『資本主義からの逃走』 「日本人としての距離感・三つのヒントから」
10月 10th, 2009 Posted 8:00 AM
「資本主義」は、経済体制システムとして、
その背景には「民主主義」が基盤であったことは
ほぼ全面的に認めることができます。
しかし、私はずーっと疑問を持ち続けてきました。
ところが、「民主主義」を超えるほど
有効な社会集団が穏健な日常生活をその体制に委ねる手法は
ありえなかったと言っていいでしょう。
常にみんなが言います。
「それは民主主義として・・・」
「民主主義的には・・・認めがたい」
という共同謀議的な結論です。
私は、共同謀議の決め言葉でしかない、と叫びたい
そんな思いにかられてきたと思っています。
ただし、「民主主義」を完全否定することも、
代替理念、確信、思想というものも
私には創出する技量・才能があると断言することはできません。
それでも、何か違和感をはき出せないのです。
おそらく、
それは、日本人としての
なんらかの原点が見つけ出せないからでしょう。
想像はできます。
私なりの憧憬的な言葉と自分なりの解釈です。
美・品格・倫理・義理・慈愛・慈悲・無・空・間など、
日本人としての感性と感情ではないかとイメージしています。
三つのヒントをあげておきます。
世阿弥による「風姿花伝」と
橋本左内の「啓発録」、
そして、谷崎潤一郎の「陰影礼賛」です。
この三つと「民衆主義」
さらに、「資本論」とのそれぞれの距離感です。
Tags: 「資本主義からの逃走」, 啓発録, 資本論, 陰影礼賛, 風姿花伝
Posted in 002「民主主義」, 資本主義から逃走せよ!
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