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「モノの値段・安価と安物」


   


     8月 29th, 2011  Posted 12:00 AM

久しぶりにワイフと散策。
阪大特任教授時代の定宿ホテル。
地下にはブランドショップ。
まったく勝者盛衰を見るように、
消えてしまったブランド、
新興勢力化してきたようなブランドを
すでにショップはCLOSEDだったので、
文字通りWindow Shoppingをしました。
それなりに高額なモノですが、
かつての衰退したブランド程高額ではありませんでした。
思い切り高額であるブランドショップは消えていました。
それだけ、日本の可処分所得での購買価格帯が
低下してしまったのでしょう。
たとえば、皮革製品でクロコダイル皮革商品は高額です。
しかし、クロコダイルは地球環境が影響して、
皮革パターンが狂ってきています。
だからまったく対称パターンの本物には出会えません。
むしろフェイクながらクロコダイルダマシ的なモノが、
正確なパターンになってしまいました。
価格も100分の一ぐらいです。
これを安物というのか安価というのかは、
購買者の価値感判断になります。
20年前にエルメスで、
「おそらくこれだけの皮革は今後出てこないから、
薦めるから」と言われたブルゾンがあります。
それ以来、それだけの皮革ブルゾンは造られていません。
昨今は、家具でも、びっくりする低価格モノがあります。
原価計算をすると、商売が成立するのだろうか、
生産可能できるのだろうとかと品質を疑います。
100円ショップで十分なモノもあれば、
100円ゆえ仕方なしという品質モノばかりになっています。
とりわけ現代日本の市場は安価=安物が氾濫し混乱しています。
特に大阪の市場、商品選択は明確に、
東京・名古屋との差異を感じます。
高額ブランドの品揃えは地方格差が起こっています。
私の商品価値判断はそれなりに影響がありそうなので、
こうしたところでの記載は控えたいと考えます。
そして、ブランドショップでも店員の方の、
商品知識の程度、商品教育は低下しています。
私の収集趣味分野では、あきれるショップが多すぎます。
専門店であり、ブランドのフラグショップでは、
このような店員はとてもプロだとは思えません。
欧州老舗ブランド、そのインスタレーション展示では
世界的に著名な日本人デザイナーY氏は、
「老舗ブランドの伝統性を背負う重責」、そして、
ブランド価値を継承することから「革新へ」という、
そんな悩みを伝えてくれます。その通りでしょう。
それはモノづくりがブランドとなり、
高級ブランドと言われるのは超高額傾向です。
反対に、安価であることと、
安物はまったく別物だという証にもつながっています。
それこそ、時計なら数千万から2000円であっても、
「見えない時間を測定する機能は同じです」。
万年筆でも2500万から500円まで市価巾があります。
「書くためのツール」に過ぎません。
私は、安物は、それを所有するだけで、
自分の存在価値もその程度になると思っていますが、
安価であっても高価なモノを上回る価値十分モノはあります。
値段という市価価格には、
「格段となる」品と質がそのまま、
所有と使用する人格に投影していると判断しています。
安価なモノは探しだして見つけ、持ち、使う価値が、
そのまま自分の立場や力量を明示しますが、
安物は自分の存在値打ちを
必ず下げてしまうと思っています。


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