6月 17th, 2014 Posted 12:00 AM
6月17日 己未(赤口)
私のしたたかさが選び抜いた
「いのち」の住処であり、
「きもち」の時であり、
「かたち」という具体である。
川崎和男Design 図鑑
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6月 15th, 2014 Posted 12:10 AM
6月15日 丙辰(先負)
デザインを学び、
デザインで働いたこと、
そうしたことから
最大に確認できたこと。
川崎和男Design 図鑑
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5月 4th, 2014 Posted 12:00 AM
車は男の子ゆえ、そしてデザイナーゆえ、
カーデザイナーほどではありませんが、それなりにいっぱい、
恵まれた車を乗ってきました。
一時は運転手付きの車も、
そして米国のリムジンも所有し使ってきました。
しかし、車椅子使用であり、商売用車両も考えられたはずの
そんな車が発売されていますが、私はこれを否定しておきます。
おそらく、障害者、特に車椅子利用者にとっては、
とても望んでいた車両だと思いますが、
私はデザイナーとして、障害者として、これらの車デザインを
全否定しておかなければなりません。
なぜなら、スロープでそのまま車椅子で乗れば、固定されていて
乗り心地は最低であり、それは荷物扱いになっている代物です。
これを「福祉車両」と言う貧しさゆえ、文化にはなっていません。
しかも、この解決で「福祉」を宣伝することを激しく非難します。
最近は、シートが回転して車両から出てきますが、
私もこうした車両を利用せざるをえないことが起こります。
周囲のやさしさはよく分かりますが、設計はまったく駄目です。
なんといっても足が必ずひっかかって大事になります。
私にとっては、セダンで充分です。
カーメーカーやタクシー会社でも「福祉車両」と分類していますが
私にとっては「福祉」という基本の無知さが歴然のモノです。
もっと、根本のことを考慮すべきでしょう。
まず、腰の運動要因がデザイン以前の設計から外れています。
もし、こうした福祉車両が役立つ人は、認知症の人だけです。
いや、認知症の人の志向までを熟知したデザイン設計が必要です。
私の教え子でカーデザイナー諸君には、車両デザイン自体が、
実は現代から未来性を未だに歴史性を引きずっている、
大誤解と品格性を失っていると断言しておきます。
『これは最適ではない・誤った車椅子対応車輌デザイン』
Tags: 「福祉車両」, カーデザイナー, リムジン, 腰の運動要因, 認知症, 車両デザイン, 車椅子使用, 車椅子利用者, 障害者
Posted in 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 未分類, 祈望から企望へ
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4月 30th, 2014 Posted 12:00 AM
街中で自動販売機は、日本では市民の倫理観もあって、
まだまだきれいな状態で盗難もなく設置されていて、
すっかり街のいわゆるストリートファニチュアになっています。
現代人はどこでも喉を潤す便利さを手に入れています。
もうほとんど見慣れた街の要素になっていますが、
あくまでも商業主義での競合性なのか装置進化を遂げていません。
確かに、次世代デザイナーの「デジタルサイネージ」化、
これが一時は話題になりましたがその後の展開は止まっています。
想像されることは、コスト高であったことや、
ユーザー嗜好は現物自販機だったことでしょうか。
無論、自販機への物流システムなどはもっと進化するべきです。
かって私もこの自販機をC.I.表現に使ったことがありますが、
それは存在性へのデザインを吟味したことがあります。
現在の自販機装置のデザインに、何か特色は?と考えると、
大きな進化、つまりデザインそのモノは進化していません。
むしろ時代遅れの装置デザインに終わっていまっています。
それは、街の景観、ストリートファニチュアとして、まったく、
デザインが出来ていないと評価しておきます。
ストリートファニチュアとして、私は、まずなんといっても
指摘しておくべきコトは、天災対策などは皆無だと思います。
確かに、万一震災時など水の補給は可能かもしれませんが、
設置対策での防災などは対策未然のモノが出回っています。
私は早急に、しかもストリートファニチュア化しているだけに、
もっと新たな自販機のデザインが必至だと考えざるをえません。
そして、もっと街の景観、ストリートファニチュアになるには、
飲み物表示・寒温表示・さらにはサイネージ化するべき、
街の救援要素と要因づけが必要だと提案しておきます。
『通称・点字ブロックのデザイン間違い!』
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4月 28th, 2014 Posted 12:00 AM
駅舎のデザインは全く新鮮みというより、現代を見失っています。
ある駅舎の建築コンペで素晴らしいと思ったデザインは、
入選はしたけれど採用されていないだけにとても無念でした。
さて、私はふるさと福井には月一度は帰省していますが、
小さな福井駅舎で最も楽しみにしているのは、
「書」が展示されていることです。
私は「書」こそ、日本の伝統美学そのものだと思っています。
したがって、政治家は達筆であることを要求しています。
「書」の出来ない政治家は歴史から外されるものとみています。
福井駅舎の工夫のひとつですが、この展示意義は大きいはずです。
草書はじめ様々な作品が展示されています。
私はこの展示意味は素晴らしいものと思っていて、
もっと多く、20点ほど展示して欲しいと駅員に伝えたほどです。
これらの作品は決してプロではないでしょうが、
市井の書の技能としては伝統性があると判断評価しています。
福井駅から帰阪するときには、なるべくゆっくりと見ています。
この美しさは市井から展示に及んでいることに最大の美学を
私は大きく認めているのです。
しかし、これだけの展示が駅舎を利用する人にとっての
大きな意味が伝わっていないことを残念に思います。
つまり、「書」の美しさを知ろうとするだけの観念すら、
失ってしまっているのかも知れません。
これが街=まちで失ってしまった気持ち=きもちでしょう。
結果街に氾濫するブランドマークやロゴすら美しさがありません。
目立つだけの装飾マークは、日本では氾濫していても、
街の景観を徹底的に美しくするためにも、私はこうした展示を
駅舎であっても陳列してほしいと願っています。
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4月 1st, 2014 Posted 12:00 AM
4月1日より、消費税がアップします。
100円のモノが108円になります。
連日、消費税アップ前に何を買うべきか、との報道が多く、
私にとっては、「作品集」を延期したために影響があるようです。
消費税のことよりも大事なことと言うと叱られそうですが、
私は、一円玉は一つのスケールだと考えてきました。
一円ほど見事に材質がアルミニュウムで、
重さは1g、直径20mm、厚さは1.5mmと、とても明快な寸法ですから、
デザインツールとして、とても有効な定規になるモノです。
比して、五円玉がスケールツールとしては私は二つあります。
重さが一匁ですが、これは伝統工芸的な重量把握に便利です。
あとは、穴が開いています。この直径が5mmですから、
一円玉と五円玉があれば、小さなモノの設計にはとても便利です。
五円玉は一円玉よりやや大きいのです。それを組み合わせれば、
また、大きさの検討が出来ます。
私には、一円と五円はその貨幣の大きさ最も気になっています。
最大の理由は、私が交通被災で入院中に、500円玉が出て、
物珍しさは今も全く変わっていません。
さて、消費税については、税金ですからその使い道が政です。
政はこの税金の使われ方に要のことがあるはずです。
正直、税金の集め方と使い方には民主主義は成立していません。
民主主義なら、多数決の原則で集金と分配方法は一考を要します。
使われ方が明白にはなっていないことが気がかりです。
確かに今回の消費税アップでは、日本の税務体制改善は無理です。
少子化対策と年金対策ゆえに社会福祉政策という理由程度では、
私は正直賛同できるものではありません。
どうせなら、教育費無料、年金集金システムの改善には、
消費税はもっともっと熟考されなければならないでしょう。
と同時に、私は一円玉と五円玉のスケール性を主張しておきます。
「丸ポスト・街角のアイコンから貯金アイコン?」
「貨幣価値の再確認は、ちょっとうれしい」
金融工学の始祖はマルクスだった_15
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3月 30th, 2014 Posted 12:00 AM
私はデザイナーとしてますます素材が大事だと思います。
最も手短に確かめることができるのは、「鉛筆」にあります。
このメーカーが鉛筆づくりには正確な素材表現をします。
それだけに、時折、木質に拘った鉛筆を
必ず、自分の一本にしたり、あるいは消しゴムでも、
カラー表現に取り囲まれるとき、この職能であって幸運でした。
とりわけ、木質では、デザイナーに成り立ての頃には、
塩ビシートの開発で、木目・木質そっくりの型出しに、
印刷メーカーの工場で、職人気質の人に育ててもらいました。
私が常に思い出すのは「ブラジリアン・ローズウッド」の木目。
そっくりにレンダリングに描いて、その塩ビシート化をしました。
私のイメージは絵に表れていましたが、
「お前はまだ学校出たてだろう?」
「お前は自然のブラジリアン・ローズウッドの木知ってるか?」
と言われて、
「見たことがありません」
「本物を絵にしてから出直せ」と言われたものでした。
東芝のデザイン室にある資料室には、本物の木の板がありました。
それを見ても分からずに、工場で教わったのです。
「ブラジリアン・ローズウッドは南洋材だ、
だから大きな樹木には育たない、直径がほぼ150mm程度だ、
だとするなら、木目は細かい」、と教わりました。
それ以後今日まで素材は必ず本物を見て確かめることが重要です。
今、まだ本物を確かめていないモノは、
ウラン鉱石です。
聞いた話では、幾重にも色彩が光り輝いているということです。
それなら、ネックレスに!と、
しかし、そんなことをすれば被爆してしまいます。
だから、絶対に見たいのはプルトニウムそのものを、
素材として確かめることも重大だと思っています。
「大好きな色鉛筆・最近のお気に入り」
「プロとして元気の素は鉛筆への作法」
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3月 29th, 2014 Posted 7:17 PM
阪大に特任教授として残り、一年間、
「危機管理学プロダクトデザイン寄附講座」にて、
いくつかのプロジェクトを研究・提案・講義してきました。
特に「KK塾」を阪大・中の島センターにて6回目の講演対談をし、
第一期「KK塾」を終えることができました。
最終講義は、大阪大学の友人であり敬愛する澤教授にて、
大阪大学を最も代表する第一外科・心臓血管外科が、
大阪大学なればこそできる、iPS細胞の臨床実務の数々から、
世界的に今後、日本が診療の国際貢献の要になる実例など
「先端医療とデザイン」を第一外科教授だけではなく、
国内外のプロジェクトリーダーとしての講演を終えました。
これまで、6人の教授や企業家を私の選別で塾をやりました。
本当に、全講師の皆さんの講義は第二期塾を要請されています。
この一年、実際は、日本列島へいつ来るかという天変地異を意識し
「危機管理学」を見直してきました。
結果危機は管理学的な学術性では論理的な欠陥を見いだしました。
そこで、「危機管理学概論」を出版している出版社社長にも、
危機管理学は深度がないので、新たに「危機解決学」という実務、
管理学ではない解決実務学こそ重大であると提案しました。
危機とは、危険(dengirous)と機会(opotunity)、
つまり、危険というチャンスを生かして「最悪の状態」
生きのびる事=死から解放される事を目指すということを確認し、
今後は、危機管理学を超えて「危機解決デザイン学」にします。
この4月より実務学的=デザインで、防災・防犯・救済・救護へ、
医学・工学・制度学・行政学へ「デザイン」を向けます。
そのためには、今も各種、特に、減災と防災と救済を基本に、
実務としてのデザインをまた活動していきます。
『「KK塾」大野ゆう子教授からスタートしました! 』
『人類の夢・宇宙開発を支える「信頼・安全性工学」』
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