『隣国から必ず取り戻すべき「拉致被害者」の人々』
6月 2nd, 2014 Posted 12:00 AM
日本が正当な民主主義法治国家であるとするなら、
国民はその生命と財産は国家によって護らなければなりません。
しかし、私たちの同胞は、隣国の独裁国家によって、
「拉致」されたまま、救出することすら出来ません。
日本にとって最大で一番の問題だと私は考えています。
「隣人を愛せよ」とは隣人を愛することの不可能さへの戒厳です。
現政権にとって、様々な政策の最大目標への取り組みが
新たな進展を遂げようとしています。
ところが、この国家的なあり方を喪失している独裁政治の企み、
国民を独裁制で縛り付け、私たちには不可解過ぎる「拉致」へ
本当に「解放」をしてくれるのでしょうか。
拉致被害者の両親たちの方々もすでに高齢であり、
拉致された親子関係を壊された方々もいっぱいおられます。
私は単なる市井の人間にすぎず、この「拉致問題」には、
何もすることができません。
その無念さを書き留めなければなりませんが、同胞の生命が、
独裁国家の政治的な策略で失われることはあってはなりません。
拉致被害者をなんとしても解放と帰国を祈念しています。
拉致被害者を取り戻すためにこそ、国家・国民として、
この独裁国家へは、正当な防衛対策が昂じられるべきです。
もし私の親族であったとするなら、どれほどの苦しみでしょうか。
一日も早く、ではありません。
即刻、彼らを解放し、拉致かもしれない膨大な不明者を
なんとしても取り戻すべきです。
「隣国を愛せよ」とは、隣国の荒唐無稽さを仕方無く、
彼らの生命のために、堪忍せざるをえないということでしょうか。
拉致されたかも知れない人たちの膨大さに無念さは拡大します。
Tags: 堪忍, 帰国, 拉致被害者, 民主主義法治国家, 独裁国家, 生命と財産, 荒唐無稽さ, 解放, 防衛対策, 隣人を愛せよ
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