『アカデミー賞にみる顕彰制度の職能意識』
3月 4th, 2014 Posted 12:00 AM
毎年、米国映画界の祭典「アカデミー賞」を見る度に、
世界の三大映画祭とは全く異なる印象を受けます。
それは映画界という職能界すべての人々にとっての顕彰制度、
その世界的な存在意義を知り確認することができます。
まず映画となればその役者=俳優陣の絢爛豪華なスター性があり、
その華やかさだけが顕彰されているのではなくて、
映画を支える末端の力まですべてが敬愛し称え合うことです。
聞いたところでは、米国で映画関係の大学で学識として、
映画のあらゆる職能=俳優、脚本、装置、照明から美術すべてを
学び会う者すべてが、この顕彰によって、
いつかはあの賞が欲しいという目標になっている「制度」です。
すなわち、映画というひとつの総合芸術デザインを世界観とした、
すべての職能人たちが働きがいを社会的成果の評価として、
ひたすら求めて生きがいにしているということです。
具体的にも、この顕彰制度の祭典・イベントを成し遂げる演出、
その一つ一つをとっても計算されつくされたデザインです。
たまたま私の米国の親友が、この演出企業が、
工業デザイン部門を開設したときのトップでした。
彼からもこの顕彰制度の運営が演出デザインでも最高だろう、
そんなことを聞いていました。
おそらく、アカデミー賞という一見は華やかさは、
実際は、すべからく詳細な支援の総合技だと思います。
それらを支えるすべての人々をお互いに顕彰し合うことこそ、
社会「制度」の本質だと思います。
そしてうらやむことは、映画界というすべての部門、その職能が、
お互いの存在を認識し敬愛しているからこそ、
映画界という存在価値を平和に進化させていると思うのです。
Tags: 演出デザイン、総合芸術デザイン、社会的成果の評価、俳優、脚本、装置、照明、絢爛豪華なスター性、俳優陣、顕彰制度、職能界、三大映画祭、アカデミー賞、米国映画界、
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