6月 5th, 2011 Posted 12:16 AM
民主主義を超えるべき。
生まれたときから、
すでに自然と民主主義の中。
多数決が民主主義の前提、
これが基本原則ではありませんが、
最大多数の最大幸福も、
このイデオロギーに包まれているものということが、
すっかり身体化して生きてきました。
しかし、
デザインを進めていくとき、
私は「多数決」での決定は、絶対に避けます。
以来、民主主義が本当に正しいのだろうか、
この疑念と懸念を常に引きずっています。
そして、もはや結論を明確にしておきたい考えています。
「超・民主主義」あるいは「メタ・デモクラシー」、
こうした思考結果としてのイデオロギーが必要でしょう。
たとえば、私がデザインを提案したとき、
大方の人たちのそれも客観的な評価が、
「いいデザイン」という評価をいただいたら愕然とします。
そのようなデザインは、創造的ではないと思えるのです。
むしろ、みんなが賛同できない、と言う評価なら、
これなら、新しい時代・社会に切り込んでいくデザイン、
創造的な結果を出せたと、自分は納得します。
したがって、説得を相当にしない限り、
特に製品デザインが商品にまとまってはいきません。
命果てるまでに、
なんとしても「メタ・デモクラシー」の基本を
モノのデザインで創りたいと自身に言い聞かせています。
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1月 5th, 2011 Posted 12:00 AM
民主主義の再熟考を
現代、普遍的正当性の言葉。
国際的な正義観のある言葉。
それは民主主義という行動原則性と理念です。
この民主主義には「多数決」という制度が確立しています。
しかし、私はこの言葉・原則・制度・国際的正義性に対して、
果たして「本当なのだろうか」という疑念懸念があります。
最大多数の最大幸福の下意識主義用語として、
私は再熟考すべきだろうと思いつつも、
これを超越する哲学理念が創れるわけでもありませんが、
とりあえず、この言葉に包括されている私自身の存在については
いくつかの懸念性は書きとどめたいと思っている次第です。
多数決と多様性
その一つに「多様」という言葉があります。
多様は、「多様性」と「多様体」という視界が映っています。
単純に言えば、
「多数決」とは、あくまでも「最大公約数的」な結論がベースとなった、決定論です。
しかし、「多様性」も「多様体」も、「最小公倍数」までを包括しています。
明らかに、「多様であること」は「多数決=民主主義」への再考性を投げかけています。
無論、
「多様性」、「多様体」という言葉=術語と主義主張への決定論用語には差違があるのですが、
少なからず、私は、「民主主義」と「多様性」から重ね合わせた思考の時代が、
今世紀の新たな「思考核心」の一つだと考えています。
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Posted in 063 「多様性」, 資本主義から逃走せよ!
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