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Posts Tagged ‘経済変動’


『ビートルズに出会った世代の幸運さ』


   


     11月 27th, 2014  Posted 12:00 AM

敗戦後に私は生まれています。
1947・1948・1949年代生まれは「団塊の世代」、競争社会でした。
私にとってはこの呼称はまともな名辞だとは思っていませんが、
私自身が1949年のこの世代であることをひきずっています。
経済成長・大学闘争・石油ショック・バブル・バブル崩壊と
時代的な経済変動をまともに受け、その成就に晒されてきました。
そのなかで、この世代ほとんどが大きな影響を受けているのは、
ビートルズの音楽であったこと、それは周知のことですが、
私はオーディオからデザイン世界の社会人になりましたから、
もう一つカセットテープがビートルズ音楽に与えたことがあります。
したがって、この作品も私の代表作であり、
今は金沢21世紀現代美術館のパーマネントコレクションですが、
これはビートルズのオマージュと私自身の思いをこめています。
赤盤・青盤・白盤、そのままに、ビートルズの代表曲を
オルゴールも、すべて著作権のもとで発注した曲を仕掛けました。
「商品化」は何度か試みましたが、生産性の問題がクリアできず、
すっかりと今ではある意味ではアート性のデザイン作品です。
これが私の代表作ということを言いたいわけではなくて、
ビートルズの音楽性以上に彼らの音楽や活動に及ばず、
存在性に人生での生き方のきっかけを与えられたこと、その意味性、
これらを持ち得た世代の幸運さについては書き残す意義があります。
私自身、書道も絵画も道具を要しましたが、
音楽はずる賢く考えて教科書だけゆえに高校ではコレを学びました。
にもかかわらず、美大に進学し、書は厳しいトレーニングを受け、
ビートルズしか知らなかった私が
クラシックも図譜で指導されて、社会人になれたようです。
が、今なお、私にはビートルズという存在が生涯を支えてます。
つまり、今、このようなショッキングな時代状況が無いことを
私は次世代にとっては、大きな損失のような気がしてなりません。
ビートルズのような存在がないこれまでを疎ましく思っています。

「表現としての美術とは?、教えられた宮川淳」
「『鏡』の存在を知り尽くすこと」
「この画家をもっと知らせたい」


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『資本主義からの逃走』
「最終章『用間』、それを始めるための第1章は?」


   


     9月 22nd, 2010  Posted 12:00 AM

第1章・『始計』
「孫子の兵法」は13章13項目は『用間』です。
となれば、第1章目を確かめてください。
「孫子の兵法」は、まさに、デザインから始まります。
第1章は『始計』です。計篇と書き記されているものもありますが、
ともかく、戦争を始めるための序論であり、
計画というよりも計略を企画するための心構えのことについての記述です。
なぜ、戦争という事態にいたらなければならないのか、という情報、
それはデータとプロットあるいはコンテクストをテキスト化しておくということです。
そして、第2章で作戦に入っていきますから、ここからが「計画」と考えるべきでしょう。
私は、20世紀末からコンピューター技術による「情報」が、
確実に資本主義を変貌させると思ってきました。
それは市場と計画によって経済変動=景気循環は、
いづれは資本主義を終わらせるという予測に賛同してきました。
さらに私が注視してきたことは、「何が情報か?」ということでした。
何が情報か?のデザイン
そして情報の形式と内容を「・・・として・・・」という四句分別論によって詳細化したときに、
戦争論に結びついていたことです。
まさしく、経済活動での「情報戦略」には、情報の内容を大別することができました。
そして、要となる戦術論として「孫子の兵法」での『用間』をもって、
戦争そのものを回避するということに、
情報の功罪を明快にすることができたのではないかと思うのです。
しかも、この「兵法書」は『始計』=企画から作戦=計画がまず述べられているのです。
私はこの書き出しにデザインが置かれていることを書きとどめておきたいと考えます。
つまり、デザインをもって情報のその功罪を決定するという姿勢が、
「情勢報告」=「情報」とし、
その内容と形式を決定していく過程が「何が情報か?」であるかということを、
私は『始計』にあるものと判断しています。


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