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Posts Tagged ‘火’


「文明の序・火と刃物」


   


     5月 30th, 2011  Posted 12:00 AM

文明の基本。
それは火と刃物。
私はこの二つが「自然」との
対抗手段になってきたと思います。
火は自然に備わっていました。
火山の爆発や溶岩が流れたり、
自然現象の山火事などから学び取り、
人類自らが発火させる方法を発見したと思います。
そして火が解決してくれることが生まれてきます。
一方、人類にとって、石器時代から文明が芽生えます。
石器は利器として、「刃物」につながっていきます。
私は、フリーデザイナーになって、
ふるさと福井県越前市(元・武生市)にある、
750年の伝統工芸・越前打刃物に出逢います。
武生市は小学校高学年から中学時代をすごした街でした。
だから、鍛冶屋さんの仕事はよく見ていましたから、
越前打刃物の現場で、「刃物」から学んだことが、
現在私のデザイン思想=デザイン文明観になっています。
まず、「刃物」は、
漢字には「刀」・「刃」・「刂」・「弋」・「戈」などが
含まれることで、文明利器そのものから文明観が指示。
初・武・創・解などおおよそ60数程度文字があります。
その「刃物」も「火」が無ければ、
創り出すことが出来ませんでした。
私は越前打刃物の伝統技を間近で見ながら、
「火」と「刃物」とがどのように反応しあうのかという
大きな感慨と思考をすることができたと思っています。
結論的に言ってしまうと、
「火」・「刃物」は、人間の生命に関わっています。
それも重大に、尊大に、食物と寒暖に関わり、
人間の生死を制御しているわけです。

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『資本主義からの逃走』
   「ケータイの「かたち」の基本は原点回帰」


   


     12月 2nd, 2010  Posted 12:00 AM

ケータイにプラスα
「Smart-Phone」が出そろいました。
無論、これはこれまでの電話機を超えました。
ケータイに電話通信プラスα、このαが問題だったわけです。
iPhoneはこのαを創出したモノであり、
このαは、コトの世界でした。
コトの世界を整理します。
コト=情報ゆえに、私流には四つの世界観を包み込んだのです。
ここまでの話は、おそらく、ケータイ開発に関わる職能者がみんな語り合ってきたと思います。
四つの世界観を「包み込む」というべきを「詰め込む」と、取り違えたことが最大の過ちです。
本来なら私は四つの世界観はコトを実際は日本観の中に「詰め込もう」としてきたことです。
だから、結果、「詰め込まれた様々な機能」ゆえにガラケーになったのです。
私はFOMAのコンセプトづくりに関与しました。
ところが、このコンセプト議論の会議室の席を離れたときに、
「世界標準から確実に離脱する」ことを予言し発言をしました。
受けいられないまま、FOMAやi-modeに未来はまったく見えなかったのです。
この時期から私自身は、NOKIAの日本仕様やエリクソンを自分のケータイとしました。
そしてiPhoneで、四つの世界観へとネットワーク化、つまり、
ケータイの構造化、これがSamart-Phoneでした。
では、四つの世界観とは、情報=information・intelligence・knowledge・consciousnessです。
Smart-Phoneの四大元素だと私は結論づけています。
■Smart-Phone四大元素

● 火=電源・バッテリー
● 土=シリコン・CPU
● 空気=ネットワーク・インターネット・WiFi
● 水=必要不可欠な要素で無意識化可能ですが、私は「光」と考えます。

私がケータイからの進化は、この古代「アルケー」という原点回帰だったと判断しています。
となれば、Smart-Phoneの「次世代」の「かたち」はイメージできるはずです。


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『資本主義からの逃走』
「虚空回帰は空虚感排撃のデザイン」


   


     8月 17th, 2010  Posted 12:00 AM

エーテル=虚空
古代西洋哲学には、土・水・空気・火に対して、
天体に充満している媒質概念・エーテル=aitherがありました。
私が最も不思議に思い続けていることは、
古代インド哲学・サンスクリット語でも、
大気や万物の存在空間を アーカーシャ=ākāśaと音声的にも近似した概念があったことです。
aither≒ākāśaはとても酷似していることです。
土・水・空気・火≒地・水・風・火、そして「虚空=ākāśa」です。
万物、世界要素の五大があり、これを五感(香・味・色・蝕・声)で受け止めて、
広大無辺、永遠、清浄などが私たち人間界と天界にあるという認識論です。
この認識論は、コペルニクス、ガリレー、ケプラー、ホイヘンスにとどまらず、
ニュートンの絶対空間論にまで及んでいました。
つまり、aither≒ākāśa=虚空概念だったわけです。
したがって、私たちが「空虚感」というのは、
認識すべき世界要素をまったく全廃している喪失感です。
私たちは、現代、ある種の「空虚感」に苛まされるとするなら、
「虚空」という概念が本来もたらしてくれる恩恵を失っているということです。
私は、あらためて虚空蔵菩薩という可視化されたシンボルを見詰めなおさざるをえません。
しかし、私の言説がオカルトや非科学性につながっているという誤解は受けたくありません。
ともかく、「空虚感」を与えないデザインをめざしたいだけです。


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『資本主義からの逃走』
「三大観念の世界観を!」


   


     5月 21st, 2010  Posted 12:53 AM

五大
私は、現代21世紀も10年、ワンディケードに入りました。
そして、私が明確に意識しているのは、三つの世界観です。
世界観という観念が三つあるということです。
仏教における五大思想のような象徴であり、焦点です。
仏教での五大というのは、
■ 地・地球であり大地
■ 水・海や川で流れる変化変相
■ 火・燃え上がる情熱
■ 風・自由性や成長
■ 空・天空・無
この五つの要素や要因を掲げて、
これが世界と人間界の実存と伝えられてきました。

三大
中国の五行思想=木・火・土・金・水と混同されますが、
世界観への人としての、
自分の存在を自己納得させる要素要因の観念としては
同等の思索軸だと私は理解しています。
そして、現代、この世界観念の軸・象徴を掲げるなら、
まさに、かつての三大=火・水・地は、
■ 物質
■ 情報
■ エネルギー
この三大観念と具体が世界観と考えます。
果たして、この三つの要素・要因の具体性は、
● 物質というモノの体系
● 情報というコンピュータとネットワーク体系
● エネルギーという具体的な電力やエネルギー源体系
こうしたことに集約して、現代世界観念をまとめることができます。

経世在民へのエネルギー
この三大世界観を、人間社会の能動性や効率性に、
「経世在民」が覆い被さっていると考えることができます。
私が、この現代三大世界観に、
これまでの「経世在民」の基盤である「資本主義」、
そして「民主主義」を照合していかなければならないと考えています。
世界観の変貌性は劇的で瞬時です。
少なからず、
「情報」世界観が、iPadなるモノの出現でどれほど変貌していくのだろうか、
そんなことを記してきました。
たかだか、iPadという製品です。
それでも、この製品からの体系=アプリケーションから、
日常的なユーザビリティのダイナミックスです。
ところが、それ以上に、私たちが直視しなければならないのは、
「エネルギー」へのまなざし、
そのあり方になっていくでしょう。


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