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『スイスの時計業界のしたたかな強さについて』


   


     9月 22nd, 2014  Posted 12:00 AM

この二つ、機械式時計の革新を狙った高級ブランド時計の話です。
エルメスは時計アイテムはブランド商品力がきわめて弱く、
ここ5年ぐらいにようやく100万円を超えるそれも機械式時計、
その商品化ではスイスの時計メーカーを買収してのことでした。
50万の時計などとてもエルメスでは無理で16万のクリッパーでした。
そこでエルメスが考え抜いたデジタルとアナログの時計、
それもアナログ表現の裏にデジタルを隠したデジタル時計でした。
エルメスが企業戦略では重大な商品でしたが、
その企業戦略はまったく時計業界を震撼不可能に終わりました。
それから数年後、ルイヴィトンはエルメスのエスパス機構を
自社ブランドに加えて、彼らもデジタル時計を
機械式に隠した方式で革新を狙いました。
国際的なヨットレースは彼らの企業PRで大きな訴求力が決め手。
私はこの二つを所有していますが、実際はほとんど使いません。
スイスが国家戦略で時計学校と国立時計師制度を創り上げたのは、
日本でクォーツ時計が特許フリーで発売になったときからでした。
日本のクォーツは、国際競技の公式時計認定をほぼ10年間。
この期間にスイスの国家戦略は150万から2000万円ラインを
したたかに機械式・ブレゲが大発明のトゥールビヨンを発案、
その歴史性を制度化することを教育・資格・展示会で戦略化しました。
私はスイスの機械式=アナログをきっちりと守り抜いた怖さを見ます。
その恐ろしさは価格帯に反映しています。
30万から800万の機械式時計販売の見事さに潜んでいる国家戦略。
果たして、アップルウォッチはこの牙城を壊せるでしょうか?
つまり、機械式=アナログ性は左手から離れることの難しさです。
それを代表しているエルメスとルイヴィトンは見事に敗北しました。
今や、あらゆるスポーツの公式認定時計、そのブランドが
なぜ、公認されていくのかは確認していく必要があります。
スイスの見本市、国家戦略なる産業には永世中立国家の強さです。

『クロノグラフという発明はピクト表現の始まり・・・?』
「デザインすることの勘違いは大間違い」
「もし・・・という話題の問題解決は応答」


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『無論、すべてがヒット商品になったわけではないが・・・』


   


     9月 21st, 2014  Posted 12:15 AM

ジュエルトーンブランドは徹底的にレコード盤周辺の
アクセサリー群を考え出せばできる限り商品化をしていました。
大ヒットを連続させていましたが、かなりその経過の中では、
自分の想像及ばずで失敗例もつくりました。
その一つに、レコード盤をパックするように、化粧品のごとく、
いや、女性が顔のパックをして不純物を皮膚から取るようにと、
レコパックなる名辞とともに、その道具化を狙いました。
これならレコード盤上、レコード溝に入っているチリを取り除く、
と思って、懸命に化粧品パックを製造しているメーカー相手に
そのパックを開発しました。
あるとき、革靴が汚れたと聞いて、皮表面のゴミも取れるはず、
そう思い込んだ私は、それを試みましたが、大失敗しました。
ひょっとすると、これは失敗作になるかも知れないと予感しました。
レコード盤をパックするという発想は当時話題にはなりましたが、
市場では、それほどヒットはしませんでした。
ともかく、レコード盤、レコード溝をクリーンにすることを
毎日毎日考え続けていた気がします。
ブランドイメージはすべてアイデンティティを遵守するために、
液体系はすべて真っ白のボトルにパッケージPIも統一していました。
結果、全国のレコード店舗での商品陳列は最も美しくなりました。
デザインは決して装飾やカッコ良さを求めて企画や設計せずに、
すべからく、商品存在性は問題解決でした。
商品陳列も店舗がより整理整頓や掃除がしやすくなりますから、
それが結果、美しい店舗になっていくことでした。
今ではレコードショップは、CDショップになりましたが、
街からこうしたショップもいづれ無くなっていくことだと思います。
アナログ時代からデジタル時代になって、
音楽ソースはすでにダウンロード購入される時代になりました。
20世紀の商品デザインは、特に、商品存在は効能性を生み出す
問題解決の手法であり、それは今も変わってはいません。


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『静電気、あたかもスタンガンでレコード盤から塵を取る』


   


     9月 20th, 2014  Posted 12:00 AM

オーディオ機器で徹底的なプロになるために、至極自然に、
私は「静電気」に詳しくなった気がしています。
東芝時代は、エレクトレットコンデンサー素子を、
マイク、ヘッドホン、そしてカートリッジとそのアンプが
私の東芝での最終仕事であり、最大のヒット商品と、
デザイン作品として成功したと思っています。
結局、チーフにだけ打ち明けておき、その他上層部には内緒で開発。
フリーになると、機器よりもアクセサリー関連商品で常に、
私はヒット作を考え出して、提案し、大ヒットを出していました。
この機器は、レコード盤と静電気の関係があるなら、直接に、
イオンを瞬時に高電圧をかけて中和することで、
静電気除去をとねらって開発して商品化しました。
ある意味ではスタンガンにほぼ近い電圧で低電流発生装置でした。
レコード盤の塵は瞬間的に取り除くことができました。
ともかく、静電気はすぐに塵やゴミをレコード盤上にありました。
したがって、カートリッジの針が塵にぶつかれば、
バチバチという音を拾っていましたが、その音ゆえに今となっては
どこか、アナログゆえの雑音あってこそ、S/N比があるからこそ、
ある種の安らぎだったのかもしれません。
デジタルにすっかり私自身は自分のオーディオ環境を変えました。
しかし、最近では、もう一度プレーヤーとこの機種は
どこかに持っていたので探し出して使ってみようかとさえ思います。
DJがレコード盤を激しく操っているのを見るのは、
正直、私には耐えがたい行動です。
レコードプレーヤーは今、DJにとっては一つの楽器になっています。
私にとって、レコード盤への追求はさらにまだまだ工夫をしました。
本当は作品集に残すべきでしたが、現物も写真の無いモノは、
このブログに書き残しておきたいと思います。
アナログと静電気の関係も、私には確かなデザイン経験でした。
そして、このところこのブログを書いていたら、
丁度その当時のレコードクリーナーがHPにあることを教わりました。
このクリーナーが最高の品質とデザインを完成させたと思っています。

「カートリッジデザインのフィニッシュワーク」
「SZ-1000・私のオーディオ最終作だから」
「ヘッドホンにはヘッドホンアンプ必要なり」


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『レコード盤に五塵ありなのだろうか、ならばその塵を取る』


   


     9月 19th, 2014  Posted 12:00 AM

五塵という仏教用語があります。
色・声・香・味・蝕という煩悩=感覚のことらしいのです。
要はチリ=塵がレコード盤には常につきものでした。
その塵など無関係にしていた評論家に憧れたこともありますが、
ともかくいつもレコード盤から静電気でくっつけている塵に対して
私はその塵取り器具は様々にデザイン設計して商品にしていました。
もちろん、クリーナーそのもののデザインがありますが、
もう手元にもなく、探し回っていますが見つかりません。
そのクリーナーデザインは素材も当時の最先端であり、
人間工学的に最適な使い勝手を見いだして具現化していました。
LP盤といえば直径31.5mmだったので、そのレコード盤溝を
いかにクリーンにするかを、
毎日考えてスケッチをしていた記憶があります。
直径の長さをそのままでは、モノになるわけがありませんから、
コンパクトにしなければなりません。
そのコンパクトに関しては、以後、私のデザイン活動では、重大な
それも論理性を求めて、大学人になって研究テーマとなり、
大学院修士課程での修士論文にいくつかなりました。
したがって、その論文で修士号を取得させて、まさに小型車、
そのカーデザイナーにした教え子にまでつながる設計経験でした。
コンパクトな形態にして、ワンプッシュで一回転させれば、
ブラシが回転することで静電気の反転現象で塵が取れる機構です。
この商品化もその写真撮影まで細々と指示をするデザイナーでした。
オーディオは聞く=聴くということでは、音楽の色彩も香りも、
さらに味わいまでを感じ取るまさに煩悩の固まりに触れるのです。
ところが、レコード盤にある塵がその感覚を遮断しかねません。
仏教用語でしかなかった五塵をオーディオへのこだわりから、
そのその構造化の具体化を経験していました。


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『LPレコード盤を大事にしたかったから=その商品化』


   


     9月 18th, 2014  Posted 12:00 AM

フリーランスデザイナーになってから、私が気づいたことは、
オーディオ機器、その周辺外のデザイン能力が無いことでした。
それなら、オーディオ関連で出来なかったことにデザインを!
これまで存外視されていた事をモノにデザインすることでした。
そこで、ジュエルトーンブランド商品群に商品化企画を提案して、
そのシリーズ化にナンバリング化=No1=No 1から始めたのです。
濡れティッシュにレコードクリーナー液材でモノを創りました。
無論、大ヒットさせていくうちに、気づいたことは、
レコード盤がジャケット内の内袋が結構、無くしてしまうことです。
それならば、中袋だけを商品化してみたらという発想です。
いづれも会議中に思いついた「瞬間芸のように」、
瞬発的なアイディアを即、製品開発では、それぞれの専門企業を
口説いて説得しましたが、当時、国内にはレコード店が約8000店。
5500店舗販売が可能ということが大きな力になり、
こうした店舗説得企画を先行してデザインワークに持ち込みました。
東芝で、ほとんど喧嘩腰で望んできた経験よりも、
物腰やわらかく説得することも覚えることができました。
それは企業のこれまでの実績があったことでした。
レコード店舗ほとんどが「モノの大事さ」を焦点にしたことが
最も説得性をもっていただけにすべての店舗販売が可能でした。
オーディオマニアという客層へのきめ細かな発想のモノは
絶対にうけいれられることを学ぶことができましたから、
この当時は喧嘩師ではなかったと思います。
むしろ、オーディオへの専門性があることで信頼を受けていました。
もはや、LPレコード盤は無くなってきましたが、
まだパッケージの内袋は販売されていたようです。
おおよそ30年程度も商品であり続けていたアノニマスデザインでした。
そして、この内袋はいま直、商品として売られているようです。(右下)


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『ターンテーブルマットはガラス素材にたどりついた!』


   


     9月 17th, 2014  Posted 12:00 AM

東芝時代には、ゴムマットをどれほど試作をしたでしょうか?
日本各地で「オーディオ講座」も企画し演出していましたが、
途中で面倒になって、自分でマイクを握って出演しました。
全国の主要都市にショールームもデザインし、即イベントを開催。
ショールームのデザイン設計を現場で職人さんから学んでいました。
イベントでの計画性を体験の中で育成できたのだと思っています。
イベントでは観客に試作中のターンテーブルマットを勝手に配布。
ターンテーブルマットがゴム製はやっぱり駄目だと決定していました。
そこで、フリーになってどうしてもこの商品化に挑み、
クリスタルガラスの重量と比重、密度性にたどりついて商品化。
すでにレコード再生は、レコードの盤その厚さであり、回転数で決定、
だからそのレコードは当時DAMクラブで45回レコードを会員向けに
シリーズで配布レコード盤が相当に作成されていました。
アーティストが怒ってくるほどの音質を実現していました。
ターンテーブルマットにレコード盤にも中心重力を与えることにも
心をくばって、ガラス製のウエイトも商品化することができました。
もちろん、アームのデザイン設計も試みましたが、
商品化が困難であり、カートリッジシェルとカートリッジリード線、
リード線はすべて音質毎に取り替えられるシリーズ化をしました。
残念ながら、ガラスマットは今も持っていますが、
ウエイトや4種あったリード線は持っていません。
当時は、オーディオテクニカがリード線を1種だけでしたから、
、銀、銅線で4種の組み合わせの商品化は大成功していました。
レコード盤からのオーディオ再生では、アナログ機器の物理性と
それらの素材を新素材や、見向かれなかった素材を実験試用して、
新しい解決法があれば、なんとしても素材を探る癖になりました。
オーディオ、それもアナログであるからこそ、S/N比があるから、
単なる聴覚現象での「いい音」=音楽の音響の聴き心地の世界に
私はデザイン設計で商品化とその成功性で確認していました。

*「M氏からの追加情報」
ジュエルトーンのシェルリード線ですが、
当時のHI-FI STEREO DUIDEを見ると、
確かに4種類ありますが、金リード線がありませんでした。

載っていたのは次の4種類です。
●Cu-99Jリボン:無酸素銅箔(500円)
●Cu-99Jリッツ
:ポリウレタン被覆の無酸素銅のリッツ線(600円)
●Ag-99J:銀線(700円)
●Ag-99Jリッツ:ポリウレタン被覆の銀のリッツ線(900円)


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『アナログ技術の一端、ターンテーブルの素材開発に気づく』


   


     9月 16th, 2014  Posted 12:00 AM

Aurex SR-370は人工大理石ボードのレコードプレーヤーでした。
ダイレクトドライブ方式は、当時、テクニクス仕様が決定的であり、
レコード回転の精度と振動系は、アナログオーディオにとっては
相当の音楽シーンを創ることに成功していたと思っています。
しかしそれでもまだまだ解決しなければいけない問題がありました。
アーム、カートリッジ、リード線、そして、レコード盤のベースなど
私には毎日考えつくしていた気がします。
フリーになって、いち早く取り組んだのがレコード盤設置ベース。
これは、レコード周辺器具メーカー・ジュエルトーンブランドです。
まず、レコード盤も持ち歩けるケースのパッケージからデザイン、
それから、東芝時代にはゴムマットでは全く駄目だと結論づけました。
だから、最近はまたアナログプレーヤーの音響がブームですが、
このゴムマットを使っている人は、まだまだ理解できていません。
私はLP盤は相当に持っていましたが、決着をつけて、
ジュラルミンケース一つだけ、50枚にしてしまいました。
すべてリッピングしてデジタルソースに変えてしまっています。
それこそ、アームならSMEというのも神話だと認定します。
本来、LPレコード盤制作は直線で型づくりをしますから、
アームの動作は円形ではなくて直線です。
それはB&Oのプレーヤーにあるのが代表的です。
だから、ダイレクトドライブでなければ、糸ドライブであるべきとか
そのターンテーブルはオール金属であり、ゴムマットは駄目とか。
LPレコード盤から音を引き出すだけのその技術には、
単なる物理性能だけではなくて、感性的、実感覚的な個性判断の下、
アナログ技術の詳細が求められていたと思っています。
その中で、学んだことこそ、アナログ技術の最先端でした。
フリーになって、それはターンテーブル=円形という形態、
その素材開発こそ、デザインしなければと思っていました。
素材開発とデザイン=問題解決は造形だけに非ずを知ったことです。


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『Aurexブランドで学びながら苦しみながら・・・だから!』


   


     9月 15th, 2014  Posted 12:00 AM

東芝が、本格的なオーディオ機器の商品化スタートから、
私は社会人デザイナーになっていきました。
Audioの王様=Rexというブランド名はトップ判断でやってきました。
そのロゴタイプデザインは、大手広告代理店と当時はまだ、
意匠部(現デザインセンター)がコンペになりました。
ディレクターに私は呼ばれて、「絶対に負けるわけにはいかない」、
「君のデザインが選ばれているから、会社に来なくていいから、
ネオンサインから全てのブランドアイデンティティを揃えてこい」。
プレゼンテーションも、トッププレゼにディレクターの
アシスタントとして付いていったら、
「お前がやって来い。私は見ている」ということでした。
私のブランドロゴが決定しましたが、シェーファーの万年筆一本。
そして510シリーズは帝国ホテルで開催され、私は下働きでした。
510シリーズのデザインは絶対失敗するからと心は一杯でしたから、
そのケースとキャビネットだけをやらせてもらいましたが提案だけ。
どうしてもプレーヤーがやりたくて、特殊素材を川口工場で製作、
出来上がった高密度で重量のある新素材を二つ磯子まで運搬。
手がちぎれるほど重かったので、これなら勝てると思いました。
510の失敗とともにチーフと私、そこに入社早々の若手がきました。
ともかく、Aurexは全国の営業に文句を言われて、
「おい、あいつ一度呼び出して殴るかもしれない、その時は止めろ」
「いや、その前に私が殴ります」、「エーッ!」。
穏やかなチーフが聞いたらびっくりする会話で望んでいました。
デザイン案を通すには、ほとんど喧嘩寸前の毎日でした。
秋葉原でプレゼをすれば、「洗濯機メーカーのオーディオなんぞ」、
「おい、あいつ殴ろうか!」そんな毎日の提案でした。
社会人デザイナーなのに学生気分が抜け切れていなくて、
なんとしても提案を通すには、大人の対応よりも、力づくで!って
この時代はまだ大丈夫でした。今はもう無理ですが簡潔でした。

Aurex SR-370


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『カセットテープへの徹底的な周辺道具デザインも』


   


     9月 14th, 2014  Posted 12:00 AM

コンパクトカセットテープは、音楽シーンを多大に変えたメディア。
1960年代初頭にこの形式が生まれたのは、
ちょうどビートルズが登場してきたことと一致いています。
20世紀の音楽シーンはアナログ性技術を根本から、
変革チャンスを求めていたことが今ようやく判断できるようです。
カセットデッキが垂直に立ち上がるまでの技術過程を連日、
私はその現場で見詰めて、デザイン解決をしてきたと思います。
そして、フリーランスになると、
カセットテープ周辺の道具などをアクセサリー商品発明しました。
これはその一つですが、まだ、テープを自力で巻き戻し、
いわゆるリワインダーを設計しデザインした商品=作品です。
実は現物を持ち合わせず、自分の作品集には入っていません。
しかし、大ヒットさせたモノです。
本来は、今は無くなってしまった、レコード針メーカーに、
ジュエルトーンブランドでの展開商品ですが、他メーカーにも、
OEM供給により多大なヒット商品化させたモノです。
カセットテープを自分の手巻きでもう一度確認しながらというのは、
たとえカセットテープであろうが、手巻きであってもS/N比への
音響への拘りでした。カセットテープと同じ大きさで確実な手仕事を
ただ音楽以前に音響をカセットテープへの道具化まで狙いました。
東芝にはまだ籍があるまま、フリーランスデザイナーとして、
しかもオーディオは手放せずに拘りの商品群デザインに埋没しました。
私にとって、カセットテープは重要な音楽ソースであるばかりか、
音楽以前、音響をともかく追いかけていました。
気づいたのは、レコードであれ、テープであれ、
自分は音楽よりも音響にすっかり囚われていたことです。
多分、このアクセサリー発明などはその一つだったと思います。


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『K7の最高機種デザインはAurexデザインだった』


   


     9月 13th, 2014  Posted 12:00 AM

「K7」、フランスでは「K=カ、7=セット」の表現でした。
カセットテープとLPレコードに私はデザイナー初期の頃には
最も関わっていたと思います。そしてもはやそのソースは伝説です。
これがカセットでは最高のモノ、TDKメタルカセットテープです。
しかし、TDKの商品ですが、デザインは東芝オーレックスチーム。
当時のKチーフは、Aurexブランドのために引き抜かれて、
私の直属チーフであり、私のようなどうしようもないデザイナーの
わがままを見護ってくれていました。今も恩師の一人です。
オーディオデザインにとって、最大の敵はS/N比でした。
アナログ信号に対する雑音比の問題です。
今となると、デジタルはそのS/N比消却だけであり、実際は、
信号をとりまいている雑音に安らぎがあったのだと思います。
カセットテープにはモーターだけでなく、テープそのものにも、
振動系が被さってテープの雑音制御が必要でしたから、
テープ重量と回転振動系をアルミ無垢材で物理的にも押さえ込む、
この方式開発はチーフ指示がありそのモデル化図面化をしましたが、
テープ製造はTDK発注となり、結局このデザインを売却したのです。
Aurexブランドに出来なかったのは、上層部の判断でしょうが、
若気盛んだった私が噛みついていましたが、チーフは大人対応で、
「デザイン権売却」を成功させていました。
だから私は以後のカセットテープはこれを使っていたようです。
フリーランスになってからは、カセットテープ関連を
様々に商品アイテムを開発してヒット商品を出していました。
車イス生活でふるさと福井にいた頃、貧窮すると必ず東芝から、
デザイン依頼がありましたが、後になって、それはすべてKチーフが
私を助けてくれていました。
あるとき、私がタケフのナイフ開発の頃、チーフはその出来映えから
「カワサキ君、これで君は必ず復活してくるよ」と励まされました。
時折、私の講演会を最後尾で聴いていただいています。
チーフが私に、
「そういえば、君には金の儲け方を教えなかったね」と
言われたことがありました。彼は幾つかの企業を成功させています。


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