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「資本主義からの逃走」
     「多様な『多様性』のかたち造形=デザイン」


   


     1月 7th, 2011  Posted 12:00 AM

多様な思考からの造形
デザイン造形、造形された「かたち」。
デザインは多様さを検討。
造形結果は「かたち」です。
かたち・形態というのは「多様体」です。
多様体造形
立体、球体などは、決定的な形態ですが、
数学的術語の中にもう一度引き戻して考えれば、
これは「多様体」の中での特徴と特質ある形態=かたちということが出来ます。
そこで、デザイン造形された「かたち」=形態は、
実は「多様体」造形だったと言い直すことが可能でしょう。
つまり、ユークリッド空間そのもの自身も多様体と考えることができます。
最小多様度の法則
したがって、デザイン造形された形態=多様体は、
思考に思考(=多様さ)された中から、最小要件・多様度で導き出された「かたち」です。
多様体という言葉を数学的な術語に残しておくより、
もう一度、多様さを多様度と言い直せば、
思考決定での最小限界まで、その法則性を見いだすことが可能です。
社会学的には、確かにこの法則があります。「最小多様度の法則」と呼ばれていることです。
いづれこの説明を数学用語「多様体」と結びつける必要があるでしょう。
結局、多様さ・多様度ということが、何と関わっているかを見直していくことになります。
私は、人々の価値観が多様というなら、その多様さ=多様度を深く洞察し直さなければ、
「多様」であることの全体像という「かたち」が見えてこないと考えているからです。
数学的な「多様体」という言葉の定義も、
実際的には「形態」すべての自由性での多様度の中から引き出された「かたち」です。
つまり、デザイン造形とは「多様度の最小原則性」で解釈が可能だということになります。
かなり複雑怪奇で難しい話ですが、まとめておくべきと考えています。


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「資本主義からの逃走」
     「『多様性』と決定原則=多数決の剥離」


   


     1月 6th, 2011  Posted 12:00 AM

多数決という脆弱な決定論理
「多数決」という決定制度。
この原則性には、決定論理への単純化。
すなわち、少なからずいくつかの結論が必要です。
もし、意見や主張が「多様」になれば、
もし、10人の意見が10通りあれば、「多数決」の原理にするためには、
少なくとも、2結果選択か、あるいは3結果程度準備する必要があります。
2結果選択が5人づつになれば、再度決選投票になります。
さらに、100人の投票多数決で、A=49:51=Bとなれば、
「多数決」にて、B意見が民主主義的裁断という原則です。
この原則で重大な決定は唯一、一人の意見で結果が分離したことです。
多数決論理が剥離
私のこの単純明快な見方は、民主主義の「正当性」が、
きわめて通俗的な意見収集方法であり、決定論的な曖昧性は残存しているということです。
「多様化」と民主主義との関係性の剥離に対して、
すでに私たちは再熟考が必然になってきているのでは、ということを指摘しておきたいと思います。
そしてこの指摘からは、民主主義への反証性が生まれてしまう危険性があります。
これをを読み解くことが必要であり、今世紀の大きな課題だと考えています。
それは、「多数決」という決定論的な制度を完全否定することです。
これが現在では対抗的に「独裁制」という決定論が生まれていることです。
多様の幾何学
結局、「多数決制」:対:「独裁制」というこの「直線上」には、
まったく論理的な中庸性などありようが無いという事実と現実です。
現代世界観には「多様性」はまったく「民主主義」とは相容れない事象が潜んでいると言うことす。
私は、「多数決」と「独裁」を「直線上」に位置づけました。
果たして、「多様性」に対して、数学的術語である「多様体」という「かたち」には、
この「直線性」の有無があります。
私の思考は、「多様性」から「多様体」までを形容する、
肝心な「多様」という言葉の再検討に再度立ち戻る必要性を感じ取っています。
私はこれを「多様」の幾何学とひとまずタイトル化しておきます。


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