『資本主義から逃走せよ!』 金融工学の始祖はマルクスだった_15
5月 12th, 2009 Posted 9:15 AM
子供の頃から「収集癖」があります。
それは「一人っ子」だったからかもしれません。
さらに、「欲しくなるモノ」は他人が持っていたり、
流行するモノはまったく欲しくありませんでした。
今、こうした「収集癖」をあからさまにしているブログがあります。
さて、「貨幣とスピード」の話をしたいと思います。
イメージしてください。
「東京の地下鉄で切符を500円硬貨で買いました」。
「人口が1500人の山里に一軒だけある
スーパーマーケットで500円硬貨を使いました」。
それぞれの500円硬貨は、どんな旅をすることになるでしょう。
東京の切符自販機の硬貨は、すぐに、取り出されて、
めまぐるしく、人から人へと渡っていくのです。
つまり、その500円硬貨が「使われる度に」
その価値は、500円×使用価値度数となります。
ところが一方、田舎=鄙のスーパーマーケットの
レジスターに入っている500円硬貨は、
ひょっとすると1週間、あるいは1ヶ月後に、
銀行員によって集金されるかもしれません。
人から人へと次々に何度も使われることは、
東京=都会=「都」の500円硬貨の役割だったのに、
田舎=「鄙」の500円硬貨とはまったく異なる価値になっているわけです。
私が指摘しておきたいのは、「貨幣論」で言うところの
「貨幣=硬貨価値」は、それがどこに存在しているか、ということによって、
その「スピード価値」が付帯しているということです。
この「スピード」すなわち「貨幣使用速度」が経済学的に方程式になって、
「場と使用速度」の関係までは
まったく無視されていると言っても過言ではないでしょう。
現在、地方都市の商店街が、「シャッター街」=すでに、
日常的な商売から撤退している街の500円硬貨と、
大都会で何度も何度も人から人へ使い回される硬貨=貨幣価値は、
まったく、「貨幣価値」が変容していることを理解しておくべきことでです。
そして、「経済学」での
「貨幣使用度数×使用速度」式を私は知りたいと思っているわけです。
私は、自分の生年1949年の銀貨に限って集めています。
そして、こう思うのです。
このコインは60年、どんな旅をして、
今、私の収集品として、銀貨はピカピカに磨いて、
「ごくろうさん」とコインに語りかけるのです。
Tags: DESIGN, スピード価値, 硬貨価値, 経済学, 貨幣, 貨幣使用速度, 都, 鄙
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