5月 19th, 2016 Posted 12:00 AM
5月19日 仏滅(辛丑)
ライン
直線上、一線上に、
連続し
連鎖し、
その発想が連絡されます。
これが「ライン発想」です。
川崎和男の発想表現手法
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1月 6th, 2011 Posted 12:00 AM
多数決という脆弱な決定論理
「多数決」という決定制度。
この原則性には、決定論理への単純化。
すなわち、少なからずいくつかの結論が必要です。
もし、意見や主張が「多様」になれば、
もし、10人の意見が10通りあれば、「多数決」の原理にするためには、
少なくとも、2結果選択か、あるいは3結果程度準備する必要があります。
2結果選択が5人づつになれば、再度決選投票になります。
さらに、100人の投票多数決で、A=49:51=Bとなれば、
「多数決」にて、B意見が民主主義的裁断という原則です。
この原則で重大な決定は唯一、一人の意見で結果が分離したことです。
多数決論理が剥離
私のこの単純明快な見方は、民主主義の「正当性」が、
きわめて通俗的な意見収集方法であり、決定論的な曖昧性は残存しているということです。
「多様化」と民主主義との関係性の剥離に対して、
すでに私たちは再熟考が必然になってきているのでは、ということを指摘しておきたいと思います。
そしてこの指摘からは、民主主義への反証性が生まれてしまう危険性があります。
これをを読み解くことが必要であり、今世紀の大きな課題だと考えています。
それは、「多数決」という決定論的な制度を完全否定することです。
これが現在では対抗的に「独裁制」という決定論が生まれていることです。
多様の幾何学
結局、「多数決制」:対:「独裁制」というこの「直線上」には、
まったく論理的な中庸性などありようが無いという事実と現実です。
現代世界観には「多様性」はまったく「民主主義」とは相容れない事象が潜んでいると言うことす。
私は、「多数決」と「独裁」を「直線上」に位置づけました。
果たして、「多様性」に対して、数学的術語である「多様体」という「かたち」には、
この「直線性」の有無があります。
私の思考は、「多様性」から「多様体」までを形容する、
肝心な「多様」という言葉の再検討に再度立ち戻る必要性を感じ取っています。
私はこれを「多様」の幾何学とひとまずタイトル化しておきます。
Tags: 中庸性, 多数決, 多様体, 数学的術語, 数学的術語である「多様体」, 正当性, 決定制度, 決定論理, 決選投票, 独裁制, 直線上, 直線性, 関係性の剥離
Posted in 063 「多様性」, 資本主義から逃走せよ!
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