります。
その「流行」というのは、元来は疫病学の論理の暗喩です。
だから、色彩を時代的に嗜好対象にするには疫病学的な流行を、
論理を実習表現力で確認するトレーニングが必要です。
若い時、新製品の営業である経営者に徹底的な非難を受けました。
私はすかさず言いました、
「それだけのセンスがあるのに、あなたのネクタイセンス、
大笑いできますよ」と。
その人は怒り狂っていました。が、やがてその企業は倒産しました。
「センス」とは、時代の香りです。その最も具体的なこと、
それは色彩感覚が幼少の頃の環境で育成されているものです。
服装のファッション性と同値だと言ってもいいでしょう。
そして何よりも重要なことは、
色彩センスは企業の経常利益と関係していることです。

『意識して見つめたい「光」を』
「大好きな画家・これが私のまなざし」
「この画家をもっと知らせたい」


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『現地の反対があっても愚策の防潮堤建設』


   


     3月 13th, 2014  Posted 12:00 AM

3.11から3年も過ぎて未だに復興は進展していないと見聞します。
それは想定済みのことでしたし、まさか、防潮堤の建設には、
わが国ならではのアイディアがあるものと思っていました。
しかし、これほどの愚策を進行させているとは大落胆です。
「国土強靱化計画」のもし、具体策の一つだとしたら、
日本の土木業界は最悪の「金儲け主義」だけしか見えてきません。
そしてこの計画もその程度だと判断するべきです。
私自身、被災地のある市で副市長や部長クラスに「真剣」に、
プレゼンテーションをしましたが、
はっきりと言えば、若過ぎるキャリア副市長や田舎の市役所幹部、
彼らの能力をその時に即判断して、彼らには「絶対無理」だと思いました。
案の上でした。彼らの能力がそのまま国策にも反映していました。
今回の大津波を研究したのでしょうか?
大地震で誘発された海からの津波、それを迎え打つ防潮堤ではダメです。
むしろ、大海からの大津波対策以上に、引き潮対策が最重要です。
引き潮は場所によっては、6から60倍の引き潮力があります。
その対策無しに、ただ高ければいいわけではありません。
海も見えなくなる高い高い防潮堤建設とは情けない限りです。
いろいろと調べてみると、被災現地ではほとんどが反対意見です。
それほど国策は「まともなもの」でしょうか?
現地の反対を抑え込んで、太平洋の海原を見せない建築部とは、
ほとんど能なしの連中の「税金の無駄遣い」に過ぎません。
新しい防潮堤ほど今回の大津波で破壊されたことを知ってほしいです。
それこそ、江戸時代の干拓地は液状化を免れました。
今、建設が続いている防潮堤の計画設計をしている建築家がいるなら、
それは日本の土木工学そのものが自分たちの能力無しを晒しているのです。
減災堤・救済堤・救護堤・安全堤の思考ぐらいしてほしいと思います。
特に港湾堤や安全堤にしても、大海が明確に見える発想と設計が必要。
願わくば、海岸線の自然と人工に真の哲学からの発想と技術を、
私たちは学び直すべきです。
私たちは今回の津波でどれだけ多くの同胞をうしなったでしょうか。
その「祈り」の表れこそ、海岸線のあり方を再考すべきだと考えます。

「防潮堤工事は土木工学ではありえず」
「若手デザイナーの観察眼・被災地へのまなざし」
『「土地の記憶」は鳥居の位置その変遷にある』


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『レントゲン写真と健康診断にもっとデザインを』


   


     3月 12th, 2014  Posted 12:00 AM

今、私は30年後の医療についての依頼論文を書いています。
さて、このレントゲン写真は素人にとっては、
一つの健康診断のシンボルになっていると思います。
しかしレントゲンとは放射線を使って体内を透視した写真ですが、
やがてこうしたレントゲン写真は不可能になってきます。
これは 1970年代のローマ賢人会議で指摘されたことです。
だからその会議後、デジタル処理での体内透視を放射線写像技術が
一通り進化はしましたが、まだ一般化していません。
したがって、私はこうした放射線透視技術の進展には、
工業デザイナーの必要性があると言ってきましたが、
まだまだデザイン教育そのものがそこまで進歩していません。
私は次の四つのことを提案しておきたいと考えています。

 ・ 放射線写像のデジタル機器のデザイン開発
 ・ 体内写像表現の3D化とそのインタラクションデザイン
 ・ 3D化された写像への仮想プログラミング化デザイン
 ・ デジタル機器のモバイル化と省電源化の機器デザイン

こうした以上のことを詳細に理解してもらうにはまだまだ、
私自身の具体的な提案を見せてモノで実証する必要があります。
したがって、まずは健康診断でも最重要ですが、
問題は「読影術」、ドクター達の技量と関係していることです。
つまり、デジタル機器の進化と医学発展を見極める専門家、
それは医学学識が膨大化しても耐えうる人材教育にこそ、
デザイン=問題解決の実務を結びつけることだと考えています。
もし、新たな放射線透視写像のプログラムで、
ドクターの読影判断だけではなくて、
病症患部を自動発見できるまでがデザイン目標化されるべきです。
結局、私はその学識領域を「デザイン医工学」と呼んでいます。

「病院という悲しみの日本語に『もてなし』という意味は無い」
「『工業デザイン』と『デザイン工学』の大きな差異」
「大学でのデザイン教育=デザイナー育成をめざす」


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『あれからもう3年たったのだが・・・』


   


     3月 11th, 2014  Posted 12:00 AM

東日本大震災は「March 11. 2011」と言うのが国際的ですが、
私はあの3.11以来、自分のデザイン活動の骨子になっています。
あの日、福井の親友と電話中に、私は気分が悪くなり、
彼に、「気分が悪くなってきたから電話切るよ」と。
そうしたら、「おい、揺れていないか、地震じゃないか!」。
私には鮮明な記憶があり、毎日夜のTV報道では涙が流れました。
そして多くの同胞を大津波で失い、国家の存亡を感じました。
海外の講演でも、必ずこの話を冒頭にしていました。
デザインの国際会議では大丈夫でしたが、ある大学では、
私は胸が詰まり泣きそうになりました。
大震災10ヶ月目に前政権の防災大臣にまでプレゼンをしましたが、
まったく政権の無能さには無駄だったようですし、
東北被災地でのプレゼンは無謀だったような気がしてなりません。
しっかりとアドバイスをくれたのは建築家・内藤廣氏でした。
それ以来、南海トラフ=間もなくという予測もありますが、
液状化現象防止の素材開発と、限定的な人工地盤デザイン、
これらを必死で進めていますがまだ商品化に至っていません。
すでに3年になろうとしているのですから、私たちは同胞の死から
予想される大天災への気構えだけではなくて、
国家再興の革新的なインフラデザインを緊急に仕上げるべきです。
それが、失った同胞への最大の役割のはずです。
ヒロシマ・ナガサキ、そしてフクシマというこの大事件も、
先進国のわが国ゆえに、今後の地球と人類全体の存続に対しても、
私たちが先達になれると私は考えています。
当初私はこれ全体を「危機管理学としてのデザイン」としました。
しかし、昨年デザインアプローチをしてきて、
今では「危機解決デザイン」としてのデザイン実務にしています。

「デザイン講座は制度設計と形態設計での問題解決」
『「土地の記憶」は鳥居の位置その変遷にある』
『忘れた頃にを想定内に!』
『「デザイン」=本来は政策に直結すべきだ!』


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『作品集ようやく束見本ができたが・・・』


   


     3月 10th, 2014  Posted 12:00 AM

自分の作品集には、デザイナーとしての意見を言わないこと。
これは同業の親友デザイナーから言われてきたことです。
本当は、阪大を退官するときに出版予定でしたが、
最近の図書出版の綿密な構成に不満があったので、延期しました。
正直、現代の図書印刷は市価との兼ね合いもあって安易です。
この安易さというのは出版関係にすら技術が残っていません。
技術的な仕様の要求を強めれば、決まって回答は、
 ・コストが上がる、
 ・時間がない、
 ・もうその技術はない、
このような答が返ってきますし、スタッフも同じ口実になります。
私が最も忌み嫌うことです。
私が始めて「デジタルなパサージュ」を出版したときには、
布張り表紙、銀箔落とし込み圧着印刷、活版印刷にしました。
それは図書出版が安易にすでにDTP化されている書籍には、
かっての図書印刷が追いついていないことを示したかったのです。
今ではすっかりDTPでPC編集ばかりですから、
図書の文化的な位置づけが「安モノ」に変わってしまっています。
それなら電子本で充分です。
だから著作者が安易な印刷に自分の思想を乗せている本には、
その著作者の文化程度、美学意識、図書崇拝度をみます。
そういう意味でも、私のほぼ35年間の作品集です。
私はこの作品集は「図鑑」でありたいと考えてきました。
特殊印刷では3D印刷を表紙写真に拘りまた。
さらに、私以外の執筆者も選びました。
出版社には私は厳しく接していますからそれなりの完成度、
作品集=書籍としてのあり方を突き詰める覚悟です。
一応、4月出版をめざしています。4冊目の作品集です。

「64歳ー私のデザイン作品集『図鑑』編集中」


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『日本の伝統的建築・五重塔の構造を今一度みる』


   


     3月 9th, 2014  Posted 12:00 AM

大阪では高層建築、あべのハルカスが話題になっています。
そして南海トラフへの対策が日毎に現実味をもってきました。
高層建築では長周期波動の揺れ対策があり、
私の自宅は32階建てで、あの3.11では大変に大きく揺れました。
その後も何度かこの長周期波動で気分が悪くなりました。
もし、手に入れることができるなら、
私は五重塔が欲しいとさえ思っていますが、
あれは古代の高層建築(55m)ランドマークでした。その五重塔、
その耐震建築は優れていた建築構造があったと言われています。
ただ冷静に考えればこれまでの大地震でも倒壊しなかったのです。
この構造こそが最高の耐震構造というのは早急すぎると思います。
ところが、あべのハルカスという高層建築の核心は、
この考え抜かれた五重塔構造が使われているらしいのです。
私は五重塔は日本独自の仏舎利であり、
五大思想を見事に美しくまとめたオリジナリティのある、しかも、
この世界で最古の高層建築だとしかみてきませんでしたが、
耐震構造を体現しているということになればさらに見事です。
私はあらためて日本全国にある五重塔だけでなく塔建築を
学ぶ直すべきだと思います。
なにしろ、3.11からそろそろ3年になりますが、
その復興計画もなかなか思いどおりになっていませんから、
デザインプレゼン計画を再考しています。
私自身の自宅がおよそ100mの所に住んでいますから、
地震時の長周期波動対策は皆無だと分かっています。
最近は屋上にこの長期振動対策機器の開発があります。
しかも、この基本的な考え方は五重塔が参考だと聞きました。
私はあらためて五重塔への眼差しを変えたいと思っています。

『忘れた頃にを想定内に!』
『ふだん・忘れた頃に、まさか・想定外はありえない』


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『手帳・これらのリフィールとペンには進化がありました』


   


     3月 8th, 2014  Posted 12:00 AM

手帳と手帖があります。それぞれ本来の意味がありますが、
時々、雑誌でも使い分けが出来ていないのは偽物紹介誌です。
さて、私が手帳に興味を持ったのは警察手帳からでした。
以前、警察官はその手帳で身分を明らかにしていました。
父の警察手帳を見たとき、
余りにも克明なメモが小さな達筆で書き込まれていました。
さて私自身これまでどれだけの手帳を試してきたことでしょうか。
今、自宅にある手帳をすべて出してみました。
おそらくこの手帳は最も高額なモノから素材が良いものもあり、
結局は、手帳のカバー、リフィールと手帳ペンには、
見事に技術進化の経歴がありました。
それはケータイ電話との兼ね合いやパソコンとのリンク性です。
今では、手帳をアナログな使い方と、デジタルペンで、
パソコン、ボード、ケータイすべてが連関性が可能になりました。
しかし、アナログな使い方にはフォーマル性があると思います。
私が言うフォーマル性というのは品性があるという感じのモノ。
手帳カバーはやはり皮革がふさわしくて、その素材性には
今後は手に入れることが困難になりそうなモノも出てきました。
これらの手帳はほとんどこの30年間試用で、気がつけば、
デジタルとの連関性の進歩とともに好みの変化があったようです。
そして明らかに言えることは、
この手帳のペンもデジタル機器になってきましたが、
デザインとしてはアナログ性=フォーマル感のあるモノ、
そのデザインには勝っていないことが残念です。
そろそろこうした手帳も決定的なモノにする時期が来ました。
職能と平行してきた手帳試用の役割を決定づける頃になりました。
私が自分の職能=社会的な存在との結論手帳となることでしょう。

「ひらがな練習」
「来年の手帳は選びましたか?」


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『鉛筆削りナイフ・伝統技の記号づくりと情報づくり』


   


     3月 7th, 2014  Posted 12:00 AM

私がデザイン導入を越前打刃物産地に導入して30年になります。
社会的な提案で「スコラ=学校という意味のラテン語」という、
鉛筆削りを商品化しました。MoMA=New York近代美術館に、
永久収蔵され、美術教科書にもデザインとして紹介されています。
当初はすべて金属製で砥石や皮ケースもつけましたが、
プラスチック化して廉価にしました。
そしてデザインは全く変えていなくてもロングライフ商品です。
今や、鉛筆は消滅しかかっています。
ある大学で、鉛筆は数人しか使っていなくて、
ほとんどがシャープペンシルだったという調査があるくらいです。
結局、包丁が使えない、リンゴの皮がむけない、という風潮で、
私は鉛筆削りによって刃物に親しんでほしいという商品でした。
いつの日か、この商品も無くなるのかもしれませんが、
刃物は人類にとって最高の道具です。
なぜなら、刃物があれば、それで次の道具が創れるからです。
そういう意味では、鉛筆+刃物=ナイフ使い勝手の基本です。
これは鉛筆削りというナイフの記号そのものです。
記号としてのナイフだから、表現しているのは安全な使い勝手と、
意味していることは、「切る」「削る」という行為の内容です。
とても簡単な「かたち」にすぎませんが、
現在の家電での道具足る表現とその意味とその内容は、
格段に使い勝手の安全性や記号性を失っていると思うのです。
そういう意味では、私は伝統工芸産地でこの商品づくり、
すなわち「記号づくり」は正直で素直であったと自負しています。
私は、すでに製品でも
商品でもなくて、
今後は「記号づくり」が重要になってきていると主張しています。
しかもさらに需要なのは「記号」と「情報」の創造創作です。
「記号づくり」+「情報づくり」、この一元化だと確信します。

「750年をタケフナイフビレッジで革新して30年」
『タケフナイフビレッジにはもっと要求する』
「タケフナイフビレッジ第二世代へ理念を伝える」
「タケフナイフビレッジの次世代へ」


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『記号論・文庫版になった定本だから再熟考対象だ』


   


     3月 6th, 2014  Posted 12:00 AM

「記号」ということばは道元が定めたといわれています。
ちょうど私が30歳で東京を離れふるさとに帰郷する年に、
日本記号学会が発足し会員になったことを思い出します。
学識としての「デザイン」は文系であり理系でもあったので、
核心となる学域が無いことに迷っていた私には、
記号学・記号論は、デザインの複合的で学際領域でした。
とても最適な学域・論考域として最も興味ある分野になりました。
そしてその時に最適な書籍が「記号論?と記号論?」です。
何度もこの書籍に私は頼っていたことを思い出します。
この学会に入ったのは、まだ当時は学者でもなくて、
論文を書くと言うよりもこの学会誌は書店刊行であったことです。
まだ書店刊行となる学会誌は無かったと思います。
学会員は、数学・医学・哲学・文学・音楽・芸術・デザインなど
あらゆる領域の人たちがいて、その頃読みあさっていた評論家は
ほとんどの人たちがいました。
記号とは、端的に言ってしまえば、
<表現+意味>=記号という認識であり、表現すべての意味、
あるいは意味から表現という形式が『記号」という認識論でした。
したがって、デザインという表現、デザインという意味、
意味+表現=デザイン、表現+意味=デザインとして、
私にとってはデザイン思考を支える基本的な姿勢になりました。
ちょうど私にとっては、記号学・記号論が気になり、
車椅子で私のデザイン方向を探っている最中のことでした。
おそらく私はこの記号論から思考をまとめていたのでしょう。
最近、この文庫本が出てきて「記号論」が一般化したと思います。
さて、こうして一般化してきた記号論は、
あらためて再熟考が必要になってきていると私は意識しています。

「デザインは記号論的な『造形言語と形態言語』での論理化」
「記号論は脱構築に向かっていった『かたち論』」
「商品・コミュニケーションから意味論的デザイン」


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