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Posts Tagged ‘快適性’


『「睡眠負債」という流行には「睡眠サイクル」がいい』


   


     12月 1st, 2018  Posted 12:00 AM

日本人は世界一座りすぎている民族です。
座りすぎは様々な病気、死のリスクを格段に上げるそうです。
今ではデスク用のチェアに、膝を伸ばすこと、
それこそ、オットマン付きのチェアが随分と増えてきました。
私自身も室内用の電動車イスに、オットマン的に付けています。
今や、車椅子も自走式より電動が必要になってきました。
障がいの視点にはたっているのかもしれませんが、
オフィスチェアやゲーミングチェアのように
長時間使用での正しい姿勢の維持や快適性、身体性の休憩と休息、
そのための形態、機構、素材の調和性などには到底及んでいません。
それゆえに、背もたれ部分をメッシュ素材に替え、
オットマンを付けエコノミー症候群にも対応できるわけです。
何しろ私は、誰よりも座り過ぎていますから。
今すでに、電動の車イスをしっかりと自分デザインを目指しています。
オットマン付きのチェアは、
リクライニングも出来、休憩・仮眠にも使われてます。
さて、睡眠には流行の「睡眠負債」はいろいろ試してきましたが、
私の「睡眠負債」はまったく信用することが出来ません。
睡眠が負債になるというのは、
自分の睡眠には休息がまったく無いということです。
私は「睡眠サイクル」で睡眠環境づくり=「睡眠サイクル」のためには、
現在の寝具などはそろそろ止めるべきだと思っています。
そして、寝たきりからやがては「死」を迎える対応を
現在の寝具ではまったく、その環境づくりができていません。
それこそ、チェアが今ではメッシュ素材なのに、
寝具デザインはまったく出て来ておりません。
座具、寝具ともに、睡眠から死まで、自分デザインを目指しています。


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『資本主義からの逃走』
「*ファッションというモードと、コードとしてのファッション*」


   


     4月 17th, 2010  Posted 12:01 AM

MODE or CODE
モードは明らかに流行、現象としての流行です。
ファッションは、このモードで千変万化しているものと、
通常は考えられていますが、果たして?ということでしょう。
千変万化などは決して起こっていません。
つまり、モードとしてのファッションは、
明らかに、革新性=イノベーションの要因があります。
イノベーションといっても技術革新ではありません。
循環性による活性化です。簡単にいえば流動性の勢いがあるのです。
顕著な例は、
奇抜なファッションや流行ドンピシャリ的モノに、若者は魅了されます。
ファッションは、若者の特権的なモードになっていることです。
しかし、たとえば就活となれば、
みんなが就職モードと言いつつも実際は、
コードの中でのモードを必ず選ぶことになります。
それは「就活モード」という「コード」です。
この「コード」に革新性は、何事かの事変でも無い限り、
一新されるモードにはなりにくいということです。
では、ファッションを服装ジャンルから拡大して、
いわゆる「モードの体系」と指摘された消費構造に当てはめてみれば、
実際は、技術革新された新製品の商品氾濫は、
明らかにコードを一新して、モードを生み出しています。

デザインは、コードの文脈=コンテクストを消費構造化するとき、
デザインによる目新しさ、すなわち「外観的な特徴」によって、
「デザインされたモノ」=意味されるコトと意味されたコトを
消費欲望に変換させること、デザインが手法化できるということです。

しかし、私が指摘しておかなければならないのは、
このデザインによるモードの改変、あるいはコードの一新化です。
「外観」づくり=デザインというのではありません。
さらに、モード的な意味の仕掛けや、
コード的な意味文脈の・コンテクストに対しての、
デザインの役割です。
デザインは社会に対する態度である!
その役割には、デザインの本質を常に問いかける姿勢です。
それこそ、モホリ・ナギが「デザインは社会に対する態度」
と言い放った本質論です。
私は、この本質論には、
「デザインとは何か?」
という問いかけは最初からあり得なかった、とさえ思っています。
「デザインとは何か」を
「外観」→「機能性」→「使い勝手」→「快適性」=消費の快楽、
だから、「欲望の刺激」という図式に終始してきたのでしょう。
問いかけの変更、問いかけへの異議は、
「何がデザインとなるか」です。
この問いかけへの対応領域を、
モード領域とコード領域での応答性に変更するべきだと考えています。
そうなれば、
「欲望の刺激はデザインにあらず」ということは自明となります。
よって、「モード的な意味の創出がデザイン」でしょうか?
あるいは
「コード的な意味の一新がデザイン」となるのでしょうか、
という問いかけに、デザイナーの存在位置、
その確認ができると判断します。


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