『モノの神話性から物語り性がアフォーダンスを超えていた』
9月 12th, 2014 Posted 12:00 AM
ウォークマンは日本から音楽シーンを革新させる偉大な提示でした。
ゆえに、その周辺にはいくつかの神話が今も残っています。
神話は三つありました。
創業者のプランであった、プロデューサーの存在だった、
いや、現場のエンジニアだった、という三神話が語られていました。
しかし、これらは神話にすぎないと私は当時から実体験しています。
なぜならウォークマンの録音機能無しのユニットが大量在庫でした。
そのために、その売り込みに私自身が現場対応していたのです。
デザインチームに持ち帰り、録音機能無し「聴くだけ機器」提案を
チーフ指令で企画書を書いたけれどもその企画が没になったのです。
説得仕切れなかったこと無念、でもSONYのヒットが始まるや否や、
東芝はウォーキーで競合戦略を開始することができました。
米国では、ウォークマンは英語では無くウォーキーが正しいという
そんな評価の中での闘い開始だったと記憶しています。
東芝サイドでは三つの競合策で立ち向かっていきました。
まず、カセットよりも機器を小さくすることで輸出を拡大し、
ラジオ機能カセットの付属と、ヘッドホンの折りたたみ。
しかし、世評では東芝のモノ真似にすぎない評判はすでに歴史です。
私は、神話性でのデザイン普及が社会学にまでなっていることを
しっかりと学ぶことができた素晴らしい経験になっています。
本当は録音ヘッド無し機構ユニットは相当に在庫品だったのです。
が、デザイン提案は見事に神話性もデザインしていました。
なぜならば、録音ヘッドは各社の技術仕様が競合していましたから
当時はあのユニットを売り切り、東芝はカセットサイズよりも
ミニチュア化することを可能にしていたことは技術競合戦でした。
しかし、この進化競合は神話になることは無かったのです。
私は、それ以後、デザインによる神話性を「物語り」性として、
私は存分に論理化すること=デザイン戦略にしていくことでした。
それは以後に、「アフォーダンス」という概念の登場などが
日本文化では、モノ・もの・物にはナレーションが必ずあり、
それがデザインを突き動かすことを知識化しました。
1970年代のアフォーダンス以前に、日本には「モノが語っている」、
その文化はすでにあったのです。
Tags: SONY, アフォーダンス, ウオーキー, ウオークマン, カセット, カセットサイズ, チーフ指令, デザイン提案, デザイン普及, ナレーション, プロデューサーの存在, ヘッドホン, ミニチュア化, モノ・もの・物, モノが語っている, ラジオ機能カセット, 三神話, 企画書, 創業者のプラン, 大量在庫, 技術仕様, 技術競合戦, 文化, 物語り, 現場のエンジニア, 神話性, 競合策, 素晴らしい経験, 聴くだけ機器, 進化競合, 録音ヘッド無し機構ユニット, 録音機能無し, 音楽シーン
Posted in 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ
目次を見る