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『資本主義からの逃走』
   「都落ちの心情を癒してくれた郷土」


   


     11月 11th, 2010  Posted 12:00 AM

56豪雪後の春
私の財産は思い出です。
特に、車イス生活の宣告からの日々です。
「ふるさとへ帰れ」と担当医から言われて帰郷しました。
心情は「都落ち」、デザイナーを辞めるかどうかの苦悩でした。
北陸はまさに56豪雪(=昭和56年の豪雪)でした。38豪雪は少年時代の経験があります。
豪雪、雪かきで闘う都会育ちの当時のパートナーを見ながら、発熱・悪寒の連続した暮らし、
まだ動かない両手とその指先に感じる多分スケッチが描けなくなりそうな怖さ、
これからの生活不安をそれでも押しつぶすために、ともかく陽気にという毎日でした。
これほど春が待ち遠しいという想いがあるのだろうかと、北陸福井生まれが初めて思いました。
春、体調もほぼ元気になり、車で遠出ができるまで回復。
ふるさとの春
夕焼けが沈む寸前の日本海と、道端の小さな草花の様々が最も美しく、
これが「美しさ」だと改めて感じる私、生きている私を確認しました。
ある日、父が聞きました。
「和男、お前は毎日どこへ車で行っているんだ?」
「三国で海を見たり、波の写真を撮っている」
「明日から、絶対に行くな!」
「なぜ?」
「・・・・・・」
父は、私が死に場所を見つけに行っていると思っていたのです。
ちょうど当時に、車イス障がい者の方が日本海に車ごと飛び込み自殺をしたからでした。
闇の道・往来経験
私にそんな心情はまったく無く、死のうと思う以上に「私の生き方」を見つける方が、
死を考えるよりもっと難しいと思っていました。
なぜなら、「死んでいく過程」は、
交通事故直後に一度あの世への闇の道を進んでいく体験がありました。
この道にはすでに3回出かけたことがあります。
あの世への「闇の道」は、一般的に言われている「臨死体験」ではありません。
確かに「闇の道」の消失点には光の輪がありました。
それは、この世とあの世への往来であり、この世に戻るときの苦しみが恐怖です。
いづれ詳細に書きます。
ふるさとの春=郷土主義の芽生え
そんな日々に、ふるさと・郷土が教えてくれたことがあります。
ふるさとの人間・ふるさとの自然・ふるさとの歴史が伝えてくれる様々でした。
郷土環境の中の自分に、郷土主義=ローカリズムが芽生えるのでしょう。
ローカリズムを貯め込んでいく私には、
二つのことが反射し反映してくる自分を知ることになります。
ローカリズムの対象性、グローバリゼーションとグローバリズムです。
無論、自分を知るためには何人かの言説がその時の光でした。


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