『フリーランスになって最初の車』
9月 12th, 2017 Posted 12:00 AM
リハビリテーションのために、
私はK労災病院での苦しい毎日を
実は半年しか受けていません。
それほどリハ訓練は真面目に受けていました。
たとえば、朝の検温で37度Cを越えるとリハ訓練は休まざるをえません。
38度Cでも、私はコップの水で体温計の体温目安を下げることを覚えて、
それでよく訓練をその病院の体育館に行きました。が、
結局、何度もその場で倒れたことがあります。
ともかく早く退院したかったのです。
あるとき、車の運転をしてみないかということで、
患者さんの車を借りて運転しましたが、右ハンドルはとても乗降不可能です。
中原街道で大渋滞を引き起こしたこともあります。
車椅子使用者は左ハンドルに限ると思い、なぜ左ハンドルなのに、でした。
退院間際に車を選んで注文をしました。
それはシボレー・モンザのハードトップでした。
この写真とやや似ています。
改造されたモンザが病院に来たときには大注目されました。
私自身もこんなに屋根が低い車は初めて見ました。
ともかくこの病院ではいい思い出は全くありません。
だから、毎月の診察も完全に無視していたので、
東京時代は相当に体調を何度もこわしていました。
ともかく、あるメーカーの指示で赤坂の新築マンションで独立しました。
しかし、それは東芝社員のまま、特例で独立したのです。
あるメーカーとは「レコード針のナガオカ」でした。
入院から徐々に外出の時に、ナガオカの試聴室に行き、
「川崎さん、独立しなさい」と薦められたのです。
「音を聴いたら、川崎さんはこの世界に帰ってくるべきだから、
独立準備はこちらでやるから」でした。
だから、赤坂から豊島区までや、明け方には国会議事堂から銀座を抜け、
晴海埠頭までメチャクチャに飛ばしていたことがあります。
その内にいずれ暴走族と言われる連中に絡まれましたが、
私が車椅子だと知ると皆が守ってくれていました。
だから赤坂のマンション前には暴走族がタムロしていました。
車椅子になって最初の車がモンザであり、
横浜ナンバーで走り回っていたのです。
ところが、140km/hを越えると車にかすかな振動を感じたので、
この車を買い換えることになるのです。
* 『自分の車遍歴とカーデザイナー養成は同次元』
* 『ワインはセンスを決めるひとつのアイテムだ』
* 「フリーランススタートの頃」
* 『素材=ボロンとダイヤモンドですでに開発していた』
* 『わが人生最期の車は美しいデザインを』
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