kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘美しさ’


7月20日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 20th, 2010  Posted 3:51 PM

7月20日 友引(丙寅)

知行こそ美しさを
創る源なのかもしれない

『デザインは言語道断』知行


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7月17日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 17th, 2010  Posted 9:30 AM

7月17日 大安(癸亥)

デザイン美には、
美しいデザインと
デザインの美しさが含まれる。

「美しい=形容されたデザイン」と
「デザインにある=
 名詞となっている美しさ」
というわけだ。

『デザインの極道論』うつくしい


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7月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 16th, 2010  Posted 9:30 AM

7月16日 仏滅(壬戌)

輪郭線的には、
「美」
「美しさ」
「美しい」
という言葉にはそれぞれの
領域がある気がしてならない。

言い直してみれば、
「デザイン美」
「デザインの美しさ」
「美しいデザイン」
ということになる。

総合的な領域には
デザイン美がふさわしい。

『デザインの極道論』うつくしい


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『資本主義からの逃走』
   「包むことと詰めることの大きな違いを知った頃」


   


     7月 8th, 2010  Posted 12:00 AM

産地で知った動詞
「包む」ことの意味を知ったのは、ふるさと福井。
越前和紙の産地に関わったことでした。
東京でのデザイン活動に「負けた」という想いと、
車椅子生活でどうやって「生きていく」のかという時に、
出会った言葉がありました。
「切る」・「包む」・「打つ」・「漉く」・「磨く」・「塗る」など、
すべてが伝統工芸産地に入って行った時の動詞でした。
こうした動詞から形容詞をMac関連雑誌に連載していました。
「デザインの極道論」などという物騒なタイトルで出版もしました。
この動詞を形容詞にしていく、これが「直感」でした。
直感から公案
私の「直感」は、こうした言葉と向かい合うことで、
「直感」は「直観」になり、
「公案」という論理を「造形」の背景になる、という想いしか無かったのでしょう。
「和紙」は包む素材になるのです。
しかもそれは「真っ白」でなくてはならないのです。
その「真っ白」は、楮・三椏・雁皮は陽に晒されば晒されるほど、
「真っ白」になることを知りました。
「真っ白」に水引きで締めて閉じることが「贈る」ことの作法だということでした。
詰める
それなら、「詰める」というのは、
日本的には、「追い詰めたり」、「詰め込んだり」ということで、
あまり良い印象の言葉ではありません。
「詰め込み」・「缶詰」・「腸詰め」、これが欧米的なパッケージでした。
そして、つましい・つつましいというのは、
自分の生活は「追い詰められているのではない」、
「つつましい日常であるべき」ということで、
「生きていく」作法があるのでは、と確信したわけです。
それから、日本経済、
福井からは東京での喧噪が、「変だ!」と思えるようになりました。
ちょうど、その頃、Apple社との仕事で、
いわゆる「バブル経済」は傍観できる立場だったのです。
「包む」とは「包まれている」ことの記憶の言葉です。
まさしく、胎児が母親の子宮に包まれている象形があります。
「詰める」とは、口を締め付けて閉じる象形からも、
厳しい言葉で責めなじることまでの意味があります。
包む、という言葉から「つつましい」という言葉に出逢いながらも、
私は自分を追い詰めていました。
つつましさと美しさ
あれから30年、自分を追い詰めること、他人を追い詰めることへの大きな反省があります。
だから、今、敢えて私自身がもう一度、
「包む」こと、「包まれてきた」ことに立ち戻りたいと思っています。
「つつましい」という、伝統的日本人の感性・直観公案として、
デザイン表現の「つつましさ」は、
きっと、「美しさ」に連鎖し連動するという、直観があります。


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『資本主義からの逃走』
   「綺麗事が慈愛資本になることを確認する」


   


     7月 2nd, 2010  Posted 12:00 AM

「綺麗事」
「慈愛」という「優しい」感性論を私は述べてきました。
まさに、「綺麗事」です。
むずがゆくなるほどの「綺麗事」です。
しかし、「慈善」という制度となっている社会的演技性は全否定しています。
「慈善」というのは「綺麗事」ではありません。
もし、慈善事業で私が認めるのは、
その資金を提供することと、町中を掃除することぐらいでしょうか。
「綺麗事」というのは、まず「綺麗にする」コトが前提です。
この前提は、形容動詞の行動だということです。
「きれいな私になりたい」という女心、
最近は男性も「きれいになる」ということが具体例です。
しかし、「綺麗事」は辞書的には三つの意味があると定義されています。
1. 表面だけを取り繕って、見かけや口先だけ、体裁を整えて見せること。 
2. 手際よくきれいに仕上げられた仕事  
3. 自分は汚れないで済ませられること。  
こうした定義から、むずかゆさを覚えるのは、
体裁づくりや、自分が免れるようなことをも「綺麗事」という意味があることです。
私の本命的な意図は、
 ● 手際良さ 
 ● 美しさを呼び込むために綺麗にする意志
 ● 仕上げが充実していること 
この三つです。この三つをデザインの目標にすることです。
いわば、「綺麗事」を口にするときに覚える体裁や
自分逃れっぽさを全否定する清々堂々とした態度が「綺麗」であることです。
デザインは「美しさ」を目的にしています。
偽りや体裁づくりではありえません。だから、正に「綺麗事」の中核を創出することです。
たとえば、理想主義の思想は「綺麗事」です。
それも抽象的な表現に傾く傾向があることは否めません。
だから、政治も経済もその思想には、体裁や見かけでの誤魔化しが横行します。
けれども、デザインで具現化されたモノ・コトは、
まず、綺麗かどうかの判断評価があります。
清々堂々・正々堂々
もし、体裁デザインであれば、それは即刻否定され、デザインされた価値を剥奪されます。
デザインは正直です。
その正直さに「慈愛」が込められている「綺麗事」が真正面的に評価されることです。
「綺麗事」への信用と信頼をデザインが発信し、
「綺麗事」という社会的評価が正当でなければ、そのデザインは全否定されることになります。
デザインが創出する「綺麗事」こそ、
「きれいな社会」から「美しい世界」へという道程にほかなりません。
私は「綺麗事」を正々堂々と表現伝達する職能がデザイナーだと思っています。


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6月23日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 24th, 2010  Posted 12:10 AM

6月23日 大安(己亥)

知行こそ
美しさを創る源なのかもしれない

『デザインは言語道断』知行


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4月13日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 13th, 2010  Posted 9:30 AM

4月13日 赤口 (癸巳)

美しさのエネルギーとは、
勢力にほかならない。

『デザインは言語道断』勢力


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3月31日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 31st, 2010  Posted 9:30 AM

3月31日 大安(庚辰)

風貌と容姿では
美しさを語る位置づけが変化する。

見てくれの様態が
風貌となるか
容姿となるかの差異は、
「かたち」を語る上では、
重要なポイントになる。

『デザインは言語道断』容姿


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3月26日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 26th, 2010  Posted 12:05 AM

3月26日 赤口(乙亥)

「容姿」ということばは美しい。

しかも、
「容姿の美しさ」というのは、
モノのかたちをデザインするうえでの
目標であり目的である。

『デザインは言語道断』容姿


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2月23日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 23rd, 2010  Posted 2:30 PM

2月23日 仏滅(甲辰)

自分のデザインしたかたちに、
花のような、鳥のごとく、月にたとえる、
美しさの要因をどうやって
風のように仕組んでいくかということに
腐心するようになった。

『プラトンのオルゴール』
花鳥風月、風のごとくデザイン


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