『あれからもう3年たったのだが・・・』
3月 11th, 2014 Posted 12:00 AM
東日本大震災は「March 11. 2011」と言うのが国際的ですが、
私はあの3.11以来、自分のデザイン活動の骨子になっています。
あの日、福井の親友と電話中に、私は気分が悪くなり、
彼に、「気分が悪くなってきたから電話切るよ」と。
そうしたら、「おい、揺れていないか、地震じゃないか!」。
私には鮮明な記憶があり、毎日夜のTV報道では涙が流れました。
そして多くの同胞を大津波で失い、国家の存亡を感じました。
海外の講演でも、必ずこの話を冒頭にしていました。
デザインの国際会議では大丈夫でしたが、ある大学では、
私は胸が詰まり泣きそうになりました。
大震災10ヶ月目に前政権の防災大臣にまでプレゼンをしましたが、
まったく政権の無能さには無駄だったようですし、
東北被災地でのプレゼンは無謀だったような気がしてなりません。
しっかりとアドバイスをくれたのは建築家・内藤廣氏でした。
それ以来、南海トラフ=間もなくという予測もありますが、
液状化現象防止の素材開発と、限定的な人工地盤デザイン、
これらを必死で進めていますがまだ商品化に至っていません。
すでに3年になろうとしているのですから、私たちは同胞の死から
予想される大天災への気構えだけではなくて、
国家再興の革新的なインフラデザインを緊急に仕上げるべきです。
それが、失った同胞への最大の役割のはずです。
ヒロシマ・ナガサキ、そしてフクシマというこの大事件も、
先進国のわが国ゆえに、今後の地球と人類全体の存続に対しても、
私たちが先達になれると私は考えています。
当初私はこれ全体を「危機管理学としてのデザイン」としました。
しかし、昨年デザインアプローチをしてきて、
今では「危機解決デザイン」としてのデザイン実務にしています。
「デザイン講座は制度設計と形態設計での問題解決」
『「土地の記憶」は鳥居の位置その変遷にある』
『忘れた頃にを想定内に!』
『「デザイン」=本来は政策に直結すべきだ!』
Tags: 東北被災地、建築家・内藤廣、失った同胞、国家再興、大天災、南海トラフ、人工地盤デザイン、素材開発、液状化現象防止、防災大臣、大津波、「March 11. 2011」、東日本大震災、
Posted in 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ, 資本主義から逃走せよ!
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