「かたちには三つのかたちがあるようだ」
5月 7th, 2011 Posted 12:00 AM
「かたち」というかたちはありません。
私は「かたち」に関わってきました。
私なりに、「かたち」は三つあると想っています。
形式・形体・形態だと考えてきました。
しかし、形式はかたちというモノに
いたるわけではありません。
むしろ、形式はすぐに形骸化する事があります。
それでも形式のデザインは強固にあるものです。
形式で取り繕いは極めて簡単です。
そして形式のデザインほどまた難しい事は無いと考えてきました。
その前に、形体というのは、
立方体・球体・三角錐・四角錐などの基本形式が、
モノのかたちになっている物です。
そして、形態は基本形式からの状態変化・変貌したモノです。
デザイナーとして、この三つのかたちに拘ってきましたが、
かたちを造形するということが、
自分から距離=隔たり=近さという概念が見え出すとき、
ようやく、造形するこうした三つの「かたち」から
最も欠落していく事に気づき始めるものです。
とりわけ、具体的に身体との距離感と、
自分自身だけの想像力との距離感が把握・認識できるには、
ある種の能力が必要になると思えるようになりました。
少なからず、この能力を参照するには、
自分の「かたち」の検証をある方向から試すことしかありません。
この手法がデザインだと思っています。
したがって、この三つのかたち=形式・形体・形態には、
自分の誠実さは決して失ってはならないと確信しています。
形式・形体・形態に誠実さが無いモノは容認不可能です。
だから形式論議に終始する議員制民主主義は腐敗しているのです。
私は「かたち」に関わってきました。
私なりに、「かたち」は三つあると想っています。
形式・形体・形態だと考えてきました。
しかし、形式はかたちというモノに
いたるわけではありません。
むしろ、形式はすぐに形骸化する事があります。
それでも形式のデザインは強固にあるものです。
形式で取り繕いは極めて簡単です。
そして形式のデザインほどまた難しい事は無いと考えてきました。
その前に、形体というのは、
立方体・球体・三角錐・四角錐などの基本形式が、
モノのかたちになっている物です。
そして、形態は基本形式からの状態変化・変貌したモノです。
デザイナーとして、この三つのかたちに拘ってきましたが、
かたちを造形するということが、
自分から距離=隔たり=近さという概念が見え出すとき、
ようやく、造形するこうした三つの「かたち」から
最も欠落していく事に気づき始めるものです。
とりわけ、具体的に身体との距離感と、
自分自身だけの想像力との距離感が把握・認識できるには、
ある種の能力が必要になると思えるようになりました。
少なからず、この能力を参照するには、
自分の「かたち」の検証をある方向から試すことしかありません。
この手法がデザインだと思っています。
したがって、この三つのかたち=形式・形体・形態には、
自分の誠実さは決して失ってはならないと確信しています。
形式・形体・形態に誠実さが無いモノは容認不可能です。
だから形式論議に終始する議員制民主主義は腐敗しているのです。
Tags: かたち, 基本形式, 形式・形体・形態, 形式論議, 形骸化, 想像力との距離感, 立方体・球体・三角錐・四角錐, 議員制民主主義, 距離, 身体との距離感, 近さ, 隔たり
Posted in 祈望から企望へ
目次を見る