『燃えるゴミと燃えないゴミって?』
3月 2nd, 2022 Posted 1:00 PM
パッケージデザイン界が確実にあります。
「製薬会社」っていっても、「ジェネリック?界隈」。
私は心臓障害であり、ワクチンはとても嫌です。いい加減です。
心筋症なら、米国では「ジェネリック」は使ってはならないのです。
ドクターたちも、私は断言しています。論文読んだのですか?って。
現状の薬品は「燃えるゴミ」と「燃えないゴミ」があるのです。
つまり、燃えるパッケージに燃えないパッケージがあるか、
燃えないパッケージがに燃えるパッケージ、それが同一なのです。
皆さんはどちらにしているのでしょうか?
阪大に来たとき、製薬会社たちに包まれて、
「水虫と目薬、別けてほしい」って言われてしまいました。
パッケージデザイナーには、確実にやってくれるのが、
同窓がいたので預けました。が、2年前に逝去しました。
「燃えるゴミ」と「燃えないゴミ」、全く分別も区別もつきません。
「差別」はやっても駄目です。
かなり、燃えるゴミも燃えないゴミをやれる機器系を懸命に探しました。
必ず選んでもいました。
ともかく、デザイナーが果たすのです。
Tags: 「差別化」という暴力性, ジェネリック, パッケージデザイン, ワクチン, 分別, 区別, 心筋症, 心臓障害, 水虫, 燃えないゴミ, 燃えるゴミ, 目薬, 米国, 製薬会社, 製薬会社たち
Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ
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