4月 4th, 2014 Posted 12:00 AM

私の教え子=スタッフたち(カーデザイナーも)乗りました。
まさに、Segwayは体幹の歩行状態をそのまま反映しています。
それは乗馬して馬とのコミュニケーションそのままです。
下半身の歩行感覚が活かされている乗物は在りませんでした。
日本のカーメーカーやバイクメーカーは、
このシステムを勘違いしているようです。
それがそのまま道交法にも見合っていないために、
まだこの乗物が市民権を得ることは困難なようです。しかし、
「Segway Smile」という言葉が生まれたように、
馬力と身体関係、道路は車道・歩道よりも馬道の発想が必要です。
自動車の構造がどれほど身体との関係を破壊したでしょうか。
少なくてもワイフは最初のSegway乗車経験がありましたが、
スタッフたちの個性がそのまま反映していて笑いました。
自分の体幹感覚をインストラクターに導いてもらうこと、
それはそのまま、指導を素直に受ける、聞く耳を持っているかなど
とても個性に見合っていて面白い限りでした。
自分の身体と指導の受け入れ方などは反省を余儀なくされてました。
そして、最も重要だったことは自動車ではなく、
人馬一体が人間には最適な乗物であるという確認が取れたことです。
自動車と石油資本での車社会こそ都市の体幹感覚であり、
「楽しい移動」は人体が受け入れられる速度性があることでした。
Segwayはまだまだ都市社会・田園社会とのあり方制度変更が
なんといっても望まれますが、そのためにデザインが可能なコトも
とても明快になってきたと私は断言できます。
私にとって、これまでそれなりの車を所有し使用してきました。
すべて障害者運転装置に改造してきた経験も大きいのです。
もっと大事なコトは、「歩けなくなった私の移動ツール」です。
私は胸椎脊損をしていますから「腰・体幹」でのコントロール、
この新たな発想をSegwayに仕掛けるデザインが必要です。
スイスやオランダで実現されているSegway車椅子を
私の車椅子を超えているモノが無いだけに、
早く開発をしたいと思っています。
それは車椅子というモノを超えた新たな街づくり、路づくりという
コトのデザイン=制度デザインです。
Segwayを参考にした新たな乗物が移動空間の制度を創るはずです。
「石畳の街、その文明と文化」
「新幹線ホームのエレベーターは再デザイン必要」
目次を見る
4月 3rd, 2014 Posted 12:00 AM

Segwayが日本にやってきた最初にワイフは試乗しました。
私は、車椅子のためにまだ乗ったことがありませんが、
電動車椅子を使用し始めて、Segwayの進化を追いかけてきました。
海外の車椅子、特に、Segwayを車椅子にしたモノが最高と判断。
そこで、本格的にまず「自分用」を開発しようと、
Segwayjapan社と連絡し合って、いよいよ試乗のトレーニング、
そして、わが国のSegway普及についてA氏と議論をしました。
彼自身がIT企業出身なので、パソコンそしてロボティクスとしての
将来象を質問し、確認することができました。
私は産業革命とともに自動車産業が20世紀を形成してきましたが、
石油資本との経済関係での世界支配は、米国本土ですら、
この革新的な乗物を大誤解させていると見てきました。
わが国ではさらに日本に登場以来もっと大誤解があったようです。
今、Segwayは欧州で、特にこの車椅子使用は優れています。
ジョブスが「Flying Carpet」としてApple製品化を狙ったことや、
この進化技術は、とりわけ国内の車メーカーは気づいていません。
話は変わりますが、
わが祖父は福井県で最初に自転車に乗ったことを自慢していました。
私はsegwayに未来の乗物のあり方を見つけることができます。
これこそ体幹とモノ=人馬一体をコンピュータが可能にしました。
私には、日本独自にこの考え方をさらに進化させる発想を
是非ともデザイナーとして可能にしたいと考えています。
なんと言っても、Segwayに乗る、その指導を受けることには、
「指導される、人の意見を素直に受ける」ということが大事です。
まさに、A氏は、まだ「マウスのようなモノ」と断言しましたが、
私は彼の未来づくり発想を知り、私の全体計画を伝えました。
正直、つまらないプロダクトが増えています。
駄作などを創ってはならない職能観すら喪っているデザイナーを、
私は自分の真正直で美しいデザイン活動を語って、
批評非難し、大論破していくつもりです。
なぜなら、もう私の活動時間は死に向かっているからです。
『そろそろ電動車椅子デザインの時期=一人称デザイン』
『これは最適ではない・誤った車椅子対応車輌デザイン』
「デザインは皆無だ!・・・誤りのデザイン」
目次を見る
4月 2nd, 2014 Posted 12:00 AM

「瞬間」を最初に考えついた人物はプラトンであるらしいのです。
確かに、飛んでいる矢の一瞬一瞬を停止していると見なして、
それが、力学、微分と積分の考え方を生みました。
微分積分は動きの停止点の最小を無限に追いかけています。
無限そのものの感覚へ自分を近づける唯一の方法なのでしょう。
つまり、この考え方は、生死と動止という矛盾を包括しています。
生まれることは死んでいくこと。
動いていることは止まっていること。
このことこそ、実はアポリアの本質だと思ってきました。
そこで、この「瞬間」を製品に、やがて商品に、と考えています。
それが私のデザインするどの商品分野になっていくかは、
多分、モノを見つめる瞬間であり、瞬きそのものの感覚です。
私は、見つめるという行為は、確かにジーッと見入る感覚ですが、
本当は、いや真実は「瞬き」の一瞬に視覚に飛び込んできたこと。
「瞬き」に、最終のコミュニケーションがあります。
もし、しゃべれなくなったら、
声を使う事が出来なくなったら、
おそらく、私は瞬くことだけが人間には残っているはずです。
だから、死んでいくために生きているのに、
動いているというのは停止していることが連続しているのに、
こうした矛盾を一瞬にして瞬きの瞬間にしか確認できないのです。
結局、私の人生、いや人間の人生そのものが「瞬間」でした。
生きていくことが死んでいくのにという矛盾だらけゆえにこそ、
瞬間をどれだけ確認できるかがアポリアの無限さを知るのです。
しかも、瞬間は瞬く一瞬ゆえに認識さえ不可能なのでしょう。
私は、この人生の「瞬間」を「瞬感」として受け止めます。
この受け止めた「瞬感」のシンボルを創りたいと思っています。
「アーティスト、デザイナーにだけ降りてくること」
「生きることの模範・範疇・範囲として」
目次を見る
4月 1st, 2014 Posted 12:00 AM

4月1日より、消費税がアップします。
100円のモノが108円になります。
連日、消費税アップ前に何を買うべきか、との報道が多く、
私にとっては、「作品集」を延期したために影響があるようです。
消費税のことよりも大事なことと言うと叱られそうですが、
私は、一円玉は一つのスケールだと考えてきました。
一円ほど見事に材質がアルミニュウムで、
重さは1g、直径20mm、厚さは1.5mmと、とても明快な寸法ですから、
デザインツールとして、とても有効な定規になるモノです。
比して、五円玉がスケールツールとしては私は二つあります。
重さが一匁ですが、これは伝統工芸的な重量把握に便利です。
あとは、穴が開いています。この直径が5mmですから、
一円玉と五円玉があれば、小さなモノの設計にはとても便利です。
五円玉は一円玉よりやや大きいのです。それを組み合わせれば、
また、大きさの検討が出来ます。
私には、一円と五円はその貨幣の大きさ最も気になっています。
最大の理由は、私が交通被災で入院中に、500円玉が出て、
物珍しさは今も全く変わっていません。
さて、消費税については、税金ですからその使い道が政です。
政はこの税金の使われ方に要のことがあるはずです。
正直、税金の集め方と使い方には民主主義は成立していません。
民主主義なら、多数決の原則で集金と分配方法は一考を要します。
使われ方が明白にはなっていないことが気がかりです。
確かに今回の消費税アップでは、日本の税務体制改善は無理です。
少子化対策と年金対策ゆえに社会福祉政策という理由程度では、
私は正直賛同できるものではありません。
どうせなら、教育費無料、年金集金システムの改善には、
消費税はもっともっと熟考されなければならないでしょう。
と同時に、私は一円玉と五円玉のスケール性を主張しておきます。
「丸ポスト・街角のアイコンから貯金アイコン?」
「貨幣価値の再確認は、ちょっとうれしい」
金融工学の始祖はマルクスだった_15
目次を見る
3月 31st, 2014 Posted 12:00 AM

人類は昔より全く変わらないことがあるものだとよく思います。
たとえば計量の単位である、長さとか大きさを一定測のことです。
「度量衡」と呼ばれているこの一定測は基本が決定しています。
この一定測は、税金をどう取り立てるかという法律です。
長さをどうやって決めるか、ということについては、
「もの差しの長さ」の決め方が、最初は笛の音に気づいたこと。
つまり笛の音を決めれば、同じ音を決めるには長さが決まります。
これが今ではレーザー光線=波長で全世界が決められることです。
さらに、もの差しでその割合を決めるツールが生まれてきます。
幸いに私はデザイナーという職能ゆえ、
定規には興味がつきず、これもできる限り収集したいのです。
定規には民族性があり、規はコンパスを表し、
これらの収集物についてはやがて私なりに本を書きたいほどです。
今回、「比例コンパス」・「曲尺」・「黄金比コンパス」は、
とても便利で、「曲尺」などは、日本が生み出した優れモノです。
私はどうしてこうしたもの差しをさらに進化させてツールを
絶対に教育でも教えておくべきだと思います。
「曲尺」には長さ・角度・比例すべてが満載されています。
だから私は持ち歩いている一つです。
「比例コンパス」はすでに販売されていないと思いますが、
今ではCADなどPC上ではすぐに分割など簡便だからでしょう。
しかし、私はこの西洋の知恵は素晴らしいと思っています。
現在、大学の図学ですらこのコンパスを教えていません。
大多数の大卒の技術者にとってこのコンパスの存在すら無知です。
私は何度か「黄金コンパス」についても紹介してきましたが、
「黄金比って何なんだ?」と大学内で聞かれたことすらあります。
それはもう仕方の無いことでしょうか?
いや、私は、こうしたもの差しは「人類の知恵」ですから、
さらに知恵の進化されたツールを私自身創りたいと思っています。
4月18日 staffblog
「黄金コンパス・黄金比と白銀比を身体化するには」
「X:1-X・この計算では、1.61803398749・・・が示すこと」
目次を見る
3月 30th, 2014 Posted 12:00 AM

私はデザイナーとしてますます素材が大事だと思います。
最も手短に確かめることができるのは、「鉛筆」にあります。
このメーカーが鉛筆づくりには正確な素材表現をします。
それだけに、時折、木質に拘った鉛筆を
必ず、自分の一本にしたり、あるいは消しゴムでも、
カラー表現に取り囲まれるとき、この職能であって幸運でした。
とりわけ、木質では、デザイナーに成り立ての頃には、
塩ビシートの開発で、木目・木質そっくりの型出しに、
印刷メーカーの工場で、職人気質の人に育ててもらいました。
私が常に思い出すのは「ブラジリアン・ローズウッド」の木目。
そっくりにレンダリングに描いて、その塩ビシート化をしました。
私のイメージは絵に表れていましたが、
「お前はまだ学校出たてだろう?」
「お前は自然のブラジリアン・ローズウッドの木知ってるか?」
と言われて、
「見たことがありません」
「本物を絵にしてから出直せ」と言われたものでした。
東芝のデザイン室にある資料室には、本物の木の板がありました。
それを見ても分からずに、工場で教わったのです。
「ブラジリアン・ローズウッドは南洋材だ、
だから大きな樹木には育たない、直径がほぼ150mm程度だ、
だとするなら、木目は細かい」、と教わりました。
それ以後今日まで素材は必ず本物を見て確かめることが重要です。
今、まだ本物を確かめていないモノは、
ウラン鉱石です。
聞いた話では、幾重にも色彩が光り輝いているということです。
それなら、ネックレスに!と、
しかし、そんなことをすれば被爆してしまいます。
だから、絶対に見たいのはプルトニウムそのものを、
素材として確かめることも重大だと思っています。
「大好きな色鉛筆・最近のお気に入り」
「プロとして元気の素は鉛筆への作法」
目次を見る
3月 29th, 2014 Posted 7:17 PM

阪大に特任教授として残り、一年間、
「危機管理学プロダクトデザイン寄附講座」にて、
いくつかのプロジェクトを研究・提案・講義してきました。
特に「KK塾」を阪大・中の島センターにて6回目の講演対談をし、
第一期「KK塾」を終えることができました。
最終講義は、大阪大学の友人であり敬愛する澤教授にて、
大阪大学を最も代表する第一外科・心臓血管外科が、
大阪大学なればこそできる、iPS細胞の臨床実務の数々から、
世界的に今後、日本が診療の国際貢献の要になる実例など
「先端医療とデザイン」を第一外科教授だけではなく、
国内外のプロジェクトリーダーとしての講演を終えました。
これまで、6人の教授や企業家を私の選別で塾をやりました。
本当に、全講師の皆さんの講義は第二期塾を要請されています。
この一年、実際は、日本列島へいつ来るかという天変地異を意識し
「危機管理学」を見直してきました。
結果危機は管理学的な学術性では論理的な欠陥を見いだしました。
そこで、「危機管理学概論」を出版している出版社社長にも、
危機管理学は深度がないので、新たに「危機解決学」という実務、
管理学ではない解決実務学こそ重大であると提案しました。
危機とは、危険(dengirous)と機会(opotunity)、
つまり、危険というチャンスを生かして「最悪の状態」
生きのびる事=死から解放される事を目指すということを確認し、
今後は、危機管理学を超えて「危機解決デザイン学」にします。
この4月より実務学的=デザインで、防災・防犯・救済・救護へ、
医学・工学・制度学・行政学へ「デザイン」を向けます。
そのためには、今も各種、特に、減災と防災と救済を基本に、
実務としてのデザインをまた活動していきます。
『「KK塾」大野ゆう子教授からスタートしました! 』
『人類の夢・宇宙開発を支える「信頼・安全性工学」』
目次を見る
3月 28th, 2014 Posted 12:00 AM

韓国とは本当に馴染みがたい国だと思わざるをえません。
私にとって、
韓国が隣国であってもそれ以上の国家ではありません。
そして私には韓国に馴染み深い元スタッフ(現教授)も、
現スタッフもデザイナー仲間も大学教授など多くの友人がいます。
しかし、政治の世界において、
私は見事なる国際関係論の間柄を遵守すべきだと考えます。
教科書問題・靖国問題・南京問題・慰安婦問題が、
私たち国家を非難する国々とは、強固な国際関係論でいいのです。
国際関係論とは決して「仲良く出来ない間柄」での契約制度です。
この冷徹さを持って特に隣国と接していくべきだと考えます。
特に、韓国との間での靖国問題も慰安婦問題も、
正当なる冷徹さを固持すべきです。
靖国問題は死者への慰霊は他国から干渉などの無用を断言します。
慰安婦問題ともなれば、戦時中の商売でしかなかった事実の歪曲。
日本人はとりわけ敗戦後、愛国心を奪われてしまった民族です。
しかし、わが国政権トップへの、隣国の礼節の無さを知れば、
かえって愛国心は隣国である朝鮮と中国に向ける風潮になります。
私は、たとえ風潮で生まれた愛国心であっても込めるべき事は、
知性ある冷徹な関係論であり、友好国家意識などは全く無用です。
所詮、言葉と文化が異なることの相互互助の認識は、
決して、友好である必要性など無味無効です。
もし友好関係は外国人友人に向けられたミクロな意識で充分です。
私は、地政学的な国家防衛論が母体の国際関係論を、
日韓トップの会談での礼節さと非礼さを確認する限りの判断、
まして米国との関係論には
再度熟考吟味された知性深い冷徹さが不可欠になりました。
私たちには、世界でも最高峰の技術があります。
その技術で国家防衛を果たす冷徹な国際関係論を強化すべきです。
「KAIST=韓国科学技術院の先生を招いて」
「韓国の勢い・16茶より17茶という意気込み」
「日本・日常的な地図図形認識を変更すべきだ」
目次を見る
3月 27th, 2014 Posted 12:00 AM

私は日本人で在ることをとても誇りに思っています。
その根本として「三種の神器」という日本国家のモノの存在です。
「三種の神器」というのは、簡単に言えば、剣・勾玉・鑑です。
当然ながら、この三つの国家としてのシンボルには、
それぞれの意味が配置されていますが、
私は、私なりの解釈をしています。
鑑は「太陽」をシンボルにしていますが、私は鑑=鏡として、
人間の通信=コミュニケーションの象徴であり、現代はそのまま、
光通信に直結していると思っているのです。
「勾玉」は政(まつりごと)の基本=呪術のモノですが、
私は、自然界からのモノを磨き上げてきた技術の表れと思います。
そして、刀=片刃ではない剣(両刃)は、まさに刃物であり、
これは武器=自分の身を守り文明の源のシンボルです。
しかし、日本人にとっての武器とは、もっと深度がある思想、
すなわちそれは、剣をシンボルとした思想の象徴と考えます。
世界のいわゆる王室=政は剣でそれぞれの王室国家は、
その武力性を剣そのもので表しているわけではありません。
むしろ、その剣を持って国の安全保障を誓約する象徴なのです。
国家の安全の象徴は、そのまま国家理念・国家思想です。
こうして考えてみると、「三種の神器」である三つのモノは、
その国家に属することの人間の生を護る三つのモノであり、
それを国家の基本としている日本の成り立ちを、
私は見事に信頼することが出来ると思うのです。
そして、私は、日本の未来、日本人の未来を支えるモノの体系は、
必ず、これらの象徴された剣=思想、勾玉=技術、鑑=伝達に、
すべてのモノの体系に治められる、
まさに隠喩として納得理由があると思うのです。
だから私たち日本人は「三種の神器」在ることを誇れるわけです。
「『鏡』の存在を知り尽くすこと」
「この技術はデザインによって大変革の時期がきた」
Tags: コミュニケーション, シンボル, 三種の神器, 両刃, 光通信, 刃物, 剣, 勾玉, 呪術, 国家の安全, 国家思想, 国家理念, 太陽, 安全保障, 思想, 技術, 日本人, 日本国家, 武器, 王室, 王室国家, 通信, 鏡, 鑑
Posted in 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ
目次を見る
3月 26th, 2014 Posted 12:00 AM

私はプロのデザイナーですが、医療とデザインを考えてきました。
したがって、今年早々の課題も、医療とデザインの関係を
またあらためて熟考することでした。
しかし、今年に入って重要な人を二人も失い、
私自身、医療以前に「老病死」の前に突きつけられた思いです。
失った二人とも、「病」に倒れて逝きました。
その「病」への対抗策がデザインではありません。
デザインはその対抗策・手法の医療、背景の医学を支援します。
すでに私も「老」の時代の中で生をつないでいるだけであり、
老は必ず、病死への過程そのものと言っていいでしょう。
少なからず、私の生も最大20年も無いことと推定しています。
同世代が、延命治療を願ったことを知りました。
自分の延命治療のためには病院建設まで考えていたらしいのです。
それほど彼は現代医療そのものを組織変更まで願ったのでしょう。
もう一人は、一緒に食事をしてぴったり3ヶ月目に逝きました。
年下であり有能な人間として社会的な立場と発言力がありました。
それだけに年上の私に真剣に師事することを申し出る人物でした。
私にとって2050年は、存在しない年月ですが、
私なりの理念と思考をデザインから医療に配置し直したいのです。
なぜなら、「日本の未来を医療がひらく」ことは無いでしょう。
医療にそれほどの力があるはずがありません。
もし、現代の医療にその力、すなわち制度があったならば、
私は少なからず重大な人物を失うことはなかったと愚痴ります。
デザインから医療と日本とその未来をみるとき、
「日本の未来が医療を進化させる」具合であってほしいのです。
日本の未来を支援するすべての領域が「医療」の基盤を、
創出して進化させてくれることを祈るばかりです。
『行政サービスの力量は救急システムでわかる!』
『Saint-Étienne・ユネスコ認定デザイン都市で』
目次を見る