12月 12th, 2011 Posted 12:00 AM
昨日2011年12月10日夜、皆既月食でした。
20代後半に車椅子となった私は、
仏教書と易経にのめり込んでいました。
そして当時、「流行通信」というファッション誌で、
始めて
連載を書き始めたのです。
音楽と音響機器というテーマでしたが、
二回目には「修景論」をまとめました。
風景の要因には、日食・月食・彗星・雷雨暴風、
この四つが易経では大きな天地異変の変動、
その結論が述べられています。
易経を単純に「占い」とみなしている風潮は、
明らかに熟慮不足だと認識すべきでしょう。
そして風景は風と景気を根本で支えている東洋の智恵です。
日本風とか、和風、修景としての光景と風景と情景を
明確に定義づけています。
だから、景観は景気を動かします。
景気の善し悪しは、例えば不景気、
それは「気」=きもちを落とし込み=鬱病と重なるわけです。
月食は天変異変を歴史にもたらしてきました。
3.11は今なお、私たちを解放すること無く、
哀しみと悲しみを残しています。
12月9日、死者15841人であり、行方不明者は、
未だに3493人という哀しみをぬぐい去ることは不可能です。
月食が天変異変を知らせているとするなら、
私たちには「祈り」しかありません。
そして、絶望してはならないのです。
その基本として私たちは3.11のあの光景を語り継ぐのです。
つまり、人間には忘却するという精神的解放がありますが、
それを「風化」と呼んではならないのです。
私たちに吹いてくる「風」は、微風から暴風まであります。
あらためて修景、そして「風景」によって、
やがて生と死の光景に入っていく生命、
その意義を見つめなおすべきでしょう。
「風が吹いている場」は空なる間、空間ということになります。
空間に「風流」を求めるとき、私たちは解放されるのでしょう。
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10月 26th, 2011 Posted 12:00 AM
生と死に向かい合うこと。
それが自分の人生で最も重要なことでしょう。
しかも自分の人生に多大な影響をもたらしてくれた人。
その人の急逝が、自分に突きつけてくることは巨大です。
Appleの創業者であるジョブズ氏の行動力と実現力は、
ことさら私自身と私の日常性、さらにデザインを
常に深く見つめることが私の人生に重なっています。
Apple II・LISA、そしてMacintosh128Kから、
今日に至るまで私の傍らには、
進化し続けるApple製品がありました。
しかも私は今では伝説となったジョンスカリー氏と
さらにアランケイ氏、そしてIndustrial Design Teamと
七つのProjectに関与しました。
その時には、ジョンスカリー氏はジョブズを、
Appleから追放していた頃でした。
ジョブズ氏が舞い戻って、iMacが華々しかった頃には、
彼と会うことを周囲からも勧められましたが、
ポリカーボネート素材製のiMac否定派だった私は、
会いませんでした。
1984年、Macintosh128Kのプレゼンテーションを見ると、
ことさらに彼に会っておくべきだったと悔やみます。
いわゆる「アメリカンドリーム」具現者として、
彼は語られますが、私はそうは思っていません。
彼は米国なら夢が創出できることを証明した人物です。
それは米国という自由風土性ではなく、
夢は、いかにハングリーで、いかに馬鹿に徹するかを
米国人として見事に体現して見せてくれた人物でした。
彼には限られた時間内での生と死を見つめたでしょう。
私もすでに残されている時間を意識しています。
パソコンは確かに進化と進歩を遂げてきましたが、
WYSWYG=What you see is What you getの世界観は、
まったく不動であり、進化しているとは思っていません。
私は彼の人生に深い敬愛と哀悼を持ち続けることでしょう。
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6月 7th, 2011 Posted 12:23 AM
生と死は光景です。
この光景を日常化すること、
それを近代文明は出来るだけ、
避けてきました。
文明が最も忌み嫌った事、
それはこの光景だったと私は思っています。
だから、文明の基本を集落、
現代都市社会の基盤に配置したのは、
水と火をいかに見えなくしてしまうかでした。
けれども自然がもたらす、水と火はまさに自然現象です。
この自然現象を風景と呼んでいます。
中国の古典的解釈は、
風景=彗星・日食・月食・暴風雨です。
まさしく風景画という言い方は、曖昧過ぎます。
風景の要素は、人間の生死を制御します。
風景こそ、光景を人間に与える最大の不幸だったのです。
実際は「幸不幸」という言葉が、
人間に差し向けられた二項択一問題だったわけです。
風景には人間の生死を瞬時に決定する途轍もない力、
人間には制御不可能な力=エネルギーがあるわけです。
今回、震災よりも津波の力は甚大でした。
それも引き津波の大きさです。
幸不幸は、生ある者は幸であり、
生きられず死に至る者は不幸というのが、
本来の意味でした。
果たして、人は、日常の背後にこの光景が潜んでいます。
大震災・津波は、自然の風景力そのものであり、
自然と人間の調和というのは、
あるいは、風景画という曖昧さや風景の寓話で、
死を遠ざけてきたのでしょう。
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