9月 11th, 2017 Posted 12:00 AM
最近、カーデザイナーを目指しながら運転免許証を持たない、という
そのようなデザイン学科生が出てきていて呆れます。
おそらく、オートバイや車、それぞれのオートレース、カーレースでの
新しい技術提案では何が一番進化してきているから優勝しているかなど
分からない若者が増えて、車が彼らの物欲には全くなっていないようです。
私は当然ながら自転車に乗ることから始まり、
中学時代には、それなりに誰も乗っていない自転車だったので上級生に
ものの見事に苛め殴られていたので
父の強力な進めをいいことに少林寺拳法を始めたと言っていいでしょう。
高校に入ると、父は警察大学校を出て、警視となって、
まず小さな警察署の次席(副署長)になりました。
原付バイクのたった半日での筆記試験が満点なら、免許取得OKでした。
ともかく最初に回答提出をして、満点で原付バイク免許を持ちました。
そうしたら、父からホンダカブを突然買ってもらったのです。
これで丸岡からバス通学がバイクで福井市内高校に通学していました。
バイクに乗ると、当時は高校では125ccのオートバイまでOKであり、
まだヘルメット無しの時代でしたから、
125ccから250ccのオートバイに憧れていました。
ペダルとグリップアクセルの関係が納得できずにいたら、
先般、ホンダカブでのその指摘をしていた番組を見ました。
だから雪が降る寸前まで、高校はバイク通学でした。
ただ、当時はセーレン・キルケゴール伝を懸命に読んでいたので、
とてもこのバイクがバージンセピアという商品カラー名は言えませんでした。
また、何度かスピード出しすぎの交通違反を繰り返してしまい、
違反はその頃は父が取り消してくれましたが(今は絶対無理)、
その度に福井県警機動隊の道場拭き掃除を3度ほど。
この方がとても大変なことでした。
まさか、美大に進学とは思ってもいなかったので、
カーデザインなど当時は全く知りませんでしたが、
大学入学と同時に夏休みは自動車学校で免許取得に通って
28日で仮免試験でしたが、教官の態度に呆れて、
ちょっと暴力事件を起こしてしまって免許取得は禁止されました。
母も父が警官の間は辞めなさいと言っていました。
そして、東芝で体調を壊して福井での療養中に、
訓練も受けずに仮免試験を4度目、筆記試験は横浜で取得しました。
その免許取得は車椅子で車運転が必要になることの暗示だったようです。
* 「カーオーディオはもっと進展するはず」
* 「希望を企望に」
* 『造形デザインがレジリエンスデザインを具体化解答』
* 「10年使用すると、そうだったのかということ」
* 『自分の車遍歴とカーデザイナー養成は同次元』
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1月 5th, 2016 Posted 12:00 AM
僕の自動車遍歴は運転免許証を手に入れるところから始まります。
最近はカーデザイナーを目指しながら免許証も持っていない学生には
驚くばかりですが、それ以上に、
「車が欲しい」という欲求が皆無という若者が増えてきています。
僕も大学に入ったその年の夏休みには自動車学校に行きました。
しかし、当時の学校の教官はとても品格が無く、
言葉遣いも命令調でありその指導態度は我慢出来ないほどでした。
若さの余りに私はその自動車学校で事件を起こして、
しかも父は警察官、その学校の校長は父の元上司ということで
即刻、退学させられましたから免許証はありませんでした。
ところが、交通被災直前に私は実施試験とペーパーテストで合格して
免許証を手に入れていました。
美大は、なんといっても全国からカーデザイナー希望者が集まる
それこそ当時は数少ない工業デザイン専攻でしたから、
カーデザインのレンダリングが学生時代から、みんながとても上手くて、
僕は理由を聞いて、カーデザインという言葉すら知りませんでした。
車イスになって退院と同時に車は左ハンドルであるべきと、
シボレーのモンザ・モンテカルロ・カマロと乗ってきました。
カマロもベルリネッタ8気筒で、
それこそ、福井・東京間を競ったくらいでした。
それをデザイン企業支援者たちから見かねて、
僕は運転手付きでボルボのステーションワゴンに5年間乗りました。
それでも、僕の車遍歴がとどまらずに僕仕様の車を求めました。
一時は5台もあった時代があります。
BMWもベンツの時代もありました。それも数台乗っていました。
ワゴン車でスタッフ移動に使っていた頃もありました。
キャディラックのロングリムジンは、ある経営者から突然プレゼント。
流石に、全長7mのリムジンは名古屋から大阪に来るときに辞めました。
ベンツの時代には、6万kmで乗り換えてきたぐらいです。
正直、工業デザイナーですが、それほどの興味対象ではありません。
最も、カーデザイナーをめざす学生には
徹底した教育=レンダリング訓練を厳しくしてきたと思います。
カーデザイナーや車関係は、全ての教え子を企業留学させています。
従って僕には車仕様は「障害者対応の仕様」とその「部品デザイン」、
これにはメーカー本社と日本の制度を一致させていくことが目安です。
車遍歴は常に「障害者対応」が僕には基盤になっています。
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4月 10th, 2012 Posted 12:00 AM
ケータイのデジジャラ。
すでにデジジャラという言葉は死語です。
デジジャラというのは、
ケータイ電話に様々なアクセサリーを付けることでした。
おそらくデジタルなモノに対する、
「自分用」の明示性への願望なのでしょう。
かつて私は面白がって、ドラえもんのケータイに、
これほどキティちゃんグッズがあるという見本をつくったことがあります。
どれほどケータイアクセサリーになりうるかを見極めておく、
資料になりました。
本来、iPhoneにはカバーもつけるべきではないデザイン、
それがApple Designのデザイン意図として明快です。
しかしやはり、ケータイもスマホも、
「自分用=MyType」にすること、
それが人それぞれ、
自分用表現を望んでいることは一般的なことなのでしょう。
3.11後、
「ふだん」と「まさか」というwebsiteを研究室でつくっています。
それは「まさか」の非常時に何を持ち出すべきか、
「ふだん」身に付けておくべき最小限のモノを情報化しています。
なんといっても、スマホは必要です。
スマホに健康保険証や運転免許証まで取り込んでおけばいいわけです。
それに最低限はホイッスルと印鑑です。
そこで、私は様々なホイッスルからLEDライト付きを選びました。
そして、印鑑も最も小さいモノとさらにedyカードを付けています。
日本人にとって印鑑は必要不可欠なモノになっています。
印鑑の歴史は日本人のルーツに関わる文明文化的な歴史性があります。
3.11のあの非常時に、
一番無くて困ったモノが、行政的な手続きで印鑑だったということです。
というわけで、現在私のiPhoneはこのスタイルになっています。
私は、自分なりの「ふだん」と「まさか」のデジジャラを
デザイナーとしてそれなりに考えると、
そこに次世代スマホの形式があるものと判断しています。
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